国立競技場 | AKB48、とある地方ファンの呟き

AKB48、とある地方ファンの呟き

とあるきっかけからAKB48のファンになりました。地方ファンの立場からいろいろと思ったことを綴っていきます。

気づけば3月も今日を含めてあと3日、本当に月日が経つのは早いものです。

最近は仕事に追われる毎日で、なかなかゆっくりとブログを書く暇もないです。

ちょうどいいのか悪いのかわかりませんが、劇場公演も当分ないので諸々やらないといけないことに専念できそうです・・・

さて、今日、明日は国立競技場でのコンサートですね。今日がAKB48単独、そして明日はグループ総出演。少なくとも明日は大島優子さんの卒業イベントが目玉になっているのでしょうが、気がかりは天気ですね。予報では雨の可能性がかなり高くしかも荒れ模様になるかもしれないと、メンバーはもちろん行かれる方も用心していった方がいいかもしれませんね。

長い歴史をもつ国立競技場(竣工は1958年)ですが、音楽コンサートが開催されるようになったのは最近のことで、2005年にSMAPが単独公演を行ったのは記憶にある方も多いかと思います。それ以前にいわゆる世界三大テノールの公演が1996年に行われていますが、日本のアーティストとして単独公演はSMAPが初になります。

それ以降はDREAMS COME TRUE(2007年)、嵐(2008~2013年)、L'Arc~en~Ciel(2012、2014)、ももいろクローバーZ(2014)、そして今回のAKB48が単独公演としては6組目となります。

ちなみに現在の国立競技場は、2020年の東京オリンピック開催へ向けた立て替えのため、今年7月から解体作業が始まりますが、最後にコンサートを行うのは5月17、18日のポール・マッカートニーだそうです。

2005年にSMAPが同会場でコンサートを行った際には、利用申請から開催までに3年の期間を要しています。騒音や芝生管理上の問題以外にも、コンサートの公演内容やスタッフ対応、観客マナーについても厳しく審査されたようで、開催するまでは大変だったというのは、自分も少し耳にした記憶があります。今もその基準が適用されているのかどうかわかりませんが、都心にある競技場である以上、近隣の方々にとってはやはりファンのマナーというのが一番気にされていることではないかと思います。

握手会やコンサートの現場で感じることですが、AKB48のファンの全てとはいいませんが、一部には決して良いといえない方々もいて、端的にいえばゴミの問題ですが、少なくとも自らの応援しているグループの評判を落としかねるような行動だけは控えて欲しいと願わずにはいられません。自分の心配が杞憂に終わることを祈ってます。

国立競技場(正式には国立霞ヶ丘陸上競技場)には自分も思い入れはあって、1964年の東京オリンピックはまだ生まれていなかったので、映像でしか思い出しかないですが、1980年代にはサッカーのトヨタカップの舞台となったり、高校サッカーや天皇杯の決勝の舞台となったり、サッカーのイメージが強いです。1997年に行われたフランスW杯のアジア予選での熱戦も印象深くて、97年の9月の対ウズベキスタン戦でしたが、地鳴りのような歓声と紙吹雪が舞っている光景はテレビで見てても鳥肌が立ったのを思い出します。
あとは1991年の世界陸上の舞台で100mと走り幅跳びの世界記録が更新され、当時スポーツキャスターとして出演していた長嶋茂雄さんが興奮しながらレポートしてたのも印象的でした。(走り幅跳びの記録は23年経った現在も破られてないです)

と思い出話がさておき、10代の方にはちょっとピンとこないかしれませんが、やはりある程度年齢のいった世代の方々にとってはやはり”国立”という名の付くスタジアムは一種特別な響きを持っていて、憧憬としての存在であると。
ほとんどが10代AKB48のメンバーにとって、国立競技場というものがどういう重みがあるのかは、なんともわかりかねますが、メンバーのブログやGoogle+を見ていると形は違えど、それぞれ思うところがあるみたいです。


昨年、総選挙の開票の舞台となった日産スタジアム(横浜国際総合競技場)を見てもそうですし、自分も参加した東京ドームでのコンサートを見て痛感したのが大きな会場でコンサートをすることの意義です。
よりキャパシティのある大きな会場であることは、たくさんのファンに見てもらえるというというスケールメリットがあると思いますが、その分犠牲にしている面も少なくないと思っています。
キャパシティ250人という劇場公演からスタートしたAKB48が、数万人を相手に同じパフォーマンスを見せられるのかというもありますし、見る側にとっても、お互いの顔が見える劇場でなく、双眼鏡やスクリーンを通じてないと見ることができないような座席で果たして満足度が得られるのかという、やはりそれは難しいのではないかと思います。

会場が大きくなったり、出演する人数が増える分、1人1人のメンバーに与えられる機会は自ずと減りますし、座席によってはまともにメンバーも見られず、距離も離れているので雰囲気だけを味わって帰ってきたなんてことのもなりかねません。(昨年の東京ドームがまさにそうでした)
あとはセットリストの問題で、ここ数年のコンサートを見ていると、定番シングル曲と、公演ユニット曲の使い回しが目立ちます。公演曲については、新公演が出来ていない以上仕方ないのですが(そもそもそれ自体がどうかとは思いますが)、最近は選抜メンバーと運営に推されている?と思われる若手有望メンバー以外はほとんど見せ場がなく、メンバーによってはバックダンサー同様の酷い扱いしかされていない状況には思わず首を傾げてしまいます。

メンバーのGoogle+の投稿で「見つけてください」という内容が目立ちましたが、確かに100人以上がいるステージの中から自分のお目当てのメンバーを見つけるのはかなりの至難の業です。アリーナ席ならまだしもスタンド後方などは双眼鏡を使っても難しいというのは自分でも実感したことなのでよくわかります。
今回の国立競技場でコンサート、そして来週さいたまスーパーアリーナで行われるリクエストアワーはかなり早い段階から不参加を決め込んでいました。(大組閣という暴挙への抗議の意味もありますが、年度末・年始というおそらく一年で一番忙しい時期に、はるばる遠方から参加することは物理的に無理だとわかっていたので、未練はなかったです。

そもそも握手会やコンサート等のイベントが関東近郊でしか行われていない現状に、地方ファンとしてはひと言も二言もいいたい気分で、全国ツアーの優先度合いを見てもわかるように、地方軽視といっても過言ではなくて、日々不満は溜まるのみです。

確かに大きな会場でのコンサートは、グループの勢いを示すものですし、マスメディアも盛んに取り上げるので、それによる宣伝効果は大きいと思います。昔と違い、メンバーの数も増え、関係するスタッフや、関係会社の従業員まで含めるとその数はかなりの数になるはずです。
事業主としては社員を養っていかねばならず、そのために利益を求めるというのは資本主義の原理であり、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、それがあまりにも強くなってしまうと、労働者を人ではなく便利で使い勝手のいいモノとして扱うような経営者が跋扈し、それによってもらされる悪影響を考えると、利潤のみを求めていくと人心は必ず離れてしまうのは歴史が証明しています。

また別途記事にしますが、総選挙にしても、もはやファンの思いが云々というレベルではなく、一種のマネーゲームのようになっているのが気がかりで、総選挙の在り方自体に疑念を抱く要因となっています。


ドームツアーや今回の国立競技場コンサートは、AKB48というグループには箔をつけるには十分だと個人的に思っています。さらなる高見(あるかどうかはわかりませんが)を目指すのも必要かもしれませんが、まずは足元を見つめた活動を大事にして欲しいというのが率直な願いです。