東日流外三郡誌を読んだファーストインプレッションは前回書いた通りだったのですが、読んでみて気になったポイントを紹介したいと思います。


 まずはイエス・キリストの墓が岩手県にあることをお伝えしましたが、岩手県東日流外三郡誌を書いたアラハバキの主たる地域なので何かあるのではと期待していた一つになります。


 今は「古代編」を読んだだけですが、全く書かれてはいませんでした。


 これは東日流外三郡誌安日彦に始まる歴史である為なのか(安日彦神武世代なので、キリストはさらに百年くらい前だから?)、墓そのものが後から作られたものか、アラハバキとは全く交流がない部族の管理下だったかのいずれかだと思います。


 今は私の知る情報からは、後から作られたとする考えなのですが、最も高い可能性としてはイエス・キリストの末裔が日本に渡来してきて5〜7世紀に供養塚として作った可能性があるのだと思います。


 取り敢えず、東日流外三郡誌にはイエス・キリストの情報は無い!(古代編にはですが…)という事になります。


 次は江戸末期に書かれた内容に「アリラン族の卑弥呼」とする記述がある事です、幕末に卑弥呼アリラン族(アーリア人)とする情報が何処から来たのか???


 ある意味当たっている可能性が高い(解釈にもよりますが、純粋なアーリア人ではないとは思ってます。)だけに、この情報源は是非知りたいのですが、最近見つかった東日流三郡誌にもしかすると書かれている内容なのかも知れません。


 東日流内三郡誌はまだ翻訳されておらず、漢文の原本を写真撮影したものは発表されていますが、読む時はまた別の意味でシンドイので、出来れば完訳された形で読みたいのですが、謎解きが早すぎると自分で読みたくなるでしょうね〜。


 ともあれ、大山積系をアリラン族とする何かがあるのは間違いなさそうです。


 アリラン(アーリア)人は部族連合国家をメソポタミアでも作っているらしく、日本における国家の成立と同じ事をしている様です。


 但し言語は違う様に感じられるため、倭人というのはアーリア人やユダヤ人など多くの人種達と交わる事で、ことさら独特な文化を築いていった人種の様に思えて来ました。


 つまり、今の日本人と同じで外来から来た良い慣習は取り入れ、和風化し、いつのまにか倭人独特の文化に置き換わっているという事です。(ラーメンみたいなものですね。日本発祥と思われ始めてますよね。(笑))


 なので、アーリア人が正解かというと、厳密には不正解の様であり、ユダヤ人が正解かと思うと、イエスでもありノーみたいな感じでしょうか。


 もう少し読み込んで、また面白いことをお伝えしようと思います。


 龍海