昨日は赤穂の骨董市でしたので、行ってきました。\(^o^)/

 

 平日なのですが、以外に人がいましたが、かつての人出を思い返すと寂しくなっている様な気がします。

 

 今日はこんなのを買いました。

 「西国三十三所 観音霊場記図絵」という江戸時代の本です。

 絵入りで紹介する本なので、文字を読まなくても楽しめます。

 このような木版画は、現代では「芸術」ですが、少し前までは「ただの印刷技術」だった事がよく分かります。

 

 原画を絵師が、彫り師が彫り摺師が印刷する流れ作業で本が完成していく過程はまるで魔術のような感じがしますよね。(現代人は全て一人でしようとしますが。)

 

 江戸時代の本は意外に多く、高価という程ではないのが「ミソ」です。

 

 さすがに有名な本は高価ですが、大量に発行された本などはお手軽に買えたりします(千円~100円ぐらい?)、お子さんの情操教育にも使えそうな「江戸時代の本」をご紹介しました。

 

 その後は兵庫県の加古川へ向かいます。

 

 高御位山は古代に「金星の隕石」が落ちた伝承のある所で、孝昭天皇が祀る様に指示した事もある由緒正しい所の様です。

 

 はて? 何故、金星の隕石と分かったのでしょう?

 

 私の推測はこうです、「月読み」という人達は月を観察し「吉兆のきざし」が現れないか観測する者のことをいっていたと考えています。

 

 その月読みが宇宙をみていたら、金星の方向から火球が飛んできて空中で3つに分かれ、その一つが高御位山に落ちたので、「金星の隕石」と伝わったのだと思います、なので降ってきたのは夜中の事ですね。

 

 残りの2つも「鞍馬山」と「高野山」に落ちた事が伝わっているので、割と大きな火球だったのでしょうね。

 

 その高御位山ですが304mと低い山なんですが、「もやし中年」になっている自分には結構辛かったです。

 

 

 山頂には大きな岩があり、古代祭祀の場所だったというのも、さもありなんという所でした。
 
 
 
 「天御柱大天壇」が祀られて、これを建てたのが九鬼隆治という人物で「九鬼文書(くかいもんじょ)」を世に出した人物になります。
 段々と分かってきましたが、古代の情報は近世の知識をもって読むと「奇異」に映り、「偽書」に読めるようになっているのだという事です。
 
 例えば除市が「高皇産霊神」と諡(おくりな)されると、その子供達は「高皇産霊尊」と呼ばれ同じような名を踏襲する傾向があるという事です。
 
 除福という名も同じで、「除一族のリーダー」となったら「除市や除福」などと同じ発音になる漢字をあて、同じ名を襲名していたようなんです。(たぶん徐福の一族を興した遠祖が徐福という名前なんだと思います。)
 
 九鬼文書には「ウガヤフキアエズ」という名前が大量に並ぶのですが、これも同じで、同じ名を継いでいて「個人名」は別にあるようなんですよね。
 
 現代人がみると「何じゃこりゃ?」となりますが、海外の貴族には〇〇十五世など同じ名を襲名しているので、古代の王族は「同じ名を襲名するのが当たり前」という事を近世の人間が知らないだけの様なんですね。(クレオパトラも6世とか7世とか、何人もいた様です。)
 
 理解してみれば、普通に読めますので、これからは九鬼文書も読み直し、理解を深めたいと思います。
 
 古代史の理解は、その時代の人の常識を知らないと前に進めない様になっています、しかも古代の情報が残る史料は少なく、推測しようにも原資が無いんです。
 
 しかし、徐々に理解が深まると、エジプトや日本にも同じ名を襲名するという規則性が見えてきました、これが伝播したものか?別々に同じ様式になったのか?それの持つ意味は重要になってきます。
 
 少しずつ解明できれば面白そうですよね。
 
 龍海