樹のブログ|実験台モルモット -4ページ目

カーリングのススメ



はいどうも、皆様元気ですか?
オリンピック見てますか?
昨日はスノーボード男子ハーフパイプで初のメダルが出ましたね。
それも銀、銅と一気に二つも!

なんと銀メダルの平野選手はまだ15歳だそうで。
うーん、将来有望ですなあ。

というわけで、今日のOPはコブクロでソチ五輪のテーマ
「今、咲き誇る花たちよ」
いやー、なんともコレ、哀愁溢れる曲で俺は結構好きです。


さてさて、スノーボードの快挙はとりあえず喜んでおきますが
今日のテーマは「カーリング」

まあ、冬季五輪のたびに言ってるんですが
俺は大好きなんですよ「カーリング」
一見何やってるんだかよくわからないし
ハデなアクションも無いし、非常に地味な競技なんですが
実は「氷上のチェス」なんて言われるほど奥深い競技。

というわけで、今日はちょっとカーリングの魅力について語ってみたいと思います。



1.ルールが良くわからない

はい、まずはルールですね。
そもそもどうしたら勝ちで、何がどうなってるのか分からない。
カーリングを他人にオススメする時に、最初にハードルになるのはココ。
というわけで、まずは簡単なルール説明から。

カーリングは、公式戦だと10ラウンドを戦います
(正しくは、ラウンドではなくて「エンド」といいますが)

で、10ラウンド戦って、点数が高い方の勝ちなんですが
じゃあ、その点数って「いつ」「誰に」入るの?
というのが、実はちょっとわかりづらいんですね。

まずは、TVなんかを見てみるとわかると思いますが
カーリングってのは、青と赤の円で出来た的みたいなトコに向けて
ストーン(例の漬物石みたいなヤツです)を投げます。

で、ラウンドが終わった時点で
「マトの中心に近いトコに漬物石があったチーム」が得点をもらえます。

じゃあ何点入るの?というお話ですが
「マトの中心から一番近い敵の漬物石よりも内側にあった
 自軍の漬物石の数だけ点数が入ります」



と、言葉で説明してもちょっとわかりづらいと思うので参考画像




この画像を見ると、まず一番中心に近いのは黄色いストーンである事がわかりますね。
ですので、このラウンド(エンド)は黄色チームの得点。

で、的の中心から一番近い赤チームのストーンは、青いラインぐらいにありますね。
それより内側に、黄色いストーンが2つあるので2点入ります。

これがもし、こうなってると……



二番目に近いストーンが赤なので、黄色チームには1点しか入りません。

ちなみに、得点は「真ん中から一番近かったチーム」にしか入らないので
この外側に何個赤ストーンがあろうと、赤チームには一点たりとも入りません。

だから、基本的には各チームとも、ラウンド終了時に
自軍のストーンがなるべく真ん中に近い場所にあるように
ストーンを投げていく、とそういう事になります。


2.あのブラシがけは何してるの?


何といってもカーリングの印象といえば
「よくわかんないけど氷をブラシでこすってるスポーツ」
ですよね。

あれは何をしているのか?

答えは
「ストーンの飛距離(滑走距離)を伸ばしている」
「ストーンが真っ直ぐ滑るようにしている」
この2つです。

氷の表面をブラシでこすると、摩擦熱で氷が溶けて水が張ります。

皆さん、冬の朝に凍った道路を歩く時って
キンキンに凍りついてる時よりも
ちょっと溶け出して氷の表面が水っぽくなってる時の方が
足元、滑りやすいですよね?

それと同じ事で、ブラシでこすって氷の表面に水を張ってやると
ストーンはその水を潤滑剤として、よくすべります。
これが、ストーンの飛距離(滑走距離)を伸ばす秘訣。

もう一つの「ストーンが真っ直ぐ飛ぶようにする」効果については
少し説明が必要でしょう。

そもそも「カーリング」というネーミング
なんでこれ、カーリングって言うの?というと
実は「投げたストーンが氷の上で曲がる(カールする)」事からつけられた名前。

コートの形状や、ストーンの性質、投げ方などから、投げたストーンは
必ず右か左のどっちかに曲がるようにできているのがカーリングなんです。
(基本的に、コートの外側から内側へとカールするようにできてます)

この性質があるからこそ、手前に置かれたストーンの後ろに回りこんだり
そういう駆け引きが生まれる事になるんですね。

ただ、コートは非常に縦長ですので、あまり手前から曲がられても困ります。
投げる側としては、回りこみたい場所を過ぎてから曲がってほしいもの。

そこで、曲がってほしくない間は一生懸命投げた石の前をブラッシングして
水の層を作って曲がりにくいように努力をするんですね。
それが、あの特徴的なブラッシングの正体です。

ですから、一生懸命ブラッシングしてる姿を見たら
「ああ、曲がらないようにしてるんだな」とか
「ああ、飛距離を伸ばしたいんだな」とか
そう思えば間違いありません。



3.どんな戦略があるの?


ルールはわかった。ブラッシングしてる理由もわかった。
でも、何やってるのか今ひとつよくわからない。

ルールが分かっただけではまだカーリングの面白さにはあと一歩。
ですので、もうちょっとカーリングの醍醐味について説明してみたいと思います。

■後攻が絶対有利

カーリングは、ラウンド(エンド)終了時に、真ん中に近いトコに
ストーンがあるチームに得点が入りますから、最後の一投を投げる側が圧倒的に有利です。
ですから、得点をしたチームは、次のラウンドは先攻になるようにできています。

そうすると、大体は後攻側が最終的に得点をしますので、つぎのラウンドでは
また先攻後攻が入れ替わる形になります。

それが繰り返される事で、野球やアメフトのように、だいたい
攻撃のターンと防御のターン、のように分かれて来ます。

先行側は基本的には防御側ですので
敵チームに得点されるのは仕方ないとしても
点数を1点におさえるのが最低ライン。

これが運良く敵がミスって先攻側の得点になれば儲けもの。
めったにない事なので、先行側が得点する事を「スチール」といいます。

逆に、後攻側は、最後の一投で1点は大抵取れますので
それ以上(基本的には2点)を目指していく、というのが基本になります。

では、2点以上はどうやって取ったら良いのでしょう?



■ガードストーンが戦略のキモ


もし、マトの中に石が一個しか無かったら、守る側は簡単です。
その1個を弾き出してしまえば、あとはスッキリ。
攻撃側が1個マトの中に置く→防御側がそれをはじき出す
の繰り返しで、最後に後攻が1点とっておしまいです。

そこで、最初に「ガード」と呼ばれる石を置いていくのが
攻撃側の定石です。

ガード、というのは、要するにマトの手前にある邪魔な石の事ですね
例えばこの画像だと

上にある黄色いストーンが「ガード」の役割を果たします。
画像の上から投げると過程すると、左下の赤い石が、黄色い石の影になって
はじかれにくくなっているのが解りますね。

対する防御側はといえば、ガードストーンも邪魔なのでさっさと弾き出してしまいたいんですが
ルールによって、ラウンドの最初2投の間は、マトより手前にあるガードは
弾きだしてはいけない事になっているんですね。

なので、攻撃側は、なるべくその2投でいいトコにガードを置いて
それから、その後ろに回りこむようにマトの中に石を置いて
ラウンド最終段階で、マトの中にたくさん石がある状況を作り出そうとします。

防御側は、それは困りますので、最初の2投の間は我慢して
3投目から先で、このガードストーンをはじめ
敵チームの石をなるべく掃除しようとします。

ちなみに、攻撃側、防御側、とさっきから言ってますが
これは別にルールで決まってるワケではなくて
主に勝ってる側は、さっさと残りのラウンドを消化してしまいたいので
なるべくマトの周りをスッキリさせて、1-0と0-1を繰り返して
10ラウンド終わらせてしまいたい、というのが定石ですので
後攻が有利とはいえ、後攻でも防御的に動く場合もありますし

逆に、点差がついて負けている側は、不利を承知で
先攻の時にも攻撃的な配置を作っていく場合があります。


まあ、大体の雰囲気としては
「負けてる側はマトの周りに石を沢山置いてカオスな状況を作りたい」
「勝ってる側はマトの周りをスッキリさせて、さっさとゲームを終わりたい」

という風に覚えて置くと良いでしょう。
基本的には、それを念頭に置いて選手たちはストーンを投げ合います。



他にも、カーリングの戦略はいくらでもあるのですが
それをいちいち紹介していたらいくらあっても足りないので
とりあえず「ざっくり」という感じで、あとはTVの解説を聞きながら見れば
それなりに楽しめるんじゃないかと思います。


あと、大事な事が一つ


「カーリングの醍醐味は、ハイライトでは味わえません」


彼(彼女)らの一投一投は、全てそれまでのゲームの流れの積み重ねから
投げるコースや強さを選択します。
自分のそれまでの得意なコースや投げ方
敵がどんな戦略をとっているのか
敵の誰が今日は調子よくて、誰が調子悪いのか
そんな事を全て考えて、次の一投を決定します。


ですので、ラウンド(エンド)の途中からパっと見せられても
何故そういう戦略になったのか全然わからなかったりします。
なので、この忙しいご時世、なかなかゆっくりと2時間にもおよぶ試合を
じっくりと見るのは難しいかとは思いますが
もしも可能であれば、是非中継をじっくり観戦してみて下さい。



というわけで、今日はカーリングのススメ、でした。
ばははーい

件の偽ベートーベンについて

ここ数日私の周囲でももっぱら話題沸騰中の
ゴースト問題やら何やらについて


正直、交響曲HIROSHIMAについては、この騒ぎになるまで
ロクに耳にした事も無かったし
佐村なんちゃらについても初耳もイイトコ。

新垣先生については、桐朋卒の友人たちの間では
非常に有名な先生だったようですが、私は面識も特に無く

要するに、結構俺にとって、この騒ぎは「他人事」だったんですよ


ただまあ、音楽屋として身を立ててる
それも、クラシックを(一応)学んで
作曲家としても仕事をしている人間としては
何かしら言うことを言っておくべきなのかなー、と思い
ちょっと記事を書いてみました。


