今、『東日流六郡誌絵巻』を読んでいますが、その世界感が分かりそうで分からないので、ブログに思考を書いたら、何か分かるかも知れません。


 まずは安日彦・長髄彦については否定する要素はないので、長髄彦のルーツについて考えると、ホツマツタヱにカグヤマ(カグヤマツミ、大山祇)の臣という記述があります。


 母系社会なので、臣に入るのは父親の元というルールがあることは、これまでにも書きましたので、恐らくは大山祇と高御産巣日の娘との間に生まれたのが長髄彦だったのだと思います。


 これは石塔山に大山祇神社を勧請している事からも説明出来ると思います。


 ホツマツタヱでは高御産巣日もウケモチも同族の様に書かれていますが、何故東日流外三郡誌などでは別族の様に書かれているのか?


 日向族や高砂族など出てきますが、ホツマツタヱでは宗教的に同族とみなしているが、血族としては違うのではないかという風に感じます。


 今でも地域を区切って人種を異なるとしている概念は続いているので、本当は皆近縁種ですがコミュニティとしては違う部族と考えると説明はつくように思います。


 その中で『邪馬台国』の覇権争いを高御産巣日出身として実行したのが、「長髄彦」と考えると少し分かる気がします。


 では、長髄彦は何故、東日流(ツガル)へと行ったのか?ルーツが東日流にあるのではと思いたくなります。


 東日流も高御産巣日の支配下にあった可能性は高いと思いますし、もうひとつ「荒覇吐(アラハバキ)」について考察を加えます。


 荒覇吐を三輪山に祀るという表現がある事から、荒覇吐とは素戔嗚尊の子供達の「誰か」という事になります。


 東日流へと合流した長髄彦の行動から、私はオオナムチの事だと思います。


 国譲りに抵抗したオオナムチは日隅君(津軽の辺り)として派遣されていますので、此時に地元豪族で高御産巣日の支配下であった娘に生ませた子が長髄彦の先祖と思われます。


 つまりは、ツボケ族・アソベ族から生まれた「天一族」という事になり、六ハタレとは別にクーデターを起こしたという見方が正しそうてす。


 後は本人のアイデンティティが「天」にあったのか、地元豪族にあったのかになりますが、読んだ限りでは、どうもチャンポンな気がします。


 オオナムチは素戔嗚尊の子で出雲の王であったと聞いている様子からも、自分は王族の末裔として意識が高い様に思えます。


 何処かの勢力が加担して祭り上げられた英雄ではなく(高御産巣日は協力していたのでしょうが)、単独で「天津日嗣」を否定して覇を唱えたのは、結局は覇者として名乗りをあげたが善戦虚しく敗れ去ったとするのが正しそうです。


 とはいえ、これが後の神武天皇後の東北系蝦夷と大和朝廷との永い戦いの幕開けだったのです。


 因みに、大山祇系から生まれた「小野」はクシミカタマ系の小野になっていくので、長髄彦の末裔の「安倍」とはキャラが被っています。


 しかし、「小野」は大和建国にガッツリ関わりますが、「安倍」は反逆するという真逆の歴史になっていることは歴史の面白さでもあります。(当事者としては大変だったでしょうが……)


 龍海