今日は古今集の巻12の恋歌を評価しようと思います。


 古今集は905年に出されたとされているらしいので、この間に誕生した小野小町は初代〜七代ぐらいまでだと思われ、和歌として採用されたのはこの内の誰かのものだと思われます。


 初代が752〜756年頃

 二代目の石子は757〜803年頃

 三代目の随心院の小町が、804〜819年頃

 四代目の重子は820〜837年頃

 五代目の吉子が838〜852年頃。

 六代目の氏野が862〜877年頃。

 七代目の秋田の小町が、878〜900頃と思うので、参考まで。(正確なものではなく、目安だと思って下さい。)


 小野小町は朝廷や天皇、他氏の情報収集もしていた女性だと思われるので、平安時代初期は連綿と続いていたと思われる事や、叙爵や叙位により通称で名前が知れ渡る事により、小野小町を名乗らなくなった可能性もあります。(全員ではなく、後任がいない間は小野小町を名乗っていたと思います。和歌の名乗りとしてですかね。)


 これを踏まえて和歌を見てみましょう。


今回は、以下のページを参考にしました。

http://www.milord-club.com/Kokin/prf/05wo_01.htm


「552

 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを


意味:あの人のことを思い続けて見た夢だから、あの人の姿が見えたのだろうか、夢だと知っていれば目覚めずにいたものを、という歌。」


 う〜ん。全く分かりません。

 小野小町が誰かを想って見た夢を表現していますが、若くない女性の和歌の印象があります。


 これは恋愛ではなくて、愛していた連れ合いをなくした女性が詠んだ歌では無いでしょうか?


 夫に先立たれた女性は、初代・三代・五代・六代・七代の可能性がありますが、「題知らず」なので、これ以上は無理だと思います。


 初代は小野石根遣唐使船の難破で亡くしていますので、悲劇性があり、石根の事を思っていた様子がイメージ出来ます。


 五代目の吉子さんは仁明天皇が若くして亡くなっているのですが、その時は吉子さんも若く、少し年齢が違う様な気もします。


 私のイメージでは初代の小町の様な気はしますが、他の小町の情報が無いため!決定打には欠けますので、初代を第一候補とする程度で良いかと思います。


    龍海