とはいえ
「日本の商業第一の音楽業界の問題点」だとか
「奇跡の○○などともちあげるメディアの浅はかさ」だとか
「義手のヴァイオリニストを守るために声を挙げた新垣氏」だとか
「佐村河内氏の人格的問題点が云々」だとか
そういった事については、同業の諸先輩方だったり
新垣氏の人柄に詳しい友人たちだったりが
いくらでも有益な記事を書いてらっしゃるので
同じ業界といえど部外者である俺がそんな事書いてみても仕方がない
ということで、部外者なりの俯瞰でこの騒ぎをちょっと見てみたいと思います。


連日、マスメディアやネットやSNSなどで偽ベートーベンのニュースが
続々と入ってくるわけですが、それらを見ていると
私の個人的感想としては

「何が起きてるのかさっぱり分からない」

というのが正直なところ。

確実に分かっているのは

・佐村河内守氏が発表した曲は自分で書いてなかった
・それを書いていたのは、新垣氏だった

その二点のみ

その他「どうやら」という但し付きでならば

・「どうやら」佐村河内氏は本当は耳が聞こえるらしい
 ※新垣氏のインタビュー、NHKの取材シーンなどより

・「どうやら」新垣氏はゴーストライティングの報酬として
 20曲で700万円ほどの報酬を受け取ったらしい
 ※新垣氏のインタビューなどより

・「どうやら」義手のバイオリニスト"みっくん"に佐村河内氏が酷い事を言ったらしい
 ※"みっくん"こと大久保美来の親御さんの手紙より

・「どうやら」佐村河内氏には、音楽的素養はあまりなく、ピアノも少し弾ける程度だったらしい
 ※新垣氏のインタビューより

ぐらいの感じでしょうか。


他にも玉石混交の情報があっちこっちからわらわらと出てくるんですが
この事件の輪郭をなんともぼんやりとさせているのが何といっても
佐村河内氏のブラックボックス感なんですね。

5日に弁護士を通じてゴーストの存在を暴露して以来
一切のメディアに出て来ず、何ひとつコメントが無い

取材拒否でも何でも、少しでも感触があれば
「ああ、そういう態度なんだー、やっぱり悪人だねー」とか
「あれ、でもそれって意外と悪いヤツじゃないんじゃね」とか
感想の持ちようもあるんですけど、何も出てこない

しかも、こういう「わかりやすい悪人」が出てくると
大抵はその周囲の人間に取材が行って
「アイツはキチガイだった」とか
「そんな事をする人には見えなかった」とか
そういう、無責任なコメントが並ぶのが日本のメディアのお決まりだと思うんですが
それも特に無い。


逆に、衆目の前に出てインタビューをした新垣氏については
表裏問わずかなり色々と情報が入ってきます。

そもそも、桐朋音大の講師という立場の方ですから
私の友人関係にも、その生徒だったり、または友人だったりという人が多く
その人柄や音楽的能力については色々と噂が聞こえています。

まあ、これは伝聞になってしまうんで、本当かどうかは分かりませんが
新垣氏と面識のある友人諸氏の言をまとめれば
「アホみたいに良い人」
という事になるみたいです。

音楽的な能力については、少なくとも作曲家としての能力は高いと言えるでしょう。
事件があって、交響曲HIROSHIMAや、鬼武者の劇伴を聞いてみましたが
あれだけのオーケストレーションをしっかり書ける作曲家というのはそうは居ません。
作曲家の価値というのはそれだけで決まるわけではありませんが
少なくともその一点をとって見ても、しっかりと勉強をされた方だというのは
ちょっと聞けば解りますから。

というか、そもそも音大の講師ってのは常にその演奏や作品を
周囲のプロの耳にさらさなければいけないんで、ダテじゃ出来ません。
どこかの横文字大学の名ばかり講師のようなワケにはいきません(笑)


さて、新垣氏については、表の、つまりマスメディアの方でも色々と話題になってます。
主にその報道の焦点は「ゴーストライターは罪に問われるのか」という事

これについては私の個人的な意見を言えば
「バカ言うな、新垣氏は被害者だろうが」
と言いたいところなんですが
とはいえ、多くの人を騙した片棒を(多少ながらも)担いだワケですから
全くの無罪というわけにはいかないと思います。
本人も分かってやってた事でしょうから。

ただ、前々から「こんな事を続けるのは良くない」と言ってきた点
自らそれを告発した点などを踏まえれば、叙情酌量により執行猶予、ぐらいが妥当ではないかと。

というか、多分アレだと思うんですよね。
きっと、新垣氏が佐村河内氏に

「もうコレ以上誤魔化せない、ソチ五輪の前に真実を語る!」

って言って、そう言われて慌てた佐村河内氏が弁護士と相談して

「新垣に最初に言われるよりは、自分から言った方が傷が浅い」

という判断で今回のゴースト暴露に結びついたんじゃないかと思います。

そういう事を考えるならば、今後のこういう事を防ぐ意味合いも込めて
企業の内部告発と一緒で、告発者は罪に問うべきではないんじゃないかと思うんですけどね。



ところで、話は変わりますが、佐村河内氏の発注書の画像
みなさん、見ましたか?

コレなんですけどね



多分、大半の人が「まったくワケがわからない……byL」だと思いますが
意外とコレ、面白いんですよ。
まあ、文字の部分はとりあえずおいといて、大半を占めてるグラフみたいなの
これは要するにタイムチャートなんですね。

よくハリウッド映画なんかで
「何分何秒で人がどのぐらい死んで、何分おきに衝撃的シーンが入る」
みたいなのを決めて映画を作る、なんて話を聞いた事があると思うんですが
それと同じで、ようするにアウトラインプロセッサなんですね。

横軸が時間、縦軸は多分ダイナミクスですね。
そんで、色分けされているのはテンポ指定です。
これに沿って、曲を書いてくれ、というワケですね。

なかなかに興味深いです。
俺がこういう発注をされたら
「なんや面白いやないかい、ちょっとやってみようか」
と思ってしまいます(笑)


ただ、これね、まず音楽的教育を受けてきた人間だったら
絶対思いつかない手法なんですね。
なんで?って言われても困るんですけど、今までの
音楽制作メソッドにこういうモノが無いから(笑)

他の文字部分についても「なんでソコ!?」みたいな
なかなかツッコミ所満載の指示が色々盛り込まれてるんですけど
それに沿って、いかに一つのまとまった交響曲に仕上げるか、というのは
なかなかやりがいのあるパズルだと思います。

しかも、この発注書、わけがわからないなりに、かなり詳細に書き込まれてます。
何を言ってるのかは分かりませんが、少なくとも熱意だけは感じる。

専門家に通じるフォーマットや定石は全然知らないけど
とにかく自分のやりたい事を詰め込んで、自分なりの書き方で
熱意をガッツリ盛り込んでくる人種って、いますよね。

そう、アマチュアです(笑)

佐村河内さんがどういう教育を受けてきて、どういう仕事をしてきた人なのか
全く俺は知らないワケなんですが、この発注書から勝手に憶測すると
もしかしたら、最初はそういった情熱あふれるアマチュアだったんじゃないかと思うんですよね。

それを受けた新垣さんも
「なんやしらんけど、コイツやる気もあるし、ちょっとおもろいし
 やってみたってもええかな」
ぐらいの気持ちで引き受けたのかもしれないですね。

そもそも、この交響曲HIROSHIMAは、元々はココに書いてあるとおり
「現代典礼」という別題の作品で、これは売ろうなんてシロモノじゃないのは一目瞭然。
だいたい、80分もある楽曲なんてCDにも入りませんし、それを演奏してもらうのも一苦労
挙句、純クラシックのCDを出版したところで、いくらも儲かるモノじゃないですからね。

おそらく、佐村河内氏も最初はただただ創作意欲にまかせて交響曲が書きたかった
新垣氏は、まあギャラ安いけど、それなりに面白いし付き合ってやっか
ぐらいのつもりで書き上げた、そういうモノだったんだと思います。

ところが、その後佐村河内氏が妙に売れてしまったのが運命の転換点
地位と金は人を狂わせる、の故事に違わず、佐村河内氏が暴走し
いつの間にか話が大きくなってえらい騒ぎになってきた

それを見かねて、作家的良心から、また"みっくん"の友人として
見過ごすことができなくなった新垣氏が、ついに公表に踏み切った

そんなストーリーが裏にあった………







ら面白いなー、って思ったインフルエンザの病床の俺でした
まる

長い、三行で

毎回長文でblogを書いてると「長い、三行で」と言いたい人も居るかもしれないけど

個人的には「三行で済む話ならTwitterでやれよ」という考えなので

これからも長ったらしくて回りくどい記事を書こうと思う。

萌と腐


はいどうも、二月ですよ、皆さん!
だからなんだ!知らん!!
そんなワケで今日のOPはシドで「2月」

どうでもいいけど「◯月ですよ」って呼びかけると
桃鉄を思い出しますね。


ところで、今日のニュースによると
神田消防署の萌えキャラ「神田よくみ」が大人気なんだとかなんとか

http://ascii.jp/elem/000/000/742/742298/

「萌えても燃えないで」だとかなんとか
うっさいわ、誰が上手い事言えとwwwww

最近の萌えキャラとゆるキャラのブームには目を見張る物がありますが
なんかもう「萌え」って言葉がひとり歩きしてる感があるので
ちょっとその辺の事についてお話をしてみたいなーと思います。



