佐藤亜美菜さん卒業に寄せて | AKB48、とある地方ファンの呟き

AKB48、とある地方ファンの呟き

とあるきっかけからAKB48のファンになりました。地方ファンの立場からいろいろと思ったことを綴っていきます。

1月15日のチームK公演は佐藤亜美菜さんの卒業公演でした。
先月の発表からまだ数週間も経ってないのに、ずいぶん早いなというのが、この卒業公演の日程を最初に聞いた時の感想でした。





約3時間に及んだ卒業公演、同期である4期生が駆けつけ、それぞれが思い思いの言葉をかけた後に、最後は以下のような亜美菜さんのコメントで締めくくられました。

「えっと、絶対に卒業して、失敗しません。なので、いいお手本に、卒業生としてのいいお見本に、いいお手本に、それをみんなが見て「こうやって頑張ってる人もいるから私も頑張ろう」ってメンバー以外でも、お仕事大変だったりとか学校めんどくさいなーとか、バイト先輩ムカつくなーとかいろいろ思ってる人いると思うけど、そういう人たちが亜美菜のこと見て、「あっ、この子あんないばらの道行ったのに、よくここまで這い上がってきたな」って、「やっぱ努力したら報われるんだな」って思われるようなお手本になりたいです。だから、一生懸命努力するし、こうやって卒業のセレモニーを開いてくださったみんなに、皆さんに恥のない人間にちゃんとならねばいけないなと改めて今日この公演に出て思いました。余計に頑張らないとなって思いました。なので、本当に強がりだから、「AKBのこと応援して」とか、「亜美菜が卒業したら他の人を好きになっていいよ」とか、こうやっていろいろ言ってきたけど、やっぱり応援して欲しいし、だから亜美菜のこともっと応援したいなって思ってもらえるようにいっぱい頑張るし、その頑張りがちょっとずつでもちょっとずつでも、近いうちには目に見えないかもしれないけどどこかで皆さんに伝わったらまた応援してください。本当に今日は、メンバーのみんなも4期生のみんなもファンの皆さんも、本当にこんなに素敵な卒業セレモニーを開いてくださってありがとうございました」






佐藤亜美菜さんは4期生としてAKB48に加入、当時は1期生がチームA、2期生がチームK、3期生がチームBという区分けでしたが、メンバーの外仕事が増えて来てなかなか公演に出られなくなったこともあり、4期生はそれを補う目的もあって、第1回研究生オーディションとしての位置づけもありました。劇場デビューもまちまちで、一番早いメンバーと遅いメンバーとでは約1年の差があります。研究生制度自体まだ手探りなこともあり、今よりも扱いは良くなかったかと思います。
そんな彼女の劇場デビューは2007年7月1日のひまわり組「僕の太陽」公演でのアンダー出演でした。チームAとチームKの合同チームであるひまわり組は当然1、2期生ばかりで、まだ右も左もわからない状態でそんな状況に晒された心境は本人でないとわからないかもしれません。同じ日にデビューした倉持明日香さんが卒業公演での送辞のトリを務めたの巡り合わせでしたし、言葉にならない思いというのがよく伝わってきました。

佐藤亜美菜さんといえば総選挙での選抜入りというのがよく知られていますが、2009年に行われた第1回の総選挙での8位というのは、快挙と言ってよかったし、当時ほとんどメディアに出ていない彼女があの順位に入ったことについてはファンの間でも語りぐさになっています。『言い訳Maybe』での扱いはいろんな事情があったにせよ、ちょっと惨いなと思いました。(高橋みなみさんが見かねて彼女を慰めたというエピソードも有名ですね)
選抜3回はいずれも総選挙によるもので、いわゆる通常の(運営が選ぶ)選抜に入ったことは結局ありませんでした。研究生時代、全てのチームのポジションを複数覚えて、出られる公演には出るというスタイルを最初に実践したのは彼女であり、劇場公演を大切にするという彼女の姿勢が当時のファンから支持を得て、2009年の選挙結果に繋がったというのを昔の記録等で見た記憶があります。
メディア重視にAKB48全体が傾いていく中で、原点を大事にしてきたことはAKB48の在り方とは何かというものを再認識させ、「努力することの大切さ」というのを具現化して示すことになったのではないかと思います。
決して推されていたとは言えない立場にあって、自らの存在意義を考え続けた数年間だったと思います。MCではA4thの頃からMCの”回し”を任せられるようになって、周りはほとんど1期生ばかりという状態で、この経験が後々生きてきて、前チームBでは彼女がいるときのMCの安定感は抜群で、アンダーで初めて出るような研究生にもなるべく話を振るようにしていたのを覚えています。
毎回ではないですが、彼女がパーソナリティを勤めているラジオ番組を何度か聴きましたが、母親の影響で幼い頃からラジオに親しんできたこともあり、進行の上手さというのはメンバーの中でも随一と呼べるものでした。オールナイトニッポンの担当回数が全メンバーで1位というのも頷けます。まあ、毒を吐いたり、言葉が荒くなってしまうことはしばしば見られましたが、それを補って余りあるものがあったので、彼女の評価を落とすものではないと思います。

アイドルとしての彼女を見た場合、ここ数年はかつての輝きが薄れたように見えたのは否めなくて、時間の流れの残酷さとアイドルの輝きの儚さを感じたものです。
彼女はもともと劇場公演や握手会に通っていたほどのAKB48のファンであり、「AKB48は夢への通過点」というのが当たり前の時代において「AKB48のメンバーになりたかった」という理由で応募した最初のメンバーと言えます。
そのため、メンバーとしての視点だけでなく、ファンの視点というのをよく理解していたと思います。ファンを大事にするというのはアイドルに求められる要素でしたが、それを一番良く理解していたのは彼女であり、どうすればファンが喜んでくれるかというのもわかっていたと思うし、ファン目線で見られるからこそ、客観的にメンバーも見渡すことができたのだと思います。
ラジオ番組等で、チームやメンバーに対する評論はほとんどが的を得たものでしたし、先日チームA公演を見学した後にメンバー1人1人へのコメントも秀逸でした。あれを見て、彼女はアイドルとしてよりもアイドルをプロデュースする側になった方が才能を発揮できるのではないかと思いました。彼女と関わった番組スタッフの評価も総じて高いですね。


今後は夢である声優の道へ進まれるそうで、AKB48では決してその努力に見合った扱いを受けていたとは言えないので、見返してやるくらいの気持ちで頑張って欲しいですね。


自分は彼女とほとんど関わりがなく、握手もしたことがないのですが、この卒業公演を見ていろいろ思うところがありました。後輩も育っている中で仕方のないことだと思いますが、長くいたメンバーが卒業していくのはやはり寂しいものがあります。今年はこういう光景を見る機会が多くなるのかなとちょっと覚悟しています。