神武東征の本当の意味について、まだ引っかかっていたので、更に深掘りしてみたところ、思いのほか深く重いものだったので、ズーン!となりながらも、その意志を受け継ぐ気になりました。
私は日本人とは主に「倭種」と呼ばれる縄文時代に人達に南方系の人種が加わっていた所に、弥生時代に倭人と呼ばれる倭種と同系の人達が移住してきて融合していったと考えています。
トミの長髄彦が何故、邪馬台国は我々の国だ!と主張するのか?
その謎が解けていませんでしたので、その根底となる概念について謎のままでした。
しかし、今回、「トミ」から辿るとその意味が分かったのでご紹介したいと思います。
まずはおさらいがてら、神武東征の時の金鵄(きんし、金色の鵄)とは小野氏の事だと言いましたが、その証拠は「等彌神社(とみじんじゃ)」に残っていた様です。
等彌神社とは神武が小野氏に祀らせた「霊畤(まつりのにわ)」の後衛と呼べる神社です、初めは宇陀市の榛原にある鳥見山にありましたが、1112年に山崩れがあって今の位置に移動した様です。
小野氏に祀らせたという根拠は霊畤があったのは上小野榛原(かみつ おののはりはら)としているからです。
天皇の最も重要な仕事は皇祖神を祀る事なので、他人に祀らせる事はありません。
今でも大嘗祭はしてますから分かりますよね。
つまり、いま伝わっている日本書紀や古事記の記述は後世の誤解が含まれていて、神武天皇が皇祖神を祀ったのではなく、小野氏に皇祖神にあたる「瀬織津姫」を祀る権利を与えた!と解釈するのが正しいからです。(等彌神社の祭神が大日霊女貴命(瀬織津姫)だからです。)
小野氏神として小野神社で瀬織津姫を祀っているのも、その証拠になりますよね。
では残されていた証拠というのは、等彌神社の神紋です、神紋とは神様の紋、又は祀った人の紋である事が多いので、家紋の様なものだからです。
では等彌神社の神紋はというと、「古代日本のヒモヅケ文明」さんのブログに貼られていた写真から引用させて頂くと、
写真上の「金色のトビ」が神紋なんだそうです。
つまり、小野氏が金色のトビだと伝えているのです。
普通ならここが驚きのポイントなんでしょうが、私が驚いたのはこの後でした。
小野氏が金鵄なのは、まぁ予想通りでしたが、山の名が「鳥見山(とみ山)」である事が重要でした。
トミの長髄彦や、鵄(トビ)、外山(トビ)、鳥見(とみ)、全て意味があった様です。
出雲には「富(トミ)」家という古伝承を有する家があり、同家の伝承では事代主の末裔と血筋は聞いている事、3500年前にクナト王に率いられインドから移住してきたと伝え、「神門家」と「富家」に分かれたそうです。
普通に読むと分からないと思いますが、出雲には倭種の王家、トミ王家があり、大山積と婚姻してその系譜が神門家となりオホナムチの系譜に、元の王家を継ぐ家が富家となったと読むと、あ〜ナルホド!となります。
つまり富(トミ)とは縄文系の倭種の王家という意味になるのです。
古代は漢字じゃなく、平仮名の世界ですので後から当て字で、富、鳥見、等彌、登見とかの字を当てているのです。
では鳥見山に祀ったという意味や、トミの長髄彦との戦争の意味ですが?
大国主の国譲りの意味も、倭種の王家、トミ王家の立場を譲ったという意味に他なりませんよね。(つまりアマテルの唯一絶対の陰陽の神というのは、天神と地神を兼ねる現人神、大山積の様な二つの王家を否定する考え方だった訳です。アマテルは高皇産霊尊の血筋なので、実態としては地神のトミ王家の天神による乗っ取りだった訳ですね。)
しかし男系や女系でトミの血を引く人達は、依然としてアマテルの系譜を否定して大王の位に戻ろうとしていた訳です。
なのでトミの長髄彦を討伐した小野氏が鳥見(とみ)の山に皇祖神の瀬織津姫を祀った意味は、古いトミの王家のトップを瀬織津姫として陰の王家としたという意味だろうと思います。
そして瀬織津姫を祀る権利を得た小野氏とは、陰の王家を継いだ王家という意味になり、大山積系の中で小野家がトミ王家の継承を果たしたのだと思います。
だからこそ、素盞鳴尊を祀る権利を小野氏が継いだのでしょう、素盞鳴尊とはトミの大王と仰いでいた存在だろうと思います、たから牛頭(そしもり)にも呼ばれて、倭種たちの仲裁を頼まれたのだと理解出来ます。
その後の卑弥呼(世襲足媛)の時も理由は同じなのでしょう。
トミ王家はインドでシャカ族が分かれ土着したものと思います。
私の中の仮説では、イザヤ書にある予言を受けて日本に辿り着いたのが、トミ王家で、北イスラエル滅亡時に予言の国へ移住したのが後発組の倭人としています。
倭人はトルコに近い所に住んでいたので、製鉄技術をもって移住した為、トミ王家よりも強力な軍事力だったのだと思います。
では討伐されたモチコのグループは?
