東日流外三郡誌について書かれた本の一つを読みましたが、偽書とする内容は確認できませんてした。


 書き手が正しい情報を抜き出した為かどうかまでは分かりませんが、少なくともホツマツタヱに書かれている事と矛盾はしないようです。


 何故偽書とされたかの経緯までは知りませんが、それなりに理由はあるのでしょうが、日本書紀、古事記を正史とする呪縛(呪い)にとらわれていた結果だろうと思われます。


 古事記も日本書紀も、編纂目的や編纂方法も段々と明らかになっている現在、参考以上のものを期待する方が無理というものです。


 少なくとも、古事記や日本書紀を編纂する過程では東日流外三郡誌(蝦夷のもつ記録)の様な情報も、ホツマツタヱにある情報も提供されていない事は明らかだろうと思われるからです。


 東日流外三郡誌の本を読んだ感想として、神武天皇の時に関東以西の高皇産霊尊系勢力とウケモチ系勢力とが融合し、統一国家に向けて歩みを始めた事により、高皇産霊尊系の本体である日高見国を含む東北勢力が袂を分かち反対勢力になった事が伺えます。


 これは時代の転換点でもあり善悪で語れる内容ではありません、どちらの勢力にも正義があり、後の世の現代人から見て統合された国家の方が強い事は結果から知る事のできる情報だからです。


 つまり卑弥呼の時代であからさまな対立があるとすれば、東ヤマト(日高見国を含む荒吐五王勢力)と西ヤマト(高皇産霊尊系+ウケモチ系連合国)になると思います。


 天足彦国押人命の回でも書きましたが、孝昭天皇は長生きをしていますが、先代の懿徳天皇は若くして死んでいます。(77歳となっていますが、年齢のカウント方法がちがうので、実際には半分の39歳)


 これは東日流外三郡誌の情報を肯定するものであり、海外に出てくる「東倭(とうい)」という国は、初めは九州勢に対して奈良勢力と思っていましたが、神武以降であれば「東倭とは荒吐五王勢力(日高見国勢力)」だとしか思えない事です。


 知ってみればドチラもヤマトを名乗るのは当然でもありますし、公然と大和(奈良のヤマト)に反抗している点から見ても、東北ヤマトしか大規模な戦争はしていなさそうです。


 東日流外三郡誌には各天皇の時に戦争したと書かれている点から考えても、欠史八代の間は奈良ヤマト勢力と東北ヤマトの勢力とで、定期的に戦争が行われていた事は想像に難くありません。


 つまり、卑弥呼の時に国内で争っていた相手としては東北ヤマト勢力が最有力候補になる訳です、狗奴国との説明はどうするのかと邪馬台国論者からはつっこまれそうてすが、南となっている理由は中国において地図を見せられ、狗奴国の場所を指し示せといわれたなら、説明のつく理由が既に本でも紹介されています。(中国の古代地図に日本列島を南北に描いた物があり、その地図の情報を元に邪馬台国の位置は記録されたとする説です。私もこの説は賛成です。)


 東日流外三郡誌の本にはツボケゾクとか荒吐族とか聞き慣れない単語がならび、反ヤマト視点による記述により、(好)ヤマトの人たちには嫌悪感を持つ人も多くいるのではないかと、読んでいて感じる様な書き方でした。


 令和の現代でもそうなのですから、一昔前の人たちにとっては、到底受け入れ難い内容だったであろう事は理解出来る気はします。


 しかし私は古代ヤマトを考える上では必要な情報であり、都合の悪いことは消してある正直者のホツマツタヱとはセットで扱ってあげると古代がより鮮明になるのではと期待しています。(次はなるべく原文に近いものを読もうと思っています。)