神奈川県厚木市小野小野氏の発祥の地です。

 

 地名が先で、そこを領地とした瀬織津姫が夫に天下春命を迎え、その子らが領地の「おの」を名乗りはじめたのが小野氏です。

 

 小野氏は女王の瀬織津姫が生んだ一族で、大山積という地神大王家の血筋を受け継ぐべく生まれた一族で、天神王家天忍穂耳尊が継いだことで、天神大王家と一対の存在としてあったのではないかと思っています。

 

 瀬織津姫天照大神が女性だと思われてきた事からも分かる通り、アマテルが大王として機能不全となったなか、女王として孤軍奮闘し、各地を精力的に廻り善政を行っていたことによるものだと思われます。

 

 初代の小野小町の母方は鎌倉市小町だと思いますが、父方は厚木市小野にいた小野氏である可能性は高く、六歳を超えてからは厚木市小野で生活をしていたのかも知れません。

 

 

 小町神社丹後局が建てた神社ですが、丹後局本人は五代目の小町の子孫だと思われる事から、この地に来て生誕伝承を聞き、ご先祖の吉子がここで生まれたのだと勘違いしたのだと思います。

 

 当時の小町小野家3代目4代目の情報が残っていた可能性が高く、それぞれ鳥取京都で生まれた事を知っていたと思いますので、それ以外で生誕伝承があり、小野氏の発祥の地となれば吉子だと思ったんだろうというわけです。

 

 小町神社のある山頂には「小町塚」と呼ばれる古墳がありました。

 

 

 現地で見た小町塚は思いのほか小さく、写真だけで判断していた頃は瀬織津姫の古墳だと思っていましたが、さすがに小さすぎて瀬織津姫では無い様な気がしています。

 

 もしかすると、瀬織津姫の後に小野に入ったマウラの墓なのかも知れませんね。

 

 これで、瀬織津姫の墓探しは振り出しに戻ってしまいました。

 

 次に訪れたのは「小野神社(閑香神社)」です。

 以外に立派な神社で愛甲氏が再建しただけある感じがありました。(もっとちっちゃい神社をイメージしてました。<(_ _)>)

 

 

 今は日本武尊が祀られていますがこれは明治時代からのことで、江戸時代までは天下春命が祀られていたそうです、多摩府中小野神社と同時代だと思われる事から本当の祭神は「瀬織津姫天下春命」だと断言して良いと思います。

 

 ではなぜ天下春命だけなのか?、それは天皇家皇祖神として天照皇大神を祀っていた為ではないかと考えます。

 

 天照皇大神とはアマテル瀬織津姫を一対の神とする神号なので、天皇家皇祖神氏神として祀る事が出来なかった為だと考えるからです。

 

 なので、小野氏としては最初は天下春命のみを氏神として祀っていたが、神武天皇をたすけ、小野氏地神大王家となって瀬織津姫を氏神として祀れる立場になってから合祀されたと考えます。

 

 その後も氏族が祀る神というのは変遷が見られ、神社名と祭神が一致しないところがチラホラあるのは皆さんも見られた事があるのではないでしょうか。

 

 例えば三島大社の祭神は事代主ですが、もともとは「三島」を祀っていたと思います。

 

 しかし三島大社を建てたのが三島の娘だった為、息子の系譜に三島を祀る権利が移り、三島大社の祭神が変わってしまったと考えられるからです。(ついでに三島大社の権利も移ったんだと思います。)

 

 古代史には紆余曲折がありますが、丁寧にひもといていけば、何があったかはだんだんと見えてきています。

 

 これからも謎を解き明かしていきますので、期待していてください。

 

 龍海