さて、まずはそれじゃ「萌え」って何なのか、というお話。
これについては、何かもう色々とややこしい解釈が大量にあるんで
一言で説明しようとすると、どうしても
「いや、◯◯のケースについてはそれが当てはまらない」とか
なんかそういう反論の余地が残されてしまうんですが
そこを敢えて乱暴にぶった切って
俺の個人的意見として「萌え」を定義させていただくとですね

「萌えとは、架空の存在に対する性的劣情である」(どーーーーん)

あ~あ、言っちゃった。

ま、フロイト並の強引な主張ですが、言ったモン勝ちって事で。
「萌え」とは必ず何らかの性的な感情が含まれた愛情の一種だと
個人的には解釈しています。

あ、そうそう「アイドルとかは架空じゃないじゃないか」と言う反論があると思いますが
個人的偏見と独断に基づき、アイヲタにとってのアイドルというのは架空だと断じます。
彼らにとってアイドルってのはウ◯コもしなきゃオナラもしないですし
某王国の女王は、たとえ38歳であろうと永遠の17歳だったりしますし
そんな人はどこにも居ませんので、これは架空と言って問題ないでしょう。


ところで、この「萌え」という言葉は一体どうして生まれたんでしょう?
これは諸説ありまして、こういった草の根的に発生した現象にありがちなんですが
言葉の起源は分かっていないようです。
ただ、時期としては90年代中盤ぐらいではないか?と言われています。

90年代といえば、セーラームーン等の大ヒット~声優のアイドル化
そしてエヴァンゲリオン~アニメの一般化と、アニメ業界が大きく動いた時代ですから
それに付随して、こういった単語が広まっていったのでしょう。

ちなみに「萌え」という当て字を使う前から
ヲタク界隈では「燃える」という言葉がよく使われて居ました。
これは「萌え」と同じ用法で用いられる事もありましたが
読んで字のごとく、熱い展開や、メカのデザインなど
「萌え」の範疇外の要素に対して執着する場合も用いられてました。

「先週のガンダムの展開マジ燃え」とか
「ガウォークのデザイン、燃え燃えっす」とか
そんな感じですね。

私感ですが、おそらくその単語に「萌え」という可愛らしい、
かつ女性の名前っぽい字をあてる事で
そのスラングの方向性が一気に性的な要素を強めて
花開いたのではないでしょうか


さて、その「萌え」の歴史ですが、その行為自体はかなり昔からありますね。
昔話とかにも、絵に書かれた女に恋する男とか、そういう話はいっぱいありますから。
ただ、ムーブメントとしての「萌え」というのは
やはり1970年代後半から1980年代あたりが創成期なのではないかと思います。

ラブコメの元祖と言われる柳沢きみおの「翔んだカップル」が連載されたのが1978年
今や国民的萌えキャラであるラムちゃんが初登場したのも1978年

萌えジャンルの代表格として、ラブコメと双璧をなす魔女っ子モノは
もう少し古くて1966年の魔法使いサリーが元祖ですが
いわゆる「大きなお友達層」を産んだ
クリーミィマミやミンキーモモなどの名作たちは、1970年代以降。

ツンデレの元祖と言われるきまぐれオレンジ☆ロードは1984年

そして、ゲーム界のキャラ萌えの元祖はパルテナの鏡と言われていますが
パルテナの鏡の発売は1986年。

また、アダルトアニメの金字塔「くりいむレモン」の発売が1984年

そして、宮崎勤が幼女連続誘拐事件を起こし「オタク」という単語が
世の中に定着するのが1989年。

ちなみに、この宮崎勤の事件の影響や
当時、いい大人(高校生以上)が魔女っ子アニメを見ているインパクトや
先述したロリータアニメ「くりいむレモン」などの影響で
ヲタク=ロリコン という偏見が定着した時代でもありました。



さてと、ここまで「萌え」のお話をしてきましたが
「萌え」というのは基本的には男性向けの言葉。
(最近では、女性が男性キャラに「萌え」るのも一般的ですが)

では、女性サイドの「架空の存在に対するリビドー渦巻く情念」を表す言葉はというと
用法は少し異なりますが「腐女子」がそれに相当するかと思われます。

最近では誤解している方も多いようなんですが
「腐女子」というのは「女のヲタク」のことではありません。

BL(ボーイズラブ)、つまり、男同士のあんな事やこんな事を
妄想したり、その妄想を同人誌にしちゃったり、そんな同人誌を読みあさったり
そういう趣味のある方々の事を「腐女子」といいます。

ですから、単純にアニメの男性キャラが大好きで
例えば「青学の手塚部長と結婚したい」
とか、そういう事を妄想しているだけでは
腐女子ではなく、ただの「女ヲタク」です。

この腐女子の歴史はなかなかに古くて
おそらく端緒は萩尾望都をはじめとする「22年組」と呼ばれる
少女漫画家たちではないかと言われています。

当時の少女漫画には、中性的な少年がよく出てくるんですが
その中性的な少年同士が恋愛をするというストーリーがよく出てきます。

これは、当時の萩尾望都の何かのインタビューの言なのですが
「少女漫画なのに、女の子が出てこない、というと
 男性の編集者には理解してもらえない。
 魅力的な男性キャラと、魅力的な女性キャラがくっつくと
 女性は、作中のその女性に嫉妬する
 けれど、男性同士の恋愛ならば安心して見ている事ができる」
といった内容の事を言っています。

言われてみればなるほどぉ…という感じですが
不思議な事に、この時代の少女漫画は、男性が読んでも
あまり違和感なく受け止められるんですね。
これは、その時代の少女漫画家たち(今じゃみなさん大御所ですね)
がその少年たちから上手に「性」の要素を排除したんだと思います。


さて、その「公式BL」とも言える萩尾望都の「ポーの一族」の連載が1972年開始。
それ以降、しばらく少女漫画界にはいわゆる「少年愛ブーム」が吹き荒れますが
その後、80年代に入ると世相の変化とも相まって
「ときめきトゥナイト」や「ホットロード」のような青春ラブコメを
女性視点から描いた作品が主流になっていきます。

では、そういった少年愛を愛していた女性たちはどうしたか

「無ければ自分で作れば良い」

とばかりに、いわゆるBL本の制作に励むようになります。

実は、コミックマーケット(ご存知ですよね?夏と冬の漫画の祭典)
は、元々は大半が萩尾望都のファンクラブによって始められた
小規模な同人誌の即売会だったんです。

そういった経緯もあり、80年代ぐらいまではコミックマーケットはじめ
同人誌界というのは女性作家の方が多かったくらいなんですね。

ちなみに、今では男×男のチョメチョメしてる作品は「BL」と呼びますが
その昔は「少年愛」その後は「耽美系」なんて呼ばれてたりましました。
その後「ジュネ」(JUNEという耽美系漫画、小説雑誌が語源)
「薔薇」(薔薇族というホモ雑誌が語源)
「やおい」(801とも書く。元々は「ヤマなし イミなし オチなし」の意)
なんて呼ばれる時代を経て、現在に至ります。


さて、まあそんなワケで
男性ヲタクは圧倒的に「萌え」が
女性ヲタクは圧倒的に「腐」が
支配しているように見えるオタク界ですが
世の中にはまだまだそうじゃない部分のオタク性というものがあるんですよー
という事をちょっと言ってみたかったり。
(お前、萌えと腐の解説してたんちゃうんか)

ただ、どうしても「萌え」と「腐」はインパクトがある事や
リビドーに直結しているために市場規模が大きくなる事などから
何かと表面に出てきやすくなっています。

しかし、アニメにせよ、漫画にせよ、作品の「ヒキ」がそこしかないとなってくると
もはや
「歌唱力なんてどうでもいいから
 かわいい子を集めてアイドルユニットを作ればいいじゃん」
「脚本なんてどうでもいいからジャニタレをドラマに出しときゃいいじゃん」
と言っているのとかわらなくなってきます。

そうなってくると、やはり消費者としても
「なんだかな~~」
となって、だんだんと客離れを招くと思うんですよ。


だから、制作会社の皆様、たまには女性キャラが一切出てこないで
むさ苦しくバトルを繰り広げるロボットアニメとか作って下さいwwww

プロデューサー巻き




はいどうも、俺です。
皆さん元気ですか?
ここんとこすっかりモンゴルの話ばっかりしてたんで
今日はちょっと目先を変えてファッションについて。

というわけで、今日のOPは「みんなとオマエラの歌」から
「かっこいいカタカナ言葉使いこなしてるオトナかっこいい」

もうね、すごいですね。
まずタイトルがすごい。長い。
しかも長いだけじゃなくて、曲名に「かっこいい」が二回出てくる。
どんだけかっこいいんだお前、と。

そして「うた:電 通(でん とおる)」
もうドコから突っ込んでいいか解りません

ちなみに、この曲があまりに面白すぎたんで
作曲者を調べたら、知り合いの作家さんでした。

俺が某マジ歌選手権でエセキーボーディストとしてサポートした時にお世話になった
作曲家さんで、言われてみればテイストが似てますね。
こういうコミックソングやパロディソングを作らせたら多分日本一です(笑)


さて、本題のプロデューサー巻き。


まあ、みんな知ってると思うけど、肩からカーディガンぶら下げてるアレです。
動画内でも広告マンのおじさんがやってますね。

このプロデューサー巻きってヤツ、もはや現代ではバブル(つまり時代遅れ)の象徴として
スター錦野のフリンジとか、往年のジャニーズの裸+ジャケットみたいなノリで
ギャグとして扱われる事の方が多いファッションなんですが
なんだか、去年ぐらいから微妙にまた流行の兆しがあるんだとかなんとか


