この伝承は「源行近のブログ」に朝山町に小野小町の伝承があることが書いてあり、そこから辿って見つけたものです。(源行近氏に感謝!)
出典元は『郷土史朝山村』としてあるので、地元で語り継がれた伝承の様です。
舞台は「小野川にあった殿海の淵」という所で、現在は「どこにあったのか分からない」とありますので、あくまで伝承としているようです。
場所は出雲大社の南東です、ここに小野川があるのですが、地名に「小野」はありませんでした、その事から分かるのは大化改新以前の支配地で小野氏の統治下にあったのだろうと思います。
日御碕神社の社家、小野家の領地だった可能性が高いと思いますので、クシミカタマ(神武天皇の頃)より後の時代の事だと思います、また小野小町は初代が八世紀(奈良時代)、十四代が南北朝の時代となりますが、伝承内容から考えると、
①小野小町が立ち寄って住んだとする家があった
②小野小町は同族の家を宿代わりにしていたので、小野氏の家があった
③同地には「殿海の淵」という伝承が別にあった
となると思います。
鳥取県の伯耆町に生まれた三代目の小野小町が最も場所的には近い小野小町ではありますが、伝承内容が「百夜通い」の内容になっているので、あるいは三代目の小町が出雲大社へ遊びにいったついでに起こした”事件”があったのかも知れません。
もう一つ可能性があるのは、十四代目の小野小町で、山陰の小野氏達へ足利尊氏との戦の結果や小野氏の方針を伝えながら、京都へと上っていた時に、この地の小野氏へ逗留した事が伝わったとするものです。
私としてはこちらの方が正しいのではないかと思いますが、決め手には欠いております。
ですので、私の説は「十四代目の小野小町が京へ上がる途中に立ち寄った」としたいと思います。
伝承の内容は、『斐伊川水系 神戸川中流域河川整備計画』の中の「5.4 伝説(5)」、にある出典:『郷土史朝山村』から引用します、
「(5)殿海の淵(出雲市所原町)
所原町殿森の小野川のほとりに小野小町が住まいをしており、王院山の貴人がこの小町に恋をした。小町はその思いを受け入れ、貴人は九十九日間通ったが、百日目の明け方に小町は殿海の淵に身を投げてしまった。淵の岩の真中に底知れぬ穴があり、もしもふざけてその穴に触れると、一天にわかにかき曇り、雨が降ったと伝えられている。この淵は、今ではどこにあったのか分からない。
(出典:郷土誌朝山村)」