小野一族の家紋は天足彦国押人命以後は「五三の桐」を使っていると思われますが、これの元は「五三の雲」から来ていると思われ、天皇家の十六菊紋も元は「日輪」だと思います。





 イスラエルに残っているものは、この日輪紋だと思いますが、孝昭天皇の頃には「天」からのモチーフである、「日輪」と「雲(雨?)」から、「地」のモチーフである「桐」と「菊花」へと転じているのは非常に興味深く、この頃には宗教感が少し変わったのかも知れません。


 桐の花の数は、代を経るほど増えて行く様子が見られますが、大山祇系の天足彦国押人命の子供達は「春日氏」を名乗り家紋を「五三の桐」に統一したのは、倭人宗家を示す矜持では無かったかと思うのです。


 天皇家は五七の桐と花が増えているのも、倭人の宗家としては二番手を意味していますが、「倭の君」という立場を十六菊で表しているように思えるのです。


 実は「五五の桐」という家紋を使っていた家もあるので(家名は分かっていませんが、家紋は残っています…)、この花の数にも意味がありそうなのですが、情報が少なすぎてよくわかりません。


 また、桐とは鳳凰のとまる木なので、天子の生まれる家という意味を込められているのは間違いないと思います。


 ダビンチ・コードのロバート・ラングドン教授の様に「象徴学」のジャンルになるかも知れませんが、良い情報に出会えたら、この謎も解き明かしてみたいものです。


 龍海