日本において高度経済成長以前から成立していたのが4つの工業「地帯」です。東から京浜、中京、阪神、北九州です。20世紀の初めから国内の鉄鋼業の中心として発達したのが北九州、1930年代をピークに軽工業の中心として最大の出荷額を誇ったのが阪神、高度経済成長期に総合的な工業地帯として首位に立ったのが京浜、そして現在は自動車工業を主として国内最大の出荷額を誇っているのが中京です。

 

しかし高度経済成長期以降、北九州工業地帯の凋落は激しく、現在はむしろ「三大」工業地帯と呼ぶのが普通となりました。その一方で、既存の工業地帯の周辺でも工業化が著しい「工業地域」がうまれました。北関東校長地域(群馬、栃木など)、京葉工業地域(千葉県の東京湾沿岸)、東海工業地域(静岡県)、瀬戸内工業地域(岡山県、広島県、香川県、愛媛県)など。これらの台頭によっても、北九州工業地帯は相対的な地位の低下がみられました。

 

北九州工業地帯は福岡県と山口県を含む工業地帯ですが、とくに福岡県の北部を中心としています。この地域は、石炭資源が多く産出されたことにより20世紀の初めに官営の八幡製鉄所が建設され、日本の鉄鋼業を長くリードしてきました。

 

しかし1960年代に大きな転換点を迎えます。一つは「エネルギー革命」。世界のエネルギー需要の多くが、石炭から原油へと転換しました。当時の原油価格は極めて安く、とくに西アジア地域(サウジアラビアやイランなど)では油田の開発が積極的に行われ、大量の原油が世界市場に流れ込みます。この安価な原油の利用により、石炭が駆逐されていきます(もちろん、1970年代のオイルショックにより原油価格が高騰し、世界は手痛いしっぺ返しをくらうのですが)。

 

さらにオーストラリアなどからの安価で質の高い石炭の輸入が始まったことです。日本の石炭は水分が多く(海底炭田もありました)燃えにくいものとなっています。そもそも「坑道」式と言って、地下深くまで坑道を掘って採掘しないといけないのでコストが高いのです(それ以前の問題として、事故の危険性が高く、命が危険にさらされるという大問題もありました)。オーストラリアは乾燥しているため石炭が水分を含まず燃えやすく(無煙炭といいます)、さらに露天掘りであるため安全かつコストが安いのです。

 

エネルギー革命そして安い輸入石炭の流入により、日本の産炭量は大きく減少します。九州北部の炭鉱も多くが廃鉱に追い込まれ、ついには国内の石炭産出量はゼロとなってしまいます。

 

北九州地区の鉄鋼業は、石炭産出地域に近いという優位性を失います。一方で、海外から輸入に適した太平洋沿岸の臨海地域へと新たに製鉄所が設けられ、鉄鋼生産の中心はそちらに移行します。もちろん現在全く北九州地区で鉄鋼生産が行われていないわけではないのですが、かつては複数あった高炉(鉄鉱石を溶かし、鉄鋼の原料を得る)の一つは取り壊され、その後にレジャーランド(スペースワールド。ただしこちらも閉鎖されましたが)が建設されました。

 

補足;実は北九州工業地帯には、石炭を近隣で産する以外の優位性もあったのです。それが鉄鉱石の供給。日本ではもともと鉄鉱石の産出は少なく、中国からの輸入に依存していました。北九州は中国に近く、実は輸入に適していたわけですね。ただし、経済成長によって中国はむしろ鉄鉱石の輸入国となり(現在、世界最大の輸入国です)、輸出はなくなりました。北九州の製鉄所は鉄鉱石も失ったのです。

 

鉄鋼業が「原料立地→臨海立地」へと移動した大きな影響を受けているわけですね。

 

なお、現在の日本の主な製鉄所としては、鹿島(茨城県)、東海(愛知県)、水島(岡山県)、福山(広島県)、大分(大分県)など。いずれも本州と九州の太平洋側に面し、オーストラリアからの石炭と鉄鉱石の輸入に適しています。高度経済成長期に建設された巨大な製鉄所です。