私はモチコも倭種だと思います、ただトミ王家から分かれロシアを経由して、東の果ての島が無かったので、南に降りて、北から日本に入ってきた倭種だと思います。
お互いに記憶がどれだけ残っていたかは分かりませんが、少なくとも三代目の大山積はトミ王家と婚姻している様ですので、オモタル・カシコネまでは後発の倭人と先発の倭種の婚姻を繰り返していたのではないでしょうか。
だからこそ、二人で一つの現人神とした理由も2つの王家が一つとして合わさったものが、大山積王家であったわけです。
イサナギ・イサナミはどちらも高皇産霊尊の血筋なのですが、アマテルの時に女王が出雲ではないと不満が爆発したのだと理解出来ます。
たから出雲の象徴で女系の瀬織津姫を女王として不満を押さえのだと理解出来ます。(アマテルが陰陽を併せ持つ唯一無二の存在としたのが、バカタレー!!!!となったのてしょうね、トユケは歴史を知らなかったのか、軽んじたのでしょうねー!)
これで少し古代の事が分かって来た様に思います、これまでは出雲王家とは素盞鳴尊の事だと思っていましたが、地神とはトミ王家を指し、後発組の倭人を天神を指し、クニサツチまでは天神で三代目のウビチニが天神、スビチニがトミ王家で一対の神となったと考えられます。
この時から陰陽思想も強まったのではないかと思います。
小野氏とは神武天皇の時にトミ王家を継ぐ王家として宣言された為に、ホツマツタヱに記録されなかった事も理解出来ます、小野氏の功績は地神の成した事として天神王家には記録したのでしょう。(だから金鵄になった。)
今は鵄として伝わる話ですが、ホツマツタヱでは「鵜(ウ)」と伝えています、私はこれも違う気がするのですが、元はエジプトのホルスの様な気がします。
ホルスと紹介されなければ八咫烏に見えませんか?(エジプトの三本足、杖をつくので3本足)
つまり地神のトミ王家とはエジプト由来のモーセの子孫にあたるのではないかと思います。
男王家、天神である後発組が継いだ為に、天皇家にはエジプトの記憶が残っていないのだと考えられます。
鍵となるのは天佐登美命という人物です、この人はノア、モーセ、イエスの末裔と書かれている人物で、素盞鳴尊の先祖にあたると書かれています。
素盞鳴尊は紀元前の人物なので、イエス・キリストの末裔とするには矛盾するのてすが、イエス・キリストではないイエスなら有り得るとは思います。(イエスという名前は下の名前にあたり、名字は無く、ナザレ村のイエスと名乗っていました。救世主(=キリスト)になったのでイエス・キリストと呼ばれる様になっていますが、イエスという名前はありふれた名前なので、いっぱい居たそうです。イエス三世とかですかね。)
今は天佐登美命の実在が確認できませんが、今回の件で実在の可能性は高くなりました。
なんてったって、「天さ('さ'は接続語)登美の命」、「トミ」の元祖だと分かりますよね。
長髄彦がワダツミに対して怒っているのも、ワダツミは天神だからでしょう!
大山積は天神と地神のハイブリッドで、地神の方にベースを置いているのは確かでしょうから、大山積系の女王を立てると争乱が収まる理由も分かります。(天神は地神が正統な王家との認識だったのだと思います。つまり天神は分家筋でしょう。)
これまでの歴史研究者もいいところをついていたと思います。(私の読んだ本の人達ですが……)
朧気ながらこの関係性について言及してましたから……。(何故かは分からなかったみたいてすが。)
二千年ぶりに私が表に出します、小野氏とはトミ王家を継いだ倭人と倭種のハイブリッドで陰の大王家、イサナギ・イサナミはワンポイントリリーフで、アマテル・瀬織津姫に始まる今の天皇家の前身が陽のハイブリッド大王家、そして時代とともに立場が複雑に入り交じった両王家こそが天皇家と小野家といえるのだと思います。(一昔前には絶対に書けない内容ですね。(笑))
龍海