被災地訪問と握手会について考える | AKB48、とある地方ファンの呟き

AKB48、とある地方ファンの呟き

とあるきっかけからAKB48のファンになりました。地方ファンの立場からいろいろと思ったことを綴っていきます。

今日は本来ならば、横浜で写真会でした。
しかしながら先日の事件の影響で、開催が延期となってしまったので、今日は家でブログを書いたり、その他いろいろ用事をしております。
できれば金曜の公演の感想など伝えたかったのですが、残念です。それは手紙に書いて出そうかと思います。


昨日、羽田空港で帰りの飛行機に乗る際に手荷物検査を受けましたが、金属探知機のゲートを見て、その前日に秋葉原の劇場で見たものと同じタイプのもので、その時の記憶が呼び起こされたような感覚でした。250人(最前席が21席あるので、実際には229人)でもかなりの時間を要しましたので、例えばあれをそのまま個別握手会などの入り口に置いたらそれこそかなりの時間がかかるかと思われます。味の素スタジアムでは7万人でしたが、個別握手会となるとそれと同じくらいかそれ以上の人数が訪れることが想定されます。もっとも個別握手会はメンバーによって始まる時間も終わる時間も違うので、一度に捌かないといけない人数は限られますが、それでも開場直後とはかなりの人が殺到します。果たして捌ききれるかという懸念があります。味の素スタジアムの1日目は入場に時間がかかったため、本編の曲数が削られてしまったということがありました。

今日はおそらく、6月1日の幕張のように、再開へ向けたシミュレーションをしているのではないでしょうか。直近でいうと7月5日に個別握手会がありますが、1週間を切っているのに、開催について音沙汰無い状態で、数日中にはアナウンスがあると思われますが、いったいどうなるのかが気になるところです。

昨日は、2011年5月より行われている被災地訪問が行われました。これがが38回目で、訪問先は岩手県山田町、あの事件以来初めての被災地訪問先が岩手県というのも意義深いものを感じました。
山田町といえば、メンバーにちなんだジオラマを制作していることで、ファンにもよく知られていて、2011年5月の第1回目の被災地訪問の場所でもあります。

あの事件があって、被災地訪問がどうなってしまうのか、同じような形式で続けられるのかという思いはありましたが、これまでAKB48が続けてきた活動は揺らいでいないのだとわかり、安心したのと、これまでとはまた違った感慨がありました。
そういえば、劇場には、被災地の方々のメッセージが書かれた横断幕が飾ってありましたね。
※湯浅さんのGoogle+に投稿で紹介されていました。
https://plus.google.com/103959130721189812017/posts/FKcfTxPS6zi

センセーショナルな話題はこぞって取り上げるのに対して、こういう地道な活動はメディアであまり取り上げられませんね(NHKくらいでしょうか)
先日の事件の後の一部のメディアの報道には、実情を知らないのに、始めから結論ありきで、ファンでない一般の人をミスリードしかねないものが多々ありました。ひと昔前に比べてアイドルを応援することに対して、世間の目の厳しくはなくなってきて、実際に全国握手会では家族連れで来られる方もけっこう多いです。アイドルの現場というのは男性ファンが圧倒的に多く、その中にあって、女性や子供が気軽に参加できるというのは、それだけAKB48の間口が広がった証拠だといえます。



昨日の被災地訪問、恒例のハイタッチは小学生以下限定だったみたいです。
直にメンバーと触れ合える貴重な機会ですし、今の難しい状況の中で見いだした妥協点でしょうが、参加した子供たちにとっていい思い出になったのではないかと思います。
何事も続けるのはそれなりの労力が必要です。「継続は力なり」とも言いますが、「止める」という選択肢もある中で、あえて困難な道を選んだことについて、関係者の方のご尽力にはファンの1人として感謝しています。

事件後の報道で、握手会について、偏見としか思えないような報道もありました。その記事を書いた人間が、実際に握手会に参加されたことがないというのだけはよくわかりました。
握手会という言葉が一人歩きしていますが、握手すること自体が目的の人も確かにいますが、大半の人はメンバーとの会話を楽しむことを目的としています。

握手はあくまでコミュニケーションのひとつで、「お互いに武器を持っていない=敵意を持っていない」ということの証明として、西洋社会では古来より慣習として行われてきたものです。
日本でも明治以降その慣習が伝わり、今でいうと選挙の時に候補者が、街頭で周囲に集まった人に握手を求めるのがお馴染みの光景となっています。実際に手と手が触れることで、より親近感をアピールするという目的があります。

自分の場合、話す方に意識がいってしまうので、握手の感触はあまり覚えていないことが多いです。時々握手するのを忘れそうになりますが(笑)、大抵はメンバーの方から握ってきてくれるのでそれに助けられています。話せれば別に握手できなくてもいいですが、あった方がより親近感が持てるというのが正直なところです。

