極端な例で言えば、
罪を犯した者にも名誉やプライバシーといった人権はあって、それらは守られなければいけないものではあるが、
その罪に関してはお咎めがないというのが法律というものなのだなと。
そしたら、
罪を犯された人間の人権はどうなるの?
こういう問題、よくテレビとかでもやってるよね。
「そのような事実があって、その事実の内容が公表されると影響がある」
その「影響があるだけの内容の事実」を公表することは罪にあたるけど、
「影響があるだけの内容の事実があったこと」を蔑ろにしていることは罪ではないの?
それだけのものだと認めているわけでしょ?
そこらの人に挨拶程度の認識で話す内容であれば、何の影響もないわけだし。
その関係性に関してもそうだよね。
何もなく、内容を公開する目的で公表してるならいざ知らず、
それらのものを蔑ろにして今もなおとしてるものがいる反面で、
蔑ろにされて理不尽や不利益を受けたものが主張をするためにそれら蔑ろにしてるものを用いるのは当然のことじゃないの?
どれだけのことを聞かされてきたのか、
どういうことをされてきたのか、
どんなこのがあったのか、
それがわからなきゃただの戯言なわけだから、そこがはっきりしなきゃ何もわからないでしょ。
どんな嘘も、どんな作り話もまかり通ってしまうし、どんな事実も表に出てこなくなる。
物事として、
「それらを蔑ろにした」というのがすべての発端なわけでしょ?
そういう人間であるってことが問題なわけだ。
それは「怒って当然のものだ」と言われたり、「ひどい話だ」と認めていた気がするけど。
それだけの相当なことをしてるってことでしょ。
それに対して理解も謝罪も補填も責を負うことも何もせず、それどころか恩を仇で返してることを開き直られて、物事がおさまった、だから黙れっておかしくない?
それこそ頼まれてもいないのに勝手にしたことはともかく、自ら求めて、決して軽くないほど世話になっておいて、筋すら通さず無言で排除したことが問題だと、いくら説明しても理解しようと考えることすらしてないことや、最小限の妥協点で妥協しようとしたことに不誠実で返したりってのは十分な過失じゃないの?
考えることすらしないから、どうしてこうなってるのかわからないんじゃないのかね。
欲しか頭になくて、それをどう守るかしかないのだろうからなぁ。
究極の棚上げだよね。
なにより、他人にそれだけのことをしたってのが欠けてる。
心が無い。
それでよく平気で自分のことって出来るよなって思う。
そういうことをしていないなら、さぞ立派ですねという話だけど。
そもそもそれらは利用してる時からだけどね。
自らあれこれ求めてやってもらっても、それらを当たり前のことだとなんとも思わない。
それどころか悪態をついたり。
そういう人がよく表面上で感謝とかを並べ立てられるよね。
裏ではあーだこーだ言って、そういうもんだとか言ってるのに。
人としては何も間違ったことは言ってないと思うけどね。
結局、こういうとこだよね。
法に頼らずに別の方法をとったりする人間が世の中にいる理由って。
人として正しいものがそうでないものに足蹴にされたり、法で解決出来ないことの方が多いんだから。
何かを告発する時って、
罪を負う覚悟や命と引き換えにする覚悟でするしかないんかね。
隣近所の誰それさんの罪を告発しますってのとはわけが違うし、それによって半分は自分の責任だとしても片側のみあれこれ背負わされてんだから。