神皇記を読み進めて、イッキに古代史の謎が解けるのでは!?と期待して読み進めましたが、国常立尊〜伊邪那岐までの記述には問題が多くある様です。

 

 誤解されない為に沿革を先に書くと、伝承では「徐福」が残した文書を代々受け継ぎ、宮下家(徐福の末裔で小室浅間神社宮司家。)に残っていた古文書があり、それが「宮下文書」とか「富士古文書」と呼ばれています。

 

 その古文書を大正10年三輪義煕により読み解かれ、「概説書」として本になったものが「神皇記」になります。(なので、全文があるとは限らないのです。

 

 神皇記には孝霊天皇74年に徐福が来たとあるので、徐市、素盞鳴尊とは別に徐福がいる様な感じです。(他にも中国にいた徐市の子孫がやってきた可能性があると思います。)

 

 宮下文書は「徐福」が書き残したものとして伝わっていますが、その後の記録もあるので、書き足された事は明らかになります。

 

 その上で私のブログを読んで貰えると、理解が深まると思います。

 

 ホツマツタヱには天之御中主神は「人間として描かれていない」のですが、神皇記では「人間として描写」されています。

 

 そもそも古代の記録では「」とは、人間を導く存在(指導者)として書いていると思います、ただ、人に取り憑いて話す「見えない神」も神だし、取り憑かれて人々を導く指導者も「」だし、一族のリーダーも「」なので、古代はその境が曖昧な様です。

 

 日本の天皇も「神皇」から「人皇」になったのも、「」の定義が改められただけなのかもしれません。

 

 その上で、「ホツマツタヱ」とはアマテルからの記録だと言えると思います、即ち記録を始めたのはアマテルの統治下となっての終わり頃からだと思います、何故ならアマテルの死んだ日が分からないのは、記録した者とアマテルとの距離が遠い証拠だろうと思います。

 

 その時代に古代の事を聞いても、既に徐市などは二百年前の人物なので、詳しく覚えている者も少ないでしょう。(私たちが二百年前のご先祖が説明出来ないのと一緒です。)

 

 その更に前の天之御中主神などは、完全な伝説の人物(おとぎ話のような)だったと思います。

 

 これらを踏まえて、次の情報を読んでみましょう。

 

○天之御中主神
 ・左右大臣(神)を置くことを定めた
 ・製塩方法の確立(土器で海水を煮詰める)
 ・天つ日嗣の紋章、日輸に十六筋の光明の制定
 ・神后の紋章、月輪に五三模樣の雲の形の制定

○天之御柱立神
 ・諡の法を定めた
 ・竈の創造
 ・日干しレンガや土壁の創造
 ・脱穀方法の確立(凹める石に入れて、米稗粟黍を木の丸太で搗く)
 ・土器により煮込む事を始める
 ・穀物を煮た汁が変化し→白青→白赤=「酒」と名付ける

○國常立尊   150,600日 150,600÷8÷365≒51.6歳
 神佐加比女尊 153,800日 153,800÷8÷365≒52.7歳

○國狭槌尊   153,600日 153,600÷8÷365≒52.6歳
 白淸龍比女尊 153,300日 153,300÷8÷365≒52.5歳

○豊斟渟尊    19,018日  19,018÷2÷365≒26.1歳 ※一皇子あり
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 白瀧比女尊  166,104日 166,104÷8÷365≒56.9歳
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後夫:農田比古尊153,024日 153,024÷8÷365≒52.4歳

○泥土煮尊   123,030日 123,030÷8÷365≒42.1歳
 沙土煮尊   151,000日 151,000÷8÷365≒51.7歳

○大戸道尊   150,030日 150,030÷8÷365≒51.4歳
 大戸比女尊  150,040日 150,040÷8÷365≒51.4歳
      一、163,014日 163,014÷8÷365≒55.8歳

○面足尊    163,014日 163,014÷8÷365≒55.8歳
      一、164,004日 164,004÷8÷365≒56.2歳
 大斗野邊尊  164,004日 164,004÷8÷365≒56.2歳

○伊弉諾尊   
     在位:83,010日 83,010÷8÷365≒28.4年

 

 上の資料は『神皇記」から抜粋したものですが、8倍曆で書いているようですが、年齢がおしなべて50歳代というのはかなりオカシな数字になります。

 

 平安時代の平均寿命が、男性貴族が50歳代女性貴族が40歳代であることを考えると、数字が整い過ぎているのです。

 

 しかも豊斟渟尊だけが二倍曆じゃないと解釈出来ないのも腑に落ちません、これは後から「何かしらの情報」を元に書き加えられたものじゃないかと思います。

 

 この中で一番信用できる情報が逆に、豊斟渟尊の26.1歳じゃないかと考えます、また人の関係性がホツマツタエと違っており、どちらが正しいのかを聞かれれば、私は「ホツマツタエ」に一票を投じます。

 

 では「神皇記(宮下文書)は偽書なのか?

