今日は「卒塔婆小町」です。


 この作品が小野小町の印象に多大な影響を与えていた事は紛れもない事実です、しかし当時の小野氏からはあり得ない状況ですので、今は明らかな創作として読む事できます。


 創作とはいえ、小野小町の真実の事を伝えている部分もあると思いますので、期待して読んでみようと思います。


 参考にしたのは、最早おなじみになった、「銕仙会 〜能と狂言〜」のページを参考にしていきたいと思います。

http://www.tessen.org/dictionary/explain/sotowakomachi


 では、要点をピックアップして、


○汚らしい身なりで登場した老婆

○卒塔婆に座った小町を叱る僧侶を逆に論破してしまう。(当時の僧侶というものは知識人の最たるものだったので、乞食の様な老婆に論破されることはあり得ない事として表現していると思います。)

○老婆には物怪が取り憑いていて、中でも深草少将が強い恨みを抱いていて、「小町の元へ通わねば」と言い始める。

○百夜通いの事を描写し、九十九夜を通い残り一夜となった夜に胸が苦しくなり死んでしまう。


 何と!、全く参考になる部分(小野小町が誰なのかを特定するのに必要な情報としてですが…)がありませんでした。


 しいてあげれば、小野小町深草少将の怨霊に悩まされていた、という点でしょうか、あと一点は小野小町は博識な女性で、僧侶も敵わない程の知識人である点でしょうか。


 当時の女性というものは、「仮名、かな」は読み書き出来ても、「真名、まな」=「漢字、漢文」は読み書き出来ない事が当たり前であり、その様な教育はされない事が当たり前(女性にはですが……)でありました。


 なので、仏法などを伝えた書物や、唐から伝わった書物も読めず、必然、女性は知識に乏しい時代でありました。


 なので、小野小町は博識という点で、間接的に「真名、まな」の読み書きが出来たであろう事を伝えています。(当時は、一族の中で博学な者を教師として、一族の若者を集め教育するという、「家学(かがく)」という、塾みたいなものが、氏族ごとに行われていました。小野篁などは空海が身近にいたと思われる事から、仏教に関する知識も、生半可な僧侶を凌駕していたと思われ、その知識が小野小町にも伝えられていたとする事を伝えたかったのかも知れません。)


 という事で、小野小町の足跡を知る上では役には立ちませんでしたが、小野小町がどういう女性だったかを知る上では役に立ったと言えるかも知れませんね。


 龍海