ヤマト王権について、理解が深まったので、小町っちゃん用のデータベース作りが続いた事もあって、今回は古代のヤマトについて考察を披露したいと思います。


 まずは倭人王家の慣習からですが、そもそも倭人達の王家は大王の子供たちのうち「5人の男と3人の娘」を皇后の子として選び、それぞれを王(村長?)として選び、それぞれに民と臣をつけ独立させ、国(村レベル?)を起こさせていたのだと思います。(8人の子を確認できるのは、クニトコタチクニサツチソサノヲアマテルの4人です、男5女3を確認出来るのはソサノヲアマテルですが十分だと思います。)


 これが五三の桐五三の雲の原点であり、未開地の多い頃の、古代のルールだったと考えられます。(武力や開発、食料などの問題からバランスが良かったのだと思います。)


 その中で、クニサツチから始まる「ヤマツミ(大山積)」が本家で五代続き、日本へと入るタイミングの王家だった事もあり、絶大な権力を持っていたと考えます。


 五代目オモタルカシコネの後が無く、倭の君という立場はイサナギイサナミへと移りましたが、彼らの家は分家筋で武力も乏しく、依然、武力は大山積高皇産霊尊に頼るしかない状況でした。


 武力が無い王家に育ったアマテルは強い王家を目指し、その為、先住民の倭種にその原資を求めた結果がモチコとの結婚でした、それを阻止すべく倭人達からも多くの后が送られますが、アマテルは傀儡になることを望まない為、モチコを皇后に選び天穂日命を皇太子にしました。


 これに反発したのが大山積です、モチコを皇后に迎え、天穂日命を皇太子にした事は、実質的に倭人の王家が倭種に乗っ取られる事を意味し、アマテルのわがまま(馬鹿?)の為に倭人王家を乗っ取られる訳にはいかないので、イサナギの血筋のソサノヲをヤマツミ系に婿養子に入れて出雲を継承させ、独自に大王を立てたのだと思います。


 当然、怒ったのはアマテルモチコです、予定通りにモチコを旗印にし倭種の連合軍(6ハタレ)を起こしソサノヲを討伐しに攻めた話がヤマタノオロチモチコ)伝説です、このときに蜂起した6ハタレはソサノヲヤマツミ連合軍)によって討伐された結果、歴史上、反乱軍として扱われました。(勝ったソサノヲが大王になった為で、本当はアマテルが非難されるべきですが、モチコスケープゴートにしたのだと思います。)


 この時に実質的な大王(男王)はソサノヲに移されました、そして女王は瀬織津姫ホノコになったのだと思います。


 つまり、アマテルはまったくの飾りとなり、出雲が男王、大和が女王という大山積という括りによる王権になっていたと推測します。


 しかし死期が近くなったソサノヲ瀬織津姫ホノコとはソサノヲ亡き後のヤマト王権について相談し、次の大王は瀬織津姫ホノコの息子にすることにソサノヲは同意し、その後ほど出雲へ帰る途中、備前熊山辺りでソサノヲは亡くなった様です。(オホナムチが王権を手放した訳では無い事が書かれていました。)


 これにより事情を知らない者達から見て、まだ生きているアマテルを盟主(本当は瀬織津姫オシホミミ)としたヤマト王権が誕生し、サクラウチオモヒカネを左右の臣とし連合国家(主に大山積と高皇産霊尊の連合ですが…)が誕生しました。


 では大国主(オホナムチ)の国譲りとは何だったのか?


 私は出雲国というよりも出雲に多くある砂鉄の採掘権にあるのだと思います、大国主であるオホナムチも色気を見せてゴネたのだと思いますが、単独で王権を樹立出来るほどの味方はいなかったと思います。


 最終的には大国のまま最強軍を率いるヤマト王権の「大物主」という地位で納得し、ヤマト王権へと合流します。


 アマテルは長生きしたと思われ、サクラウチ瀬織津姫など自分が頭が上がらない者達が亡くなると、自分が大日靈(オオビルメ、本当は女性の霊能者を指す言葉)だったなどと嘘をついて後世の人間に誤解させたのだと思います。


 このせいで、アマテルが女神だったと誤認されたと思われ、実際には女王として精力的に動いていた瀬織津姫の功績がゴッソリとアマテルに上書きされたと考えられます。


 この様な形で生まれたヤマト王権ですが、国らしき事もしているので(ここでは省略します)、有力氏族の連合国家として、初期ヤマト王権と呼んで良いと思います。


 この後から他の氏族なども合流していき、ちょうど神武が立つ前には、国の在り方(氏族の勢力争い)に不満が出ていて、王家と国家の主流を決める争いが「神武東征」という形で現れたと思います。(これも面倒なので詳細は省きます。)


 この時に荒覇吐(東北勢)を除く連合国家となった為、改めて人皇として神武天皇を盟主と仰ぐヤマト王権がスタートしたと考えられます。(人皇という言葉は、それまでは巫女による神からの神託に従っていた政治体制が、人が決める体制に移した事を意味すると考えます。近代化ですね。だから倭国大乱へとなっていったとも言えますかね!?)


 これまで知られている皇国史観がいかに為政者に寄ったシナリオで描かれているか、分かった気がします。


 敗戦前の日本では議論さえ出来ない様な内容ですが、敗戦後は本当の事が知りたいという欲求もあり、ホツマツタヱも出てきた事も手伝って、ジワジワと本来の歴史が分かりつつあります。


 それでも解釈は人によって相当違ってきますから、これまでの歴史観にそったものが多いのだとは思います。(というか空気感を恐れて書けない人も多い気がしますが、ホツマツタヱの研究者などは色々書いているのだと思います。)


 私の見る限り、歴代の大王の中で、カッコいいと言える大王は、大山積〜イサナギ・イサナミとソサノヲ、瀬織津姫まででは無かろうかと思います。(倭国大乱の時に神託に依った卑弥呼世襲足媛も、女王として強権を発揮してカッコ良かったとは思います。)


 言い方を変えると、アマテル以降は傀儡の大王と言って良いかと思います。


 それでも王権が二千年以上も続いているのですから、それは誇って良いように思います。


 世界的にみれば、そんなに支持された王権は存在しませんからね〜。


 龍海