メンバーは「握手会が楽しみ」とよく言ってますが、実際に1日立ちっぱなしで何百人の人と接する仕事というのもそうないので、肉体的にも精神的にも決して楽ではないと思います。ほとんどファンはマナーを守っていますが、中にはそれが出来ない人、ただ自分の不満の捌け口としてしてしかメンバーを見ていない人、メンバーへの歪んだ愛情により、説教や暴言を吐く人もいると聞きます。自分がメンバーの立場だったらと想像した場合、握手会での対応ひとつで「神対応」とか「塩対応」とか評価されるのはほんと大変だなと思います。

握手会は一方的なものではなく、メンバーもファンもお互いの気持ちを尊重する姿勢というのは大事だと思います。個別握手会で部数の多いメンバーはそれだけ披露しますし、会話をするということは、お互いの関係性にもよるところがありますが、ファンとメンバーという関係を考えた場合、何度も来ていて気心のしれている人もいれば、初めて来る人もいるわけで、会話の内容も、それぞれ違うので、それに10秒という短い間隔で対応するというのは、実際に経験した人でないとわからないものがあります。肉体的な疲れと違い、精神的な疲れというのはなかなか見えにくい分、誤解されやすい部分でもあります。
今年の4月、5月はほぼ毎週握手会(と写真会)があったので、一番大変だったのではないでしょうか。売り上げのこともあるんでしょうが、ひと昔前に比べて握手会の回数が多くなっているのは、メンバーの疲労を考えた場合心配です。その分、公演やレッスン、リハーサルにあてる時間が削られてしまうわけで、全国ツアーの再開があの事件後に発表されたのは、偶然かもしれませんし、直接の因果関係はないと思われますが、なんとも皮肉だなと思いました。

あれから1ヶ月以上、Google+など、交流の場所はありますが、それでも生で直接触れ合い、会話できるということを一度でも体験してしまった人間にとって、今の状況は寂しいのひと言に尽きます。
最初は大人しく従ってた人の中でも、この状況がずっと続いているとそれに耐えきれず、メンバーへの興味が薄れてしまう人が出てくるんじゃないかという心配があります。まあ、それで離れてしまうような人は、結局それだけの気持ちしかなかったということなので、引き留めるつもりはありませんが。
メンバーにとって、今回の事件の影響度合いも違うでしょうし、考え方もそれぞれなので、一律的にこうだと決めるのは難しい状況というのは重々承知しています。どういう結論を出しても必ず批判はあるでしょうし、興味本位なメディアがまた取り上げることだと思います。残念なkことですが、AKB自体が色眼鏡で見られているところがあり、事件自体による傷だけでなく、そういった周囲の見方によってメンバーもファンもAKB48に関わる関係者もみな傷つけられました。
大切な場所である劇場に入るのにも、空港と同じようなセキィリティチェックが必要で、客席とメンバーとの間にある柵は柵そのもの以上に、互いの間に障壁ができてしまったのだいうことを実感させられます。
一度事が起こって、再発防止のためにいろいろ取り組まないといけないのは当然ですが、なぜ今までそれが必要でなかったのか、メンバーとファンが時間をかけて築いてきた関係性、信頼関係があったからではないのでしょうか。結果を知った上で、そこに至った要因を探ることだけなら誰でもできます。「あれが○◯だったから」「あの時こうしておけば」というのはいわば結果論です。

ファンが今の警備に不満を言わないのはあの事件があったからであり、仮に何もない時点でこのような体制をとっていたら「ファンに対して失礼でないのか」と叩かれていたことでしょう。
何かあった時でないと動かない、動けないという日本人の典型のような気がしました。





事件があったあの日、被害にあったメンバーのいたレーンではないですが、メンバーとてるてる坊主をつくるという催しもありました。より親密感が得られるイベントとして好評だったみたいですが、こういうことも今後出来なくなるんでしょうか、そうだとしたら残念であるというしかありません。

劇場公演もそうですが、これまでメンバーとファンが大事にしてきた握手会で起こったことに対して、憤りを感じずにはいられず、一人の身勝手な行為によってどれだけの人が影響を受けたのか、犯人にはその事実の重さを受け止めてもらいたいです。

完全に元のかたちに戻るのは時間がかかるし、元のようにならないかもしれません。
アイドルといえば、それこそ昔は雲の上のような存在であり。今のように当たり前のように会えて、話ができることに慣れているとその有り難みが薄れてしまいがちですが、こういうことになって改めてそのことの大切さを痛感しました。

世間の関心も多少は薄れたとはういえ、まだまだ熱りが冷めたわけではないですし、クリアすべき問題も抱えている状況です。焦る必要はありませんが、少しでも良い方向に向かってくれるよう願うばかりですし、自分に何ができるのかということを今後も考えていきたいと思いました。