全く別の事を調べていると、「小野お通」が小野小町の子孫である事を自認していた伝承が京都に残っていました。

 

 正直、我が家の伝承しか残っていないと思っていたので、この情報に触れ、飛び上がるほどビックリしたのと、美作の小野お通さんは小野小町の子孫として「小野お通」と名乗っていた事に確信を持ちました。✧(>o<)ノ✧

 

 京都にある「東福寺」の塔頭(境内にある小寺)である「退耕庵」に「玉章地蔵」というお地蔵様があります。

 

(Pilgrim 東西南北巡礼記 より引用)
 
 この玉章地蔵ですが、以前は渋谷街道沿いにあった「小町寺」(補陀落寺とは別の寺です)にあったもので、明治時代に廃寺になるにあたり退耕庵に移されたそうです。
 
 この玉章地蔵は小野小町の恋文を貼って作ったとされる伝承をもっており、ある時、玉章地蔵に穴を開けられた事があったそうですが、後に小野お通が直して彩色したとされています。
 
 何故、小野お通が直したかというと小野小町の子孫であるからと伝承されていました。
 
 随心院は小野小町と関係ないと私は思っていますので、この玉章地蔵が小野小町の文張地蔵としては本物にあたるのではないかと思われます。
 
 美作の小野お通さんが神憑っていたことは、石碑の碑文から十分伝わりますので、先祖の小野小町から頼まれて直した可能性は十分あると思います。
 
 スピリチュアルな話から逆に本物と思える様な事例は、私のブログでも何度かあったと思いますが、私としてはお通さんに共感を覚える立場にありますので、ほぼ確信しています。
 
 因みに真田縁のお通さんは藤原氏であることが、子孫により証明されているので、小野小町の子孫にはなりえません。(初代の吉子さんの両親は小野篁と橘氏の娘が最有力、二代目の氏野さんの両親は小野良実と文室愛(珍)子、なので藤原氏の子孫が小野小町の子孫を名乗る可能性は殆どありません。)
 
 美作の小野お通さんは我が家の伝承と美作に小野小町の所領があったと思われる事から、玉章地蔵に関与した「小野お通」は美作の小野お通で間違いないと思われます。
 
 今度、ぜひ見に行こうと思っています。(笑)
 
 龍海
(画像は小野お通が描いたとする絵です。公益社団法人 本間美術館のホームページより引用しました。)