小野一族は名前は知られていますが、その実態を知る人は殆どいません、何故ならちゃんと小野一族について調べた人が居ないからだと思います。


 ある人は海人族、ある人は祭祀を司る一族、またある人は武人の一族、またある人は文人ともいうのです、ハッキリ言ってチンプンカンプンですよね(笑)


 そして孝昭天皇の第一皇子の天足彦国押人命から派生した一族であるとなっていますので、古い王臣家という事は皇別家として扱われている事からも分かります。


 実は先に挙げた小野一族の例は全て当てはまるのです、そんな分かりにくい小野一族ですが初代についても隠された情報があります。


 歴史を研究している方は知っている人も居るのですが、天足彦国押人命の奥さんが重要人物なのです。


 魏志倭人伝にある通り大倭には卑弥呼と呼ばれる女王がいた事が分かっているにも拘らず天皇の中に相当する人は居ません、神功皇后を古事記ではそれっぽく表現して誤魔化していますが時代が全く合いません。


 そして先の天足彦国押人命の奥さんは後に尾張氏と呼ばれる様になる一族で、素盞嗚命、饒速日命の後裔にあたる宇那比媛という人なのです。


 また古代の海人族とはこの素盞嗚命・饒速日命の一族で一般的には海部氏として知られる一族なのてます。


 つまり天皇系+素盞嗚命系が和邇氏の前身であり宇那比媛は卑弥呼に比定されている女性なのです。


 天皇家は男系による継承を重んじる一族だったようで女性天皇を認めたくないようで、どうも系図から外されている様なんです。


 卑弥呼とは「日の巫女」という認識が一般的になっていますが、日女命の名が多くみえるのが素盞嗚命系なのです。


 丹後には籠神社というのがあるのですが、この籠神社に伝わる系図には宇那比媛も日女命だと書かれています、因みに籠神社の系図は国宝に指定されています。


 もう一つは奈良の和邇氏系の古墳から卑弥呼時代の鉄剣が出土している事実があります、なので時代的にも合うので卑弥呼に比定されているのです。


 もうこの時点で小野一族に対する認識がひっくり返ってしまいますよね(笑)、なのでポチポチと小野一族の秘密も明かしていきたいと思います。


 そしてこの事が吉子(小野小町)さんの秘密にも関連しているので、じつは重要なんですよね、という訳でこれからもお付き合いして頂ければ幸いです。