でもね


俺も仕事柄、プロデューサーさん、という肩書の方とは何人もお会いしてるんですが
実のところ、バブル時代から現在まで、一貫してこのファッション生き残ってます。
復活、ではないんです。死んでません。プロデューサー巻き。


「またぁ、そりゃアレでしょ?バブル期にプロデューサーだった人が
 今でも同じファッションしてるだけなんじゃないの?」


なんて思うかもしれません。
そうじゃないんです。

俺がまだ駆け出しのころに、だいたい同い年や年下だった新卒の広告会社や制作会社の社員が
その後出世してプロデューサーになって、やっぱりしてるんですよ。
プロデューサー巻き。


これだけ長い間受け継がれているという事は
このファッションにはきっと「オシャレ」とか「かっこいい」以外にも
何か理由があるんだと思うんです。

というわけで、今日は何の役にも立たない「プロデューサー巻き」考察。


プロデューサー巻きについて考えるためには、まずその「プロデューサーさん」の
仕事について考える必要があります。
何故なら、このプロデューサー巻きというのは「仕事着」だから。
別に休日のお父さんがするファッションじゃないんです。

軽やかな足取りで現場に現れて
「お、やってる?イイカンジでシクヨロ~」
か何か言って去っていく。
これがプロデューサー巻きを身にまとう者のあるべき姿です
(※実際のプロデューサー像とは若干異なる可能性があります)

では、プロデューサーの仕事とは何か、というと
端的に言うならば「調整」です。

人間関係や、作品の方向性、クオリティ、予算などなど
仕事をする上で常に流動的なさまざまな要素
それらを折衝し、上手いこと仕事が進むように調整するのが
プロデューサーの役目です。

実際にモノを作ったり、実作業をするのは現場の仕事
お金や人を出して、利益を計算するのは経営陣を始め本社の仕事
その間をつなぐのがプロデューサーなわけです。
そのためには、現場に顔を出し、スポンサーと折衝をし、客先の会議に出て、と
分刻みのスケジュールであちこちを飛び回らないといけません。

そうするとですね、色々な場所に顔をだすワケですから
現場や会社によって、エアコンの設定温度も変わってくるんですよ。
真夏でもエアコンがガンガンに効いた会議室は寒いですし
真冬でも大量の機材があるスタジオなんかは暑いです。

そうすると、いつでもさっと取り出して羽織ることのできる
カーディガンというアイテムは非常に有用です。

真冬でも、コートの下にサブアウターとして着込んでおいて
暑いスタジオに入ったらさっと脱いで肩にかける事ができますし
真夏でも、客先の社長がデブでエアコンを18度設定なんかにしてたら
肩にかけたカーディガンを一枚着る事で、身体を冷やす心配がなくなります。

実はプロデューサーという職業にとってはカーディガンというのは
非常に取り回しのよい便利アウターなんですねー。

というわけで、まずは、プロデューサーがみんなしてカーディガンを持っている理由
それが一つ解明されました。



でもね、なんでスーツじゃないの?
ビジネスマンってスーツが基本じゃないの?



もっともな疑問です。
これを解明するには、警察を例に挙げてみるのが良いかもしれません。

警察官というのは、新卒で配属される時はほぼ例外なく交番勤務です。
そこから、適正に応じて様々な課に振り分けられるわけですが
私服刑事というのは、やはり一つのブランドです。

踊る大捜査線でも、青島が「いやー、憧れてたんスよねー、私服刑事」って言ってましたね。
刑事じゃなくても、出世街道の花道である公安にせよ、花型の警察官というのは
やはり私服のイメージがあるわけで、上昇志向の強い若い警察官にとっては
「私服勤務」というのは一つの憧れの対象なんですね。

それと一緒で、芸能マスコミ関連の業界でも、やはり新卒の社員は
スーツに身を包む事が多いです。
もちろん車内に服装規定などがあるわけではないんですが
そこは古きよき、また悪しき習慣でもある日本の「空気を読む」というヤツで
最初はまずはとりあえず無難にスーツを着て勤務に励むわけです。

しかし、ある程度業界も経験し、一人前になってくると
やはりいつまでもスーツというのはちょっとなぁ…となります。
このスーツというヤツは実のところ窮屈で仕方ないですからね。

しかも、現場によってはスーツをちゃんとハンガーにかけられるとも限りません。
例えば、夏フェスの会場で暑くてスーツの上着を脱ぎたい、なんて思っても
そんなモノかけられる場所も無いですし、変な所においたらシワになったり汚れたりします。
かといって手に持ってたら片手が塞がってしまい、思うように動けません。

新卒のペーペーだったら「暑いぐらいはガマンしろ」で済みますが
やっぱり、プロデューサーにまでなって暑さ寒さをガマンしろ、とは
あんまり言われたくありませんよね。
(ちなみに、広告業界などには"黒服系"という特殊部隊がいますが
 こちらはまた全く別方向に特殊なので、今回は割愛します)

ですから、気軽に着脱が出来て、しかも、脱いだら肩からかけて両手も使える
カーディガンというアイテムは、やはりプロデューサー必須のアイテム。
かつ、肩からかける、というファッションにも合理的理由が伺えます。



更に、やはり華やかな芸能マスコミ関係のお仕事
それなりのオシャレさというのも求められます。
カーディガンやセーターというのは、スーツほど値段もはらないので
数を揃えるのも楽ですし、しかも、インナーもスーツに比べて自由度が高いですから
総合的に個性が出しやすい、という利点もあります。

また、ほかの上着に比べて、圧倒的に体積が少ないですから
羽織っても、肩にかけても、邪魔になりにくいという点もまた見逃せません。


というわけで、仕事上の必然からこのプロデューサー巻き、というファッションは生まれ
それを多くの人々が受け継ぐ事によって定着してきたのではないか、と
そんな事を想像してみました。




なお、今まで書いたこれは全て俺の勝手な推測や妄想であって
実際に何か根拠があるわけではありませんので悪しからず。



ちなみに、実は知り合いのプロデューサーに
「何でカーディガン肩からかけてるの?」って一度聞いた事があります。

答えは「何となく…?」でした。






-------------出演情報------------
2/1 Asriel 大阪MUSE HALL
OPEN17:30 / START18:00
2/9 Asriel 渋谷 AX
OPEN16:00 / START17:00
  http://asriel.net/

2/13 執事歌劇団 南青山MANDALA
  OPEN15:30 / START16:30   OPEN17:30 / START18:30
  http://www.butlers-cafe.jp/opera/

2/15 実験台モルモット 新宿RUIDO K4
  OPEN17:45 / START18:15
  http://jikkendai.com/

2/16 REALBOOK アーリースプリングコンサート
  さいたま市 プラザウエスト
  OPEN13:00 / START13:30
  http://www.saitama-culture.jp/recommend/2014/02/realbookpresents.html

2/21 Smothing nice 高円寺 Studio K
START19:00  
2/22 Smothing nice 高円寺 Studio K
  START14:00/18:00
  https://www.facebook.com/events/777775745573241/?ref=22

モンゴルシリーズ最終章




はい、今日のOPは喜多郎で「シルクロードのテーマ」
知らない人はあまり居ないと思いますが、いやあ、いまさらながら名曲ですね。
この曲をテーマに使っていたNHKの「シルクロード巡礼」も名番組でした。

というか、多分日本人が中央アジアの
「シルクロード」とか「遙かなる大草原」とかそういった
なんとも言えないエキゾチックなロマンみたいな感覚ってのは
おそらくこの曲によるところが結構大きいんじゃないでしょうか。


さてさて、今日はモンゴルシリーズ最終回。


え、シルクロードと何か関係が?


もちろんあります。
シルクロードの保護者、それがモンゴル軍のもう一つの顔でした。


前回まででお話したように
反則級の強さでユーラシア大陸を席捲したモンゴル帝国ですが
その帝国の統治法というのも、なかなかユニークな点が多々ありました。


■点と線の支配

昔から、土地というのは非常に重要な資産でした。
なぜなら、人間が生きるのに不可欠な食料を生産する源ですから。
故に多くの国家はたいてい土地の支配にこだわります。
土地を支配というのは「面の支配」になり、多くの人間を必要とします。

ところが、土地を所有するという概念がない遊牧民族のモンゴル人
土地に興味がないもので、面倒な「面の支配」は、地元の有力者に丸投げします。
かわりに、その各地域の支配者と支配者を結ぶ「線」を支配するという方法を選びます。

この方法は、1億を越える帝国民(当時のユーラシア大陸人口の半分以上です)を
僅か100万人程度しか居ないモンゴル人が支配する上で、非常に効率的なやり方ですが
逆に言えば、非常に豪胆なやり方とも言えます。

地元の支配は地元の人間に任せる、という事はこっそり反乱を企んでいたとしても
実際に反乱を起こすまで分からないワケです。
つまり「国の一つや二つが反乱を起こしたところでモンゴル軍が負けるわけがない」
という自信があってこそできるやり方、というわけですね。

ただ、土地に対しては無頓着だった代わりに、道に対してはかなり気を使ったようです。
交易路を整備し、街道の治安にはこだわったようです。
また、街道の各所に馬の乗り継ぎ駅を作って、駅伝制を整備しました
このジャムチ、と呼ばれる駅伝制度により、何か起きた際には
その広大な帝国の隅々まであっという間に(当時比)情報が行き渡ったそうです。


■重商主義

遊牧民族というのは、元々交易は重要な営みでした。
定住しない彼らにとって、剣や鎧などの金属製品をはじめ
どうしても自ら手に入れる事のできない物資が多々あったからです。

故に、彼らにとって交易商というのはとても重要なビジネスパートナー。
様々な面で商人を保護、支援し、交易の活性化をはかります。

もちろん、商人にとっても
「荷を遠くの国に運んでいる時に追いはぎに積み荷を奪われない」とか
「行く先々の国境でいちいち関税を取られない」というのは
非常に大事な事ですから
交易路の治安を守り、関税を一元化してくれるモンゴル帝国は
彼らにとって非常に喜ばしい支配者だったと言えるでしょう。

