暇つぶしに歴史の書き込みを読んでたら、次の書き込みがあったので、ご紹介すると、

「隋書 卷八十一 列傳第四十六 東夷傳 倭国に、開皇二十年俀(倭)王姓阿毎字多利思比孤號阿輩雞゙(鶏)彌遣使詣闕」とあって、


 皇(すめら)が開き二十年、倭の王は姓を阿毎(あま、あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ、たらしひこ)が阿輩鶏彌(あふきみ、おおきみ)を号す。


 と書いていて、私にすると小野の先祖の「天(あま)足彦(たらしひこ)国押人命」が大王(おおきみ)と号(ごう)していたとしか読めないのですが、天皇に名前がないので皆、ハテナとなっている様です。


 弟が日本(ヤマト)足彦(たらしひこ)国押人命なので、公称において、天皇には弟がなっているのですが、やはり予想通り、天足彦国押人命が大王(おおきみ)をしていた事実が消されているだけの様です。


 ではこの場合の皇(すめら)とは世襲足媛だと思いますので、大王(おおきみ)とは別の称号だった(※この時代は…)と解釈できます。(大統領と総理大臣の関係が近い表現ですかね。)


 まだ邪馬台国問題は取り組んでいないのですが、ポロポロ、こうやって情報が転がり込むので、メモ代わりにご紹介しときますね〜。


 これだけ多方面に世襲足媛卑弥呼とする情報が点在しているのに、気付けないものですよね〜。


 卑弥呼ばぁちゃんも、「何でやね〜ん」って言ってる気がします。♥


 龍海