一応、最後まで読んだものの、分かった様で、まだ腑に落ちてません。


 高砂族とは原始台湾人の事を指す事は分かりましたが、隼人族を平定したのは「八幡神」らしいのですが、大山祇神社から伺われるのは、八幡神=大山祇という印象になります。


 今は八幡神の人が変わってるので、印象が違うのですが、古代に「小野氏」が八幡宮から神社を勧請している例が何回もありましたので、八幡神が大山祇なら納得です。(八幡神については他の研究者の情報なので、まだその方面から研究したことないのですが、方言などの民俗学的な一致からも納得出来ます。)


 今現在の私の解釈では、オオナムチが東日流に飛ばされた時に、アソベ族との間に子を成し、それが発展し、大山祇の血筋も入った事で「荒覇吐族」と自らを名乗り始めたのが、東日流の覇者であったという感じです。


 また、東日流には高御産巣日の同族の情報が無かったが為に、大和族が自分達だけだと勘違いしている印象を受けます。


 その上で、日向族に担がれた「神武」は大和族とは言えなかったのでしょう、高御産巣日が大和族のリーダーだった事は天津日嗣を天照の血筋から出すことに落ち着いている点からみても納得出来ると思います。(天照の時点では武力でいえば出雲勢の方が鉄のお陰で遥かに強かったはずだからです。その後は将軍職のオオモノヌシを出雲が担当している事からも分かると思います。)


 つまり、大和族は日本の7割を支配下においた時点で緩やかな連合国となり、筑紫(九州)を制圧、個々に国家運営をしていたが、神武の時に中央集権化を図ったら高御産巣日系が造反。


 意見の対立を武力衝突で決めたので、ひとまずは緩やかな中央集権化した邪馬台国が生まれたといった感じでしょうか。


 細部がモヤモヤっとしているのですが、目立つのは天照・素戔嗚尊系なのですが、必ず裏にいるのが「大山祇」なので、大山祇が実はゴッドファーザーの様な印象がずっとあります。



 これはウケモチ系にも共通しており、大山祇もウケモチ系ならば、彼らは平和主義であった印象が強く感じられ、相手からも敵視されていない印象を受けています。


 龍海