倉稲魂(クラムスビ,うかのみたま)と大年が双子の兄妹だと分かり、倉稲魂の娘が大食津姫(おおげつひめ)だと分かりましたので、ウケモチの系譜について少し考察を加えてみたいと思います。

 

 まず「ウケモチ(保食神)」とは食料生産の為の大臣の様な役職で、個人名とはいえないのだと思える事です。

 

 これはクニサツチの子の中で食料の管理を担当する大臣だと思われ、食料庫の管理や生産指導などを受け持っていたのではないかと考えられ、女性が任用されていたのだと考えています。

 

 その後にそれぞれの領域(国)で食料担当が生まれていきますが、ヤマト王権としての役割として「種(たね)の保存や管理」、食糧事情の把握、食料生産に向く地の開発などを受け持っていったのだと思います。

 

 ホツマツタヱでもウケモチとして登場しますが、兄妹のハゴクニトヨクンヌも厳密には名前では無いような気がしています。

 

 またホツマツタヱにはウケモチの孫として「カダマロ」が登場しますが、これも解釈が難しいのですが、荷田氏は江戸時代でも東丸(あずままろ)という名前を付けている点からも「○○マロ」という名をつけていると考えられる事から、カダマロから荷田氏はスタートしていると思われます。(文献上の日本最古の氏族?

 

 難しいのは初代のウケモチが女性であり、かつ母系の氏族である点でしょうか、例えば神大市姫素戔嗚尊との間に生まれた娘が倉稲魂ですが、これは素戔嗚尊の娘と表現されると同時に神大市姫の娘と表現できる事にあります。

 

 素戔嗚尊が実質の大王であった為やホツマツタヱに残されている情報がメインである為に父系の系統で表現されている為です。

 

 天神王家から見るとクニサツチの子であるウケモチは天神と見なしていたと思いますが、肝心のウケモチ家は母系で判断しているので、神大市姫の娘だと思っているのです。(伝説では神大市姫ハニヤスで、素戔嗚尊軻遇突智である可能性は高いと思います。)

 

 神大市姫の事もヤマツミの娘と伝えられいるので、父親は大山積のオモタルである可能性が高いと思いますが、母方はウケモチ系なので生まれた娘はウケモチ氏族の娘だと思っている点が問題を引き起こすのです。

 

 ホツマツタヱの記録者は父系で記録しても、実態は母系なので素戔嗚尊の子であっても伝承上は倉稲魂大食津姫ウケモチの系譜として伏見稲荷に祀られているのだと思います。

 

 小野氏母系制だったのでウケモチ系と事情が同じではありますが、母系氏族として大きく発展しましたので他の氏族にあった権利などを継承している様子が、猿女の養田などの問題となって平安時代に出てきていたりするのです。

 

 猿女の養田の問題などは猿田族の権利をアメノウズメが引き継いで「猿女君」となり、その系譜にあった長髄彦神武天皇との戦争を小野氏が参戦する事により幕引きとなった為に、恩寵として引き継いだのかも知れませんし、猿田彦の系譜から小野氏へと壻に入り、猿田彦系小野氏がいた為かも知れません。(今のところ不明です。)

 

 古代史の解釈は現代と違う解釈が多く存在しているため、解釈をめぐり諸説を生む原因となっています。

 

 小野氏陰の大王家だとする仮説も展開しましたが、これも間違いでは無く、地神の大王家とは他の氏族を支配するのではなく、共存する為の兄貴分(リーダー)的な立場であり、もめ事を起こした時には仲裁に入る役割を担っていたのだと思います。

 

 だからこそ大王家といっても政治的な支配体制は存在しないため、歴史書なども存在していないのだと思います。

 

 徐市(じょふつ)に始まる中央集権国家の思想は、から移住してきた徐市には当たり前の事だったと思います、しかし移住先にあった日本にはさらに古い時代から地方分権の部族国家があり、各部族が王家と仰ぐクナト王の直系の国があったわけです。

 

 つまりヤマト王権は中央集権と地方分権を両立させるように生まれた合衆国だった訳です、これは小規模ながらも世界初の合衆国だったと言えるものなのだと思います。(アメリカに先立つこと二千年)

 

 古代史を理解して、良いものは現代でも応用していきたいと思うのですが、今は中央集権が強くなりすぎて地方から反発されている現状にあります、是非政治家には古代の様子を勉強してもらって、中央に権力を集中しすぎると二代目~四代目の天皇のように地方から討伐される結果を招きますよといいたいものです。

 

 龍海