昨日は愛媛県までぶっぶーと走ってきました😀。車でですが……。


 目当ては愛媛県立図書館にある『小野家系図

』です、


 巻物の家系図で、期待していた小野小町の部分については上図の通り、頼風道風義実小町はみな同じ一族だよと、自家が名門てある事を誇る為に書かれたものでした。

 しかし、この家は惣本家ですから、誰よりも新居浜市にある小野氏について詳しい家でしたので、かなり参考になる資料でした。

 答えを言うと、まさかの「讃岐好古小野家」だと思います。

 先祖が、「中務」を名乗っており、これは讃岐好古小野家の事だからです。

 まだ丁寧に検証をした訳ではないのですが、讃岐備中伊予新居浜)と移動した家で、讃岐にあった時は、橘氏を称したり、家紋が下がり藤(藤原氏)だったり、讃岐好古小野家の疑問の部分が書いてありました。(備中でも橘氏を称する小野家があったのです。何故なのかずっと疑問でした!)

 なので、これから系図について詳細を研究していきますが、凡その答えは出ているのです。

 では、新居浜市には小野小町の子孫の伊予好古小野家は居なかったのかといえば、否!、多分居ると思います。

 この写真を見て頂きたい、

 これは新居浜市大生院にある「小野宮神社」の写真です。

 神社の近くにいた、おじいさんに話が聞けて、「小さい方が小野家のご先祖、大きい方が小野小町、家に巻物があったから建てたらしい」と教わりました。

 「まだ小野さんて居るんですか?」と聞くと、下の方に居ると言われてたので、普通に大生院にまだ住んでいる様でした。

 

 これは「小野宮神社」にあった神紋ですが、小野家の家紋だと思われ、我が家と同じく「五三の桐」で天足彦国押人命系小野氏の家紋を使っていました。

 これで、判別が出来ます、家紋が五三の桐は恐らく伊予好古小野家の末裔で、小野小町の子孫になるのだと思います。

 それ以外は讃岐好古小野家の末裔になると思います。(但し、讃岐好古小野家にも小野小町が嫁いでいる可能性が高いのですが…)

 また、それを伝える巻物があるということなので、現代まで残っているならば、有力な情報になる事は間違いありません。

 ということで、やはり現地に行かないと分からないという事が、ここでも証明されてしまいました。(東北は遠いので、流石にシンドいんですけど………、いつかは行かないといけないのですよね。)

 私の結論は、結局、伊予好古小野家小野小町の末裔で、今は新居浜市大生院にいるという事になりました。パチパチパチ🎉🎉🎉

 龍海