そんなわけで、東西の双璧をなす中華文明とイスラム文明の交流は
シルクロードを通じて大いに活性化し、ユーラシア大陸全域に発展をもたらしました。


■信仰の自由

モンゴル人たちの宗教というのは、基本的にシャーマニズムやアミニズムの延長であり
まあ、有り体に言うならば「八百万の神々を信じてる」民族でした。

ですから、キリストだろうがムハンマドだろうが仏陀だろうが
「ああ、まあ八百万の一人だろ?まあ好きに信じたらいいじゃないの」
とばかりに、基本的にそれぞれの土地の宗教に一切口出しをしませんでした。
(もちろん、神の名のもとに帝国に逆らうような連中には
 情け容赦なく恐怖のモンゴリアンアーミーが襲いかかりましたが)

この時代、宗教と権力というのは密接に結びついていましたから
戦争というのは、国家の利害の対立であると同時に
宗教、つまり文化の対立である場合が多かったのです。

「飲み屋で宗教の話をしてはいけない」なんて格言からも代表されるように
宗教が原因の対立というのは、妥協の余地があんまりなくてですね
しばしば「俺が死ぬか、お前が死ぬか」という争いに発展します。
それは中東のイスラム教徒なんかを見ていてもよく分かると思いますが
ともあれ、本人たちにとっては誇りの問題ですから
そこに触れると、もうとんでもない大騒ぎになりがちです。

ところが、下々の者が何を信じて、どんな生活をしているか
なんてことには全く無頓着なモンゴル帝国
しかし、ちょっと逆らおうものなら大虐殺が待っているモンゴル帝国。

誇りが守られるならば、明日のメシの事の方が気になるのが人の性
一部の権力者を除いて、誰もわざわざ命の危険をおかしてまで
モンゴル帝国に逆らおう、なんて事を考える人間は居ません。

そんなこんなで、モンゴル帝国はその無頓着さが功を奏して
国民の反発を招く事が少なくてすんだおかげで
長期にわたり安定した繁栄を享受する事ができた、というお話。

ちなみに、イスラム地方を治めたモンゴル帝国の有力者は
その後多くがイスラム教に改宗し、その後裔は地元社会の有力者として
後々まで尊敬される支配者として君臨した例も多かったとか。
意外と「郷に入っては郷に従う」タイプの人たちだったみたいですね。



さて、そんなこんなで、モンゴル帝国の特徴をいくつかご紹介しましたが
歴史上で初めてユーラシア大陸の東西全域を手中におさめたモンゴル帝国
この帝国の存在が、後世に与えた影響というのは、非常に大きいんですね。
ついでですから、その辺のお話もいくつか。


■東西の文化交流

ところで、多分みなさん知ってると思いますが、オイラはヴァイオリニストです。
ではココで問題です。ヴァイオリンという楽器は大体「木」でできていますが
それでは、木以外にどのような材料が使われているでしょうか?




・・・・・・・・




はい、答えは、馬の尻尾(弓の毛)と羊の腸(弦)です。
ちなみに、クジラの髭なんてのもありますが、別にこれは無くても音は鳴りますw

「ん?馬と羊?」

と思った貴方、鋭いですね。
そう、ヴァイオリンの原型となる楽器は
モンゴル帝国によってヨーロッパに伝えられた
という説があります。

元々、中央アジアの遊牧民が使ってた民族楽器に「馬頭琴」という楽器があります。
これは、馬の頭蓋骨に、羊の腸を乾燥させた弦を張り、弓に馬の毛を張って擦って音を出す
という、擦弦楽器でした。
要は、身近な要らないモノを組み合わせて楽器を作ってみた、ってワケですね。

これが西洋に伝わってヴァイオリンの原型になり
逆に東洋では二胡や胡弓の原型になった、というお話。

さてと、これはモンゴルの文化が東洋や西洋に影響を与えた結果ですが
他にも、それまで交流の少なかった東洋と西洋の文化が
モンゴル帝国によるシルクロードの整備のおかげで、一気に活発化します。

それによって、多くの知恵が大陸中で共有されるようになり
次の時代のブレイクスルーの起爆剤となりました。

一番大きいのは、いわゆるルネサンス3大発明「火薬」「羅針盤」「印刷」
これらの発明が中国起源である、という事は最近では周知の事実だと思いますが
それを、西洋に伝えたのが、モンゴル帝国。

これらの発明がモンゴル帝国を経由してイスラム社会に伝わり
それが十字軍を経てヨーロッパに伝わった、と言われています。
この発明が無ければ、14~15世紀のアレも無かったわけですよ。


■というわけで大航海時代

そう、羅針盤と火薬といえば、大航海時代。
いわゆるロマンあふれるヤクザな海洋国家の"冒険と虐殺の歴史"が幕を開けるんですが
これがあったのも、モンゴル帝国の存在が遠因です。

一番最初に新たなフロンティア、大洋へと足を踏み出したのはポルトガルとスペインでした。
彼らが海へ出たのは、別に伊達や酔狂や、海賊王になるためとかではなく
「スパイスのため」でした。

ドラクエ3を例に出すまでもなく、この時代にスパイスが貴重だったのはご存知だと思いますが
何故「コショウが同量の黄金と等価」と言われるほど必要とされたのでしょうか?

理由は「冷蔵庫がないから」

要するに、肉がすぐ腐るから、スパイスを使って保存させる必要があったんです。
「なんだ、たったそれだけのことか」と思うかもしれませんが
とにかく人間の歴史は飢餓の歴史です。食糧問題ってのは有史以来
つい数十年前まで、為政者にとっては最大の悩みでしたから、バカに出来ません。

しかし、その大事なスパイス、残念ながら東南アジア特産。
その流通路を握っているのは、イスラム商人とモンゴル帝国。
自分たちで取りに行こう、というワケには行きません
(実際に大航海時代が始まる頃には、モンゴル帝国は分裂してだいぶ縮小してますが
 代わりに、やはり遊牧民族を開祖とするオスマン帝国がアラビア半島を支配してました)

そこでイベリア半島のポルトガルとスペインは考えたわけです
「反対側の海から上手いこと回れば、アジアまで船で行けんじゃね?」
というわけで、モンゴル帝国が怖いから海に出たポルトガル・スペインは
モンゴル帝国によって伝えられた羅針盤と大砲を武器に、アジアまで辿り着いたわけです。


■黒死病

モンゴルによって伝えられたのは、発明や文化など良いものばかりではありません。
そう、ヨーロッパの全人口の1/3を死に至らしめたと言われる「ペスト」です。

ペスト自体は、昔からあった病気で、もちろん忌み嫌われる疫病だったんですが
ヨーロッパ全土を覆い尽くすほどの大流行はありませんでした。

なぜか?交通網の整備されていない時代は
患者が他の街や村に移動する前に発症して死亡するから。

ペストの潜伏期間は2~5日。
この短い期間で、他の街に移動する、なんて事はあまりなかったんですね
モンゴル帝国が街道を整備するまでは。

ところが、モンゴル帝国による交易路の整備と、交易そのものの活性化により
ペストは一気にヨーロッパ全土を覆い尽くし、猛威をふるいます。
人類史上を見ても、これだけの割合の死者を出した疫病というのは他にありません。

このペスト禍がヨーロッパに与えた影響は凄まじく
これによって減った労働人口を補うために産業革命が起きたりとか
ユダヤ人が忌み嫌われるようになったのもペストが原因だったりとか
「検疫」って言葉が生まれたのもこの時だったりとか
(船が港に入る前に40日間待たせて、疫病者が出ない事を証明させたので
 イタリア語で「40」を意味するquarantineが「検疫」という意味になったそうです)

ともかく、ヨーロッパにとってはイスラムの勃興からモンゴル帝国の侵入
そしてペストの大流行、とこの時代ホントに良いことがありません
まさに暗黒の中世と言える時代でした。


■中華文明の衰退

西洋には色々な文物と共に疫病までもたらしたモンゴル帝国ですが
東洋でも影響は大きかったと言えます。

その最たる点は「海禁政策」です。

近代、ヨーロッパは産業革命の恩恵にあずかり
大いに軍事力や生産力を増強する事で、世界に覇を唱えます
そこでよく語られるのが
「東の雄、中華帝国ではなぜ産業革命が無かったのか?」
というお話。

まあ、東洋哲学と、西洋の科学的思考が相容れないとか
色々な原因があるとは思うんですが
そういった原因の一つに
「中国がヒキコモリだったから」
という説があるそうです。

要するに、モンゴル君にイジメられたトラウマから
明とか清とかの王朝はヒキコモリになってたので
世の中の進歩についていけなかった、という話。

ま、これについては検証のしようもありませんし
真偽の程は学者先生に頑張っていただくとして
少なくとも、明が建国された時に、西~北には衰えたといえど一騎当千のモンゴル帝国が居て
西洋との交流は不可能だったという事は間違いありません。

交流どころか、明の時代には何度となく万里の長城を修理したり建て増ししたりして
モンゴル軍がいつ攻めてくるかとヒヤヒヤしていた様子が伺えます。

ならばポルトガル同様、海から回れば?と思うんですが
どうも海には倭寇が居たりして、こっちもあまり良い感じじゃなかったみたいですね。
というか、北のモンゴル対策が大変で、南の倭寇まで相手していられなかったとか(北虜南倭)

まあ、明代には鄭和の大航海なんてのもあって、コロンブス級の大航海を
何度もしてたりもするんですが、どうも性に合わないのか何なのか
中国は海洋国家への道は歩かなかったようですね



ま、他にも
「ロシアが恐ロシアなのもモンゴルの影響」とか
「二次大戦中、関東軍を悩ませた馬賊もモンゴルの末裔」とか
「マッコリは、モンゴル人が馬乳酒の代用品として開発した」とか
「韃靼そばもモンゴル由来」とか
「中央アジア諸国は20世紀初頭までモンゴル帝国の末裔が治めてた」とか
まあ、色々書きだすと面白い話はいくらでもあるんですが
だいぶ長くなってしまったのでこの辺で・・・

そんなこんなで、とにかく「世界史を作った」と言われる
モンゴル帝国のお話、いかがでしたでしょう?