 

 それは違うと思います、ただ単に記録をした人が聞いていた話が「間違っている」だけだと思います、なぜなら確かめようが無いレベルの内容だからです。

 

 徐市は始皇帝の家臣でもありましたので、暦は古代中国の暦を使用していて、それは「太陰太陽暦」である事は分かっています、なので徐市より前の時代の記録は365日/年をベースに書いていると考えられ、天之御中主神の情報などは「徐市由来の情報」であると思います。(ホツマツタエにも全くない情報です。アマテルの後の記録なら当然かも知れませんが。)

 

 イザナギの在位期間が28.4年は少し長いように思いますが、イザナギから16穂になっていたなら在位期間は14.2年となって妥当な数字になります。

 

 ということで、そのまま謎を一気に解くというのは難しい事が分かりました。

 

 私もこのたび入会した「富士山と相模の徐福文化研究会」では「宮下文書の現代語訳」を刊行する予定があるそうです。

 

 この手の本は研究者向けに少部数だけ発行され、その後は古本にて高価に取引されれる様になるので、欲しい人は入会して情報を提供して貰うと良いかも知れません。

 

 徐市~イザナギまでを研究するには、選択肢がないので、これ以上の正確な追求は難しそうです、概ねの年号は特定した通りなので、そちらの方が重要かもしれませんね、私は徐市の前や神農黄帝三皇五帝の時代が気になっていて、中国の伝承の中に「日本人」だと思わせるものがないか、伏羲天之御中主神なら、その息子の一人がメソポタミアへ行ったとする伝承が無いか調べてみたいと思っています。(中国古代史の良い本を見つけるのが大変そうですが...

 

 また東日流外三郡誌には新たに発見された東日流内・外三郡誌の史料もあるそうです、誰か活字に起こしたものを発行してくれないものでしょうか。(古田武彦著

東日流[内・外]三郡誌 〈ついに出現、幻の寛政原本! 〉 | 古田武彦, 竹田侑子 |本 | 通販 | Amazon さん

 

 他にも『東日流外三郡誌』には次の一文があります、「アリヤン族に女祈祷師ありて卑弥呼と号す。妖術を以て日輪を暗に幽め、原住のサルタ族を怖らしめ、国王の猿田彦に裸舞女宇津奴と称す妖婦を献じ、心を感化せしむ。」とあります。

 

 えっ!? 卑弥呼ばあちゃんアリヤン人(アーリア人)なの??? と、ツッコミたくなる内容なんです。

 

 つまり、徐市アーリア人という事ですよね。なら日本人もアリヤン人!←→アリヤン人は日本人!

 

 古代史は「不明卑弥呼不明徐市不明神農不明」で点在する情報のみが一人歩きしているだけなんですよね、ただ民族の場合は「言語容姿宗教」とどこで分離するのか、遡るほど曖昧になっていきます。

 

 先のユダヤ人などは、同じ宗教観や血縁関係から「兄妹・親戚」までは言えそうですし、サカ族も「従兄弟」くらいの関係と言えそうです。

 

 この前テレビを見ていたら「カザフスタン」だったかな、顔がそっくりだったんですよね、現代人の日本人とソックリだったのでビックリしました、キルギス人はもっと似ているらしいので、いよいよアトランティス=日本が現実になってきている感じがします。

 

 

 「知らない」という事は本当に恐ろしい事です、だいぶ昔のCMで「人類みな兄妹」と言っていましたが、坂本龍馬西郷隆盛なども「四海兄弟(しかいけいてい)」という熟語を好んで使っていました、歴史研究の結論も同じようになりそうです。

 

 ケンカしている人達は何なんでしょうね~???

 

 龍海