小野篁という人をご存知でしょうか?

 

 実は私も自分で調べるまで名前を聞いた事がある程度の知識でしたが、調べてみるとこの人程世に知られていないのは異常と思える程の人なのです。

 

 まずビックリするのは薨伝です、公卿(くぎょう)になった様な人物が亡くなった時には公文書の中でどの様な事績があるかなどが紹介されるのですが、篁の場合には一番知られていない話として書では天下無双と書かれていることでしょう。

 

 篁は空海や嵯峨天皇、橘逸勢など三筆と呼ばれる人達と時代を同じくしているにも関わらずです、空海などは本場中国でも五筆和尚と呼ばれ中国でも書の達人の筆頭に扱われているのですから、その凄さが伺われるものです。

 

 空海と篁の父の峯守とは友人関係だった事が分かっているのですが、私の研究では空海が中国と手紙の遣り取りをしていたのは小野一族の援助があったからだと考えています。(空海が密教の最高位の灌頂を受けられたのは事前に手紙の遣り取りをしていた為と考えられるから)

 

 その関係で篁は幼少期より天才空海の書を手本にしてきた経緯があると考えています、また内裏の門の名前を変えた時に、門の名前の額を四門のうち三門は三筆が書くのですが、残り一門は小野美材(篁の孫)が書いたのですが、裏話が伝わっていまして本当は小野篁が書くよう頼まれたらしいです。

 

 しかし篁は忙しいし面倒臭いので若い奴にやらせたらしいのです、門額を書くことは大変名誉であることは現代人の私でも解る話です、しかし篁にとってはどうでも良かったらしく、美材にやらせたらしいのです。

 

 これは一般には伝わってない話なので検証しようがない話なのですが、篁の人となりを知る上では重要かも知れません、この様に篁とは権威とか栄誉に無頓着な合理的な考え方をし、かつ実行してしまう人物だったようです。

 

 そんな人柄が野狂という渾名を産んだものと私は考えています、また遣唐使の件では乗船拒否をして一騒動を起こします、これには背景が有りそうなのですが、詳しくは拙著「小野小町の子孫に生まれて・・・」が倉敷市図書館、総社市立図書館、岡山県立図書館の寄贈しているのでこちらを参照して頂ければと思います。

 

 知れば知る程私は篁さんと性格が似ている様に思いますし、嫁もソックリだと言ってくれています、そんな篁ですが昼は朝廷に勤め、夜は冥界の役人をしていたなどの伝説が未だに史実の様に伝わっていて、好事家はこの面を強調して伝えるので本当の姿が分かりにくくなっているのかも知れません。

 

 これも実は火のない所に煙は立たないという通りで、市井に伝承として伝わっているものの他に我が家に伝わっている話として、当時小野吉子(小町)は神憑っていて篁も形は違いますが神憑っていたと聞いています。

 

 これが原因で小野吉子(小町)は朝廷(天皇)から特別扱いをされていたのではないかと子孫としては推測しています。

 

 小野一族の先祖には卑弥呼に比定されている宇那比媛がいる事は殆ど知られていません、小野一族の前身である和邇氏の古墳から卑弥呼時代の鉄剣が出土していることも一般には知られていません。

 

 実は小野一族とは卑弥呼の系譜と云うべき一族かも知れないのです、文人・武人も多いし祭祀を司るなど小野一族には裏の天皇家ともいうべき側面を様々な史料がみせてくれています。

 

 先祖の吉子さんが神憑っていた事を聞いている私としては、遠祖に卑弥呼が居たとしても全く驚きにはあたりません、寧ろ「だからだな」という感想しかありません。

 

 また小野篁が後世これ程知られていない理由にもこの事が影響しているのではと感じています、法律にも明るく、書では書の神様に比肩され国内では公に天下無双といわれ、自身は180cm以上の大男で弓馬に優れていたとする、性格は剛直で母親に優しく晩年は清貧な暮らしをしていた人物です、夜は地獄で冥官をして篁のとりなしで生き返ったとする人がいると噂される人物です、もう少し知名度があってもおかしくないですか?