彼らの虐殺の記録とか見てると本気で背筋が凍るんですが
それでも、何かこう、ロマンがあるんですよね、遊牧民族って
単に俺が根無し草な性格してるから、というだけなのかもしれませんが。


ちなみに、俺がこんな話をなんで急にしはじめたか、というと
先日イチオシの漫画「乙嫁語り」の新刊が出たから
あー、やっぱりいいなあ中央アジア・・・・




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ジン、ジン、ジンギスカ~ン



はい、どうも、俺です。
今日のオープニングテーマはドイツのユニット「ジンギスカン」
いやー、この衣装やダンスのインパクトがすごいですね。
それにしても、この曲79年の曲らしいんですが
ストリングスアレンジが非常にカッコイイですね。
この時代のミュージシャンは上手いよなぁ・・・・


という事で、今日はこないだの記事の続きで
モンゴル帝国について。


さてと、前回はモンゴル帝国がどんだけチート級に強かったのか
なんて話をしたんですが、今日のテーマはそのモンゴル軍の強さの秘密に迫ってみたいと思います。


当時のアジア~ヨーロッパは、当然ながら我々のように平和ボケしてたワケじゃなく
日々あちらこちらで戦乱が起きていたりして、それぞれみな修羅場をくぐった国々でした
にも関わらず、モンゴル軍の前にはなすすべも無く敗れ去ってしまいました。

それは何故か?


■戦闘民族だから

まず、彼らはアジア人としてはかなり体に恵まれた民族です。
モンゴロイドの中では体躯が大きく、筋力も強い遺伝子を持っているそうです。
なので、中原(中国の平野部)では昔から西の蛮族は強兵として非常に恐れられて来ました。

三国志関係のゲームやマンガなんかで最強キャラとして扱われがちな呂布さんも
この辺の出身だったという話です。
そういえば、気に入らない事があるとすぐぬっ殺すなんて気性も
ジンギスカンを彷彿とさせますね。

現代でも、白鳳やら朝青龍なんかを目の当たりにすると
その「血」の強さがうかがえますね

やはり環境の厳しい山岳地方で育った民族というのは
まず「強くないと生き残れない」という淘汰圧がかかりますから
それだけでナチュラルボーンキラー。

ちなみに、日本でも戦国時代は「強兵といえば、甲斐の武田と越後の上杉」
というのが武将たちの間での常識だったそうで
その点、平原の兵は使い物にならん、と嘆いたとかなんとか。

その厳しい気候の中で育ったというだけでスタートラインが違うというのに
彼らは「言葉を覚える前に乗馬を覚える」なんて言われるほどの英才教育。
そりゃあ平原でぬくぬく育った連中に勝てる相手ではありませんやね。



■機動力が違う

中世の軍隊というのは、大別すると兵種は2つ。
歩兵と騎兵です。

基本的に、歩兵が軍の大半を構成しており
一部に精鋭部隊として騎兵が居る、というのが一般的です。

で、この騎兵ですが、諸説ありますが
とにかく歩兵数人~数十人分の戦闘力があったと言われています。
今で言えば、戦車ぐらいの感覚かもしれませんね。

「じゃあ全員騎兵にしちゃえばいいじゃん」
と思うかもしれませんが、それは無理な相談。

何しろ馬というのは高価な資産で、しかもただの馬じゃダメ。
馬というのは本来臆病な生物ですから
怒号や喧騒に満たされた戦場を疾駆できるように訓練された軍用馬というのは
今で言う高級車以上の価値があったと思われます。

だから、昔の武将は大手柄を挙げた時に
君主から良い馬を贈られて大喜びしたりするワケです。

しかも、馬に乗って戦うというのはかなり技量が要りますから
普段は農民やってて、戦争の時になったら一丁剣をかついで参戦、なんていう
ニワカ兵士では騎兵はつとまらないんですね。

それらの技術を身に付けられるのは、一部のエリート兵士のみ。
故に、騎士というのは尊敬の対象となったワケです。



ところが



その無理な「全員騎兵」をやってくれたのがモンゴル軍。
といっても彼らにとっては別に無理でも何でも無いんです。

まず、中央アジアの広大な平原で遊牧民として暮らす彼らは
大量の馬を家畜として飼っていましたから、馬が足りないなんて話はありません。
むしろ、彼らの重要な交易品目の一つでしたから、文字通り
「馬なんて売るほど居た」んですね。

更に、馬に乗って戦うのが難しい、なんてのは他の軟弱な国のお話。
騎馬民族でもある彼らにとって、馬に乗って戦うなんてのは
我々日本人にとって「おハシが使える」ぐらいの基本技術。
むしろ馬から降りて戦う、なんて発想は無かったんじゃないでしょうか(笑)



というわけで、モンゴル軍は当時の常識からは考えられない「全員騎兵」の軍団。
その時点で、戦場で最強なのは当然なんですが、それ以外にも影響があるのが進軍速度。

歩兵と騎兵の混合部隊の場合は、当然遅い方に合わせなければいけませんから
軍が一日に進める距離というのは、せいぜい30km
ところが、馬ならば平気で100kmとか走りますから
その進軍スピードたるや、想像をはるかに超えます。

事実、中東の大帝国「ホラズム・シャー」を攻めた時には
とある街がモンゴル軍に攻められて陥落し、生き残った騎士が
となり町にその事を知らせに行ったら、その伝令とほぼ同じ速度で
モンゴル軍が押し寄せて、防衛の準備のヒマも無く蹂躙された
なんて事があったそうです。

アレですね。カーチャンから
「今からアンタの家行くから」って電話来て
慌てて部屋を片付けてたら、ベッドの下にエロ本をしまう暇も無く
「ぴんぽ~ん」って悪魔の呼び鈴が鳴る感じですね。

とにかく「速い」というだけで、それは奇襲の効果がありますから
戦術的にも、戦略的にも圧倒的に優位だったんですね



■組織がよく出来ていた

当時のモンゴル軍は戸籍制と軍制が直結していました。
単位として「十人隊」「百人隊」「千人隊」「万人隊」という単位がありまして
まず、十人隊がモンゴルの社会の基本単位です。
彼らは十人の兵士で編成されており、平時はその家族と共に固まってテントを張って生活します。
で、いざという時には、その十人隊の長が他の九人を率いて軍に参戦します。

その十人隊を10個まとめて百人隊、それをさらに10個まとめて千人隊、と
非常に指揮系統が単純にできていたんですね。
しかも、隣で轡を並べて戦うのは、普段から同じ釜のメシを食う気心の知れた連中。
そりゃ戦いの時も呼吸が合わせやすいでしょう。

更に、軍法が非常に厳格に定められており
上官不服従は即処刑、という厳しいもの。

軍の強さというのは、個々の兵の強さよりも
「いかに指揮官の命令が末端まで行き渡るか」
という点にかかってますから指揮系統というのは非常に重要なんです。

今でこそ、こういった組織体系は普通ですが
当時としては非常に先進的だったんですね。



■モンゴル軍は身軽だった

軍隊というのは、移動をするのに、とにかく荷物が多くなります。
みなさんも、旅行の時に荷物が多くてウンザリした事ありますよね?
それが、何万人という単位になるわけですから、そりゃ大変な大荷物です。

これが、古代より軍の指揮官を悩ませた「補給」です。

兵が一万人移動するとなれば、一日に一万食の食料が必要です。
当時の騎馬の進軍速度は平均70km/日と言われてますから
例えば、東京大阪間を移動するだけで8日ですから、八万食。
しかも、それだけの食料を運ぶには、それを運ぶ人間が必要になるので
その補給部隊の食料も必要になってくる、という雪だるま式。

ところが、遊牧民族って連中は、移動生活を基本としてるんで
ほとんど荷物ってモノが無いんですね。

食料は、常に連れて歩いてる羊です。
コイツらにその辺の草を食わせて増やしながら移動して
メシ時になったら、シメて焼き肉にして食べるだけです。

ついでに羊毛を刈って衣服にしたり、腸を乾燥させて弓の弦にしたり
羊の身体の大半を無駄なく有効利用できたんだとかなんとか。

もちろん、超速で進軍する時は、羊の悠長なペースには合わせてられませんから
そういう時は保存食を作るんですが、これがまた凄いコンパクト。
羊の肉を塩漬けにして乾燥させて、それをハンマーで砕いて固めるという
まあ干し肉の一種なんですが、羊一匹が手持ちの袋に入っちゃうくらい圧縮されたそうです。

「でも、肉だけだと栄養かたよるよ、野菜は?」

と思った人もいるでしょう。
これが、モンゴル人のすごいところ。
アイツら、野菜、食べませんwwwwwwwwwwwww

「で、でも、ビタミンとか・・・・・」

ビタミンは「馬乳酒」という馬の乳を発酵させた乳酸飲料で補います。
この馬乳酒ってのがまたスーパー万能食で、ビタミン、ミネラルの補給から
生活習慣病の予防や、果ては虫さされの予防にまで効果があるというシロモノ。

ところが、それだけ便利であるにも関わらず、多くの人間は「乳糖」という
乳酸飲料に含まれる栄養素があまり分解出来ないので、すぐお腹壊しちゃうんだとか。
その点、モンゴル人は太古の昔から馬乳酒を飲んでるので
乳糖をちゃんと分解する酵素があって、その栄養素を余す所なく吸収出来るんですね。

