神武天皇を救った金鵄(きんし)は小野氏だという解釈を説明いたしましたが、その続編と呼ぶべき内容が『長久寺縁起』に残されているいる様です。

 

 原文を読みたいなと思うのですが、みつからないので詳細は、また機会を得てからということで、色々な所で紹介されている内容を見てみましょう。

 

 場所は小野榛原とは違う登美という土地です,近くには春日があり小野氏が進出していてもおかしくは無い土地ではありますが、話の流れてきには神武天皇を助けた褒賞として長髄彦の領有していた土地を貰ったと解釈する方が適当だと思います。

 

 なので2カ所ある登美のどちらがという議論もありますが、私は両方とも長髄彦が支配していたと思っています。

 今は完全な住宅街になっているようですが、奈良時代、聖武天皇の頃で一帯は開発されていない原野のイメージで読んでください。

 『長久寺円生院』の紹介から引用しています。

 

「約1300年の歴史を今に伝える生駒の古刹、長弓寺円生院
1300-year history of Enshouin

奈良県生駒のお寺 円生院
神武天皇、長髄彦(ながすねひこ)の古跡豊かな鳥見郷(登美郷)の地に接する真弓山長弓寺は現在三塔頭が院門を構え、長弓寺を護持しています。
寺号縁起は奈良時代、この地の豪族である小野真弓長弓(おのまゆみたけゆみ)が養嗣、長麻呂(ながまろ)とともに聖武天皇に従って度々この鳥見郷で狩猟されたことに始まります。
神亀五年(七二八年)のある日のこと、森より飛び立った異鳥を追いこれを射落とそうとした長麻呂は、誤って父である長弓を射殺してしまいました。
天皇はその悲運な最後をご覧遊ばされ、深く憐れみを垂れ給い、行基に命じてその冥福を祈るためにこの長弓寺建立の詔を発し、十一面観音を祀り菩提を弔うとともに自らも仏教に帰依してこの寺を深く信仰されました。
その後、長麻呂は父の菩提を弔うため陛下の御命に従い出家し、法名発心房と号しました。
彼の妻であり長弓の実娘、白菊姫と呼ばれていた大神円生姫も同じく髪を切り仏門に帰依し円生法尼と号しました。」

 

 これを神武を救った金鵄、小野氏の末裔を異鳥に見せかけ射殺した話だと読むと、途端にホラーになりますが、実際にそのような意図が働いた可能性はあるのではないかと思っています。

 

 過去の因縁がふきでた事件かも知れませんが、小野氏の背負うものの大きさを示す伝説といえるのかも知れませんね。

 

(小野真弓の塚石、↓から引用させていただきました。)

 

 

(小野真弓の墓)

 

 

 

 

 龍海