なんか、イヌイットが生肉を食べてビタミンを補給するのと少し似てますね。
人類の知恵というのはなんとも凄いモノです。

ま、とにかくそんなワケで、食料はほとんど持ち歩かないでも平気なんですが
他にも身軽さを実現できるのが、馬の存在。

馬は、基本的に力持ちですから、ちょっとぐらいの荷物なら平気で運べます。
なので、その数少ない荷物は、馬の背中にくくりつけて移動します。
当時のモンゴル人は一人あたり馬5~6頭を従えて進軍していたと言われてますから
荷物なんてまあ無いも同然ですね。

ちなみに、5~6頭の馬が居ると、ちょっとずつ馬を乗り換える事で
馬の疲労も軽減できますので、ほとんど休みなく進軍を続ける事が出来たとか。
それでも、馬が死にそうなくらい疲れた時にはなんとその馬を放しちゃうんだそうです。

すると、馬には帰巣本能があるんで、何千キロ離れていても
馬は勝手に元の野営地があった場所に戻って、地元の家族が世話をしてくれる
という便利システム。

うーん、牧畜を知り抜いたモンゴル人ならではの知恵ですね。



■ちょー怖い

モンゴル軍の虐殺の記録というのは、アジア・ヨーロッパを問わずそこら中に残っています。

チンギスハーンの基本的な体外姿勢はとてもシンプル
「逆らったヤツは皆殺し。降伏してきたヤツには優しくするお」

その皆殺しの度合いが、とにかく度を外れてまして
抵抗が激しかった街の住人ウン万人を生き埋めにしたとか
東欧地方では50万人が虐殺された、とか
もちろん誇張も混じっているんでしょうが、とにかく伝説には事欠かないんです。

特に、使者を殺された、とか、有力な将軍が死んだ、とかそういう場合は
情け容赦の無い残酷っぷりを発揮したそうです。

ただ、現代ではこれは情報戦の一種だったのではないか?とも言われてまして
自らその残虐ぶりを宣伝したような形跡も見受けられるそうです。

というのも、侵攻先であらゆる街が
「死んでも俺は街を守る!」なんて言って抵抗されたら
そりゃあ、いくらモンゴル軍が強いといっても犠牲もバカになりませんし
何より時間がかかって仕方ありません。

しかし、その残虐さと「降伏すれば意外とイイヤツらしいぜ」という噂が広まれば
「勝てるワケねーし、さっさと降伏した方が得なんじゃね?」
という事になり、ほとんど手間をかけずに征服が完了するワケです。

というわけで、その「残虐さ」を演出した、というのもまた
チンギスハーンの知恵だったのかもしれません。



■情報戦を重視した

現代でも、情報戦というのは戦争において大きな要素です。
日本が二次大戦で負けた大きな理由の一つに
アメリカに暗号を解読されていた、というのがありますし
冷戦時代にはCIAとかKGBとか、情報収集専門の米ソの部署が
非常に大きな力を持つに至りました。

というわけで、戦争の巧者であるチンギスハーンも情報を非常に重要視していました。

とはいえ、未踏の地へ侵略に行くわけですし、モンゴル人は
特にヨーロッパでは人種も違えば言語、生活習慣も違います。
身内をスパイにして潜り込ませるのは難しいですよね。

そこで、モンゴル軍が採った方法が
「商人をスパイにする」
でした。

当時の貿易商人というのは、当然ながらあちらこちらにネットワークを持っていますし
貿易が仕事なんで、ドコにあらわれてもおかしくありません。
街にもぐり混んで、色々な情報を収集するのにこれほど適した人材は居ませんね。

ただ、商人ってのは仕事はお金を稼ぐ事。タダじゃ動きません。
しかし、モンゴル帝国は基本的に貨幣はあまり使いませんし
馬や羊は重要な軍需物資ですから、ほいほい渡すわけにもいきません。

じゃあ、なんで商人がモンゴル軍に協力したのか?

その理由は「関税」

関税というのは、今も昔も、国家の経営者にとって重要な財源です。
しかし、交易をする者にとってはこれほど厄介なシロモノはありません。

当時は飛行機とかありませんから、商品を輸送するのに
国境をいくつも超えなければいけないワケです。
で、国境を超えるたびに税金をとられるんですね。
そうすると、例えばシルクロードを通って、中国とヨーロッパの交易をしよう
なんて事を考えたら、ものすごい額の税金が必要になります。

ところが、その地域を全部モンゴル帝国が収めてくれれば
関税は1回で済むという寸法です。

ですから、ヴェネチアや、地中海の商人たちはこぞってモンゴル帝国を支援したんです。
故に、未踏の地に攻め入るモンゴル軍は情報不足に陥る事がなかったんですねー



というわけで、今日はこの辺で。
次回は、モンゴル帝国の運営と、その影響について書いてみようと思います。


ばっははーい

金色のコルダ3 Another sky 神南編発売

はいどうも、今日も元気に自由気ままにやってます。俺です。
今日はちょっと宣伝です(笑)


先日のblog
でも書いたとおり
コーエーのネオロマンスシリーズの「金色のコルダ3 Another sky」の
ゲーム内演奏曲を作ったり弾いたりしたワケなんですが
その第一弾、神南編が本日発売ですね。

Amazonなんかを見ると、予約の時点でまあまあの売れ行きみたいなんで一安心ではございますが
ま、せっかく作ったんで、皆様も興味がございましたら遊んでみて下さいませ。



金色のコルダ3 AnotherSky feat.神南/コーエーテクモゲームス

¥6,090
Amazon.co.jp


ちなみに、これどんなゲーム?という方も居ると思うので一応解説しますと

■ジャンルは?

ジャンルは「女性向け恋愛ゲーム」でございます。
いわゆる「ときメモ」なんかに代表される恋愛シミュレーションゲームの女性版ですね。

元々「ときメモ」や「同級生」みたいな男性向け恋愛ゲームってのは色々あったんですが
それを初めて女性向けにして作ったのがコーエーの「ネオロマンスシリーズ」

そのシリーズの一角を担うのが、我らが金色のコルダ


■ストーリーは?

音楽科のある高校に普通科で編入してきた女性(主人公)が
妖精さんの力で急にバイオリンが弾けるようになりまして
そんでもって音楽科のイケメン達と仲良くなっていく、というお話です。

まあ恋愛ゲームの基本で、攻略対象が何人かおりまして
好みのキャラを攻略してハッピーエンドを目指すワケです。


■Another skyって何?

「金色のコルダ」シリーズは今のところ3まで出てるんですが
今日発売になったのは「Another sky」って事で
ちょっと外伝的な位置づけの作品です。

どういう事かと言いますと
今までのストーリーの中で、その主人公がいる高校の他に
ライバル校が出てくるんですね。
そのライバル校のキャラ達もまた魅力的なキャラクターが色々居るわけなんですが
今回は「もし主人公が、そっちのライバル校に編入してたら?」というお話です。


■神南編?

金色のコルダ3に出てくるライバル校は3つあるんですが
本日発売の神南編ってのは、神戸にある「神南高校」が舞台です。
どうやら、金髪でエレキバイオリンを弾く毒舌なヤツが出てくるそうです。
………え?(笑)

ちなみに、神南編に続き「至誠館」「天音学園」と残りの2校も
3月、5月に発売が決定しておりまして
そちらもオイラがひいこら言いながら
演奏してますんで、よろしくお願いします(笑)




ダッタン人の踊り

ダッタン人~♪
父さん~はダッタン人~♪
母さん~はダッタン人~♪
ぼ~く~だけハーフ~♪



って替え歌が大学の頃ありました。(動画1:05より)
いやー、お母さん、一体若い頃にどんな過ちを犯してしまったのか
とても気になりますね。

はい、どうも、若い頃に「モンゴル8000」というコピーバンドを組んで
ギターでステージに立った、という過ちを犯したことがある俺です。

ま、今となってはそれも良い思い出ですが、それでも
「ギターを持って人前には立たない」
という誓いだけは忘れる事がありません。



というわけで、そんなモンゴル繋がりで、今日は予告通り大モンゴル帝国について。



冒頭からボロディンの名作オペラ「イーゴリ公」から
名曲「ダッタン人の踊り」を紹介させていただきましたが
この「ダッタン人」ってのが、いわゆるモンゴル人の事。
漢字で書くと「韃靼人」
日本だと「蒙古」とか「元」とかそんな呼び名もメジャーですね。
(蒙古は「モンゴル」の漢字書きです)


さてさて、そんなダッタン人の踊り、なんだか哀愁漂う美しいメロディで
近年のクラシック曲でも非常にメジャーな一曲に数えられてますが
ダッタン人ってヤツら、正直「哀愁」とか「美しい」とか
そんな軟弱な言葉で語るような奴らではございません。


まずは、こちらのランキングを御覧ください

歴史上の帝国領土面積一覧(英語)


人類の歴史ウン千年のなかで、その領土の広さは
栄えある大英帝国に次いで2位。
陸続きで、という条件を付けるならぶっちぎりのトップです。
(大英帝国は領土はとびとびだからね)

その広さは、地球上の全陸地の25%にあたります。

ちなみに、モンゴル帝国が全盛期を迎えたのは1300年前後。
まだアメリカ大陸もオーストラリアも発見されてませんし
アフリカはほぼ未開の地。5大陸のうち、4つは完全に文明圏外で
当時の文明のほぼ全てはユーラシア大陸にあったので
人類世界の大半を手にしたといっても過言ではないでしょう。


さて、このモンゴル帝国ですが、とにかく色々とすごいです。


チンギス・ハーンがモンゴル帝国を建国したのが1206年。
日本だといい国つくろう鎌倉幕府、とか言ってた14年後です。

この時代は、世界の文明の中心地ってのは2つありまして
中華文明と、イスラム文明のツートップが世界を牛耳ってた感じです。


あれ?ヨーロッパは?


この時代は暗黒の中世なんて呼ばれた時代で
ヨーロッパなんてのは未開で不毛なイナカだったんですね。
西の文明の中心は地中海地方で、そこら辺はほとんどがイスラムの勢力圏。
ギリギリ頑張ってたのは、ローマ帝国の末裔たる東ローマ帝国(ビザンチン)
ぐらいのモノで、それより北のドイツだのフランスだのあの辺は
「ヨーロッパ(笑)」みたいなそんな扱いでした。

今のヨーロッパからすれば信じられない話ですが
ま、東京だって400年前までは何も無いただの野原でしたからね。
時が流れば、文明の中心というのも変わっていくものです。


で、その2つの大文明圏に挟まれた中央アジアから生まれた小国モンゴルが
わずか70年で、そのほぼ全てを飲み込みます。


モンゴルの他にも、過去に色々な帝国が大遠征をやって巨大な帝国を築いた事はありますが
それは大体が、大本の中心地がすでに文明圏の中にあるんですね。
その中で、権力を手に入れた天才が、周囲の蛮族をなぎ倒して大帝国を築き上げる、というのが
普通のパターン。

何もないトコからいきなり湧いてきてこんな大帝国を作ったというのは
このモンゴル帝国だけです。



さて、さっきも言ったようにこの時代の中心は地中海と中華地方ですから
もちろん、そこには色々な国が立ち並んでます。

東には、正当漢王朝の「宋」
完顔阿骨打が建国した女真族の王朝「金」

西には、中国の前王朝の末裔が建国した「カラ・キタイ」
東欧の覇者「キエフ大公国」
ペルシャから中央アジアまで収める大帝国「ホラズム・シャー」
イスラムの雄「セルジューク朝トルコ」
ローマ帝国の末裔「ビザンツ帝国」

これら、一つ一つをとってもその地域じゃ相当な大国で
モノによっちゃ「大帝国」と読んでも差支えの無いレベルの国々

擬人化するならば、ワンピースで言う七武海クラス
HUNTER☓HUNTERで言うなら、幻影旅団ぐらいでしょうか。

それを僅か70年でたった一人で全員ぶっ倒すってんですから
このモンゴル帝国ってヤツ、間違いなくレジェンド級ですね。
アリ王とか、白ひげとかそういうたぐいの完全にランク外の強さです。


この、反則級の強さを誇るモンゴル帝国の大遠征から逃れられたのは
ユーラシア大陸でも、ほんと僅かな地域だけでした。

まず、東は日本のみ。
ま、これは元寇やらカミカゼやらで有名ですから解説の必要は無いでしょう。
元々騎馬民族のモンゴル軍ですから、海を越えての侵攻はさすがに勝手が違ったでしょうね

南は、ベトナム以南の東南アジア地域と、インドのみ。
日本は海があったおかげで無事でしたが、こちらはヒマラヤ山脈が防壁の役目を果たしました。
あとは寒冷地出身のモンゴル軍は暑いのが苦手だったというのも原因のようです。
ちなみに、モンゴル軍と戦って撃退したのは、ベトナムと日本だけ。

そして、西はポーランドから先の西欧地域が辛うじて残されました。

ヨーロッパ遠征を決めたのは、第三代皇帝オゴデイ・ハーン。
中央アジアまでは、すでに初代チンギス・ハーンの時代に軒並み手に入れてますから
いよいよ文明の中心地、地中海を目指してモンゴル軍が襲来します。


当時、西ヨーロッパは色んな国がお互いに小競り合いやったりなんだりと
平和に戦乱の歴史を綴っていたんですが
いよいよ東欧諸国がモンゴル帝国に飲み込まれるに至り
「キリスト教国同士がいがみ合ってる場合じゃねぇ!
 みんなで力を合わせてアイツらからヨーロッパを守るんだ!」
とばかりに、欧州諸国が力を合わせてポーランド防衛に乗り出します。


防衛に参加したのは、当時のヨーロッパのドリームチーム
テンプル騎士団とか、チュートン騎士団とか、栄えあるドイツ騎士団とか
欧州に名だたる騎士団が轡を並べます。

「ふん、お前らと慣れ合うつもりは無い…
 が、あのモンゴル帝国ってヤツらはもっと気に入らないんでね」とか
「ふっ、敵にすると厄介だが、味方にすればこれほど頼もしいヤツは居ないな」とか
なんかそんな事言いながら呉越同舟のドリームチームを作ってモンゴル軍に立ち向かうワケです。
それが、1241年の「ワールシュタットの戦い」

で、どうなったかと言うと







欧州連合軍、コテンパンwwwww







もうね、ほぼ何も出来ずに蹴散らされたヨーロッパ連合軍はあっという間に大将ぬっ殺されて
その後も追撃に次ぐ追撃を受けて、僅か数日で15万の死者を出したとかなんとか
で、あわやウィーンまでモンゴル軍が迫ろうか、という時になって
本国で皇帝オゴデイ急死の報が入り、モンゴル軍は兵をひき、慌てて本国へ取って返します。

この時オゴデイ逝去の報が入らなければ、モンゴル軍はそのまま進撃し
大西洋まで到達してたんじゃないか、なんて言われています。


というわけで、モンゴル軍の規格外の強さについては少しご理解いただけたんじゃないかと
思うんですが、では、その強さの秘密について少し迫ってみましょう……





と思ったけど、長くなったから今日はこの辺で。



つづく……かな?

ジンギスカン

はいみなさまこんばんは。
おはようからおやすみまで、暮らしを見つめる俺です。
嘘です。それただのストーカーですね。

でも、このキャッチフレーズは元はライオンのキャッチなんですが
百獣の王ライオンにおはようからおやすみまで暮らしを見つめられたら
ストーカーどころの恐怖じゃありませんよね。
とても生きてる心地がしないと思うんですが、みなさんいかがでしょうか


さて、それはそうとジンギスカンです。
いきなりライオンからヒツジかよ、と言われるかも知れませんが
だってヒツジの方がライオンよりも美味しいもん。仕方ないよね。


俺は別に北海道出身でも何でもないんですが
実はジンギスカンが大好きなんです。
なんでって言われると困るんですが
あの臭みといい、野菜に染み込んだ肉汁といい、最高ですね。

ちなみに、このジンギスカンって料理、なんでジンギスカンって名前!?
と思って気になったんで調べてみました。


元々日本にはヒツジって居なかったんで
当然羊肉ってのは維新以降に入ってきた食料なんですが
いつ入ってきたのか、というと、まあ大体戦前の中国から。
当時日本の勢力圏だった満州から伝わった料理らしいんですね、これが。
向こうでは「烤羊肉(カオヤンロー)」っていう名前なんだそうですが。

で、日本は当時急速な欧米化を推し進めている最中ですので
紡績方面でも、羊毛文化の輸入に熱心だったそうです。
特に、軍服やその他制服の類は、羊毛を使いますので
それらを国内で生産する必要があったみたいです。

そんでもって、せっかく羊を飼うならば、毛だけじゃなくて肉も使いたい、と。
そっちの方が酪農家も一粒で二度美味しいワケで、意気が揚がるでしょう。
という事情があって、羊肉食を日本に根付かせたい、という事だったんですが
肉食の習慣が元々ない日本人、その上羊肉ともなるとかなりマイナーなんで
何かブームになる料理を仕掛けて、国民全体に流行らせたい。

そういう事情から生まれたのがジンギスカンって料理なんだとか。



・・・・・・・



で、名前の由来は?



これが、実は確かな事はわからないんだそうだとか。
ただ、まあ羊→遊牧民族→モンゴル→ジンギスカン
って発想になったんじゃないか、ってお話みたいですが(笑)



ちなみに、よくある説明で
「昔のモンゴル軍が遠征の時に、カブトを鍋代わりに使って羊肉を食べた」
「そのモンゴル軍のカブトの形が、今のジンギスカン鍋の原型である」
っていうのは、どうやら真っ赤な俗説なんだとか。

ま、そりゃそうだ。
普通に考えて一日中かぶってた汗臭いカブトでわざわざ煮炊きしないでしょ。
串に刺して焼けばいいんだから…

あと、珍説としては
「義経が青森で生き延びた後、蝦夷に渡り、そこから大陸に渡ってジンギスカンになった。
 その後、義経に付いていった家来がモンゴル軍を抜けて蝦夷地まで帰ってきて
 ジンギスカン料理を伝えた」
なんていう突っ込みどころ120%の珍説もあります。

どうでもいいですが、誰なんでしょうね
義経=ジンギスカン説を最初に言い出したヤツって。
どうやらすでに江戸時代にはその説があったみたいで
時代が時代とはいえ、新井白石とかそういう国内一流の学者ですら
本気で研究してたとかなんとか、そんな話があるとか。


ま、判官贔屓なんて言葉があるくらいで
日本人にとっては知名度ナンバー1の悲劇のヒーローですから
いわゆる「鬱エンド」を嫌った人たちが
トゥルーエンドルートを勝手に二次創作したってトコなんでしょうけど
それにしても、義経のキャラと、ジンギスカンのキャラでは
あまりにパーソナリティに違いがありすぎてなんともかんともです。


何しろ、チンギス・ハーンと言えば

「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、
その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、
その馬に跨り、その女と妻達を犯すことにある」

なんて事を言う男ですからね。
良くも悪くも並みの人間じゃなかったんでしょうが
正直、義経の口からそんなセリフは聞きたくないですねー(笑)




というわけで、次回はそんなチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国について
(え、続くの?!)