良蔵  旧制高等学校 

 

           

                 

 

 寮 雨  

 

  遠い昔、二人は夢と志を抱き満州に旅立った。それに先立つ数年前、南の国の旧制高等学校で過ごしたあの若き日々が、竜之介の脳裏にいま蘇っていた。当時超エリートとされ、若者の憧れであった旧制高等学校の中でも、陸の最南端のせいか、ここは比較的入りやすかった。その分、学科以外に’得意’を持つ変わり者の生徒も交じっていた。教授も、個性に応じて、その威厳ある講義は生徒の目を輝かせ期待をかき立て、或いはいきなり催眠導入剤になったりもした。 

 中には教科書らしきものもなく、その場での教授の口述を生徒が筆記したものが試験の問題になることもあった。従って、とりあえず今はぐっすり眠っておき、まじめな生徒のノートのガリ版刷りの忙しい作業が後ほど必要になった。一部の猛者(3回までを限度とする)を除き、誰もが、ドッペリ(落第)は御免だった。

 かと思うと、教科書はあっても、10分もするとその本題から外れてそれにまつわるウィットにとんだ壮大な余談が終わりまで続く教授もいた。生徒にとってはまるで講談でも聴くようで面白く、最後は爆笑と拍手で閉じられた。

 そのうちの愛すべき一人がフランス語の湯浅教授であった。彼は三高から京都帝大出身である。さらに国費でフランス留学の経験まである。流れるような本場仕込みの流ちょうなフランス語の響きに、クラスのものは皆陶酔し、或いは何処かから流れでる官能的なニンフとの’牧神の午后の夢’の調べのごとく、心地よき睡魔を誘った。いずれも文科丙(仏語選択)で良かったと至極満足している。 何より、及第点もそんなにも辛くはなかったからだった。

・・彼は生徒の味方である。

 美しい仏蘭西(ふらんす)語でヴォードレエルの詩をそらんじ、すぐそのあとで、古きゆかしき硬質な文語調(或いは漢語調)の訳が続いた。そのたびに、湯浅は感極まり、頭をひょいと振り、その上に少し残った黒髪を揺らせてこう言った。

” 諸君、高邁(こうまい)で大いなる夢をもって、世に逍遥(しょうよう)せよ。

さすれば、幾多の挫折と困難を経たその先に、やがて聖なる光明が

’真理’のか細い道を、諸君ら求道徒の前に照らし出してくれることだろう・・。

諸君の潜在的’内’なる真理の芽は、’外’に飛び出してこそ、現実の中の矛盾・相克という新鮮な形で、諸君らの前に具体的にその意味が展開してくる。まさに、自他万有を含めた’純粋経験’の中に、それを認めることなのだ・・。諸君、旅に出よ・・。 ” 

教室の皆に、得も言われぬ笑顔が広がった・・。 

 

 数学の安川教授は一高・東京帝大出身で、黒板に美しい文字で数式を書き連ねた。確か、19世紀のフランスのカルタンとかいう学者の幾何学が専門で、”微分形式”という、サイン、コサインや微分、積分が入り乱れ、’ウエッジ’という妙な山高記号を駆使して、曲線や多次元空間と次元間の移動を表現しようとしていた、・・らしかった。 例外にもれず、二人にとり、教授の板書する芸術的な高等数学の文字、そのチョークの音とバリトンのような滑らかな低音の声は、昼寝には格好の響きであった。 外では、小鳥たちもそれに合わせ、美しく歌いさえずっている・・。

 良蔵は、腕に顔をうずめて、時空の座標を変換することで、ちと足を踏み外した地獄の次元から天国の次元へと都合よく上昇できている自分を夢見ていた。 芥川で読んで以来、日ごろ押しつぶさず恩を売っている蜘蛛(くも)のか細い手を借りなくて済んだ。

 良蔵は、試験で遂には数式が思い浮かばず、落第点覚悟で苦し紛れにその夢をもとにして、なけなしの知恵を絞り、自説を文章で答案用紙全面に開陳した。

 

 ” ・・この世俗の見えぬ背後には、天から地まで無限の次元がある。そしてその次元間を、いくつかの魂がそれぞれの固有の世界観を持して天風にゆらゆらと彷徨っている。ここに一組の男女の魂がおるとする。双方の魂はやはり、天から地まで無限の次元の可能性で構成されておる。

 やがて縁ある出会いにより、互いを見初め、この世で肉体と魂を交わすと、ここに何らかのエネルギーの爆発が起こるのである・・。 この世は、壮大なるあの世の写し絵である。

 男性は母性、すなわち大地である女性の慈愛より生ずるものなれば、母性を細かく’微分’したものが天に向けての男子の魂の発露である。その奇跡を生ずるのが謂わば’エロス’(愛)であろう。

 ’愛’という古代ピラミッド(ウェッジ;山高記号)の魔術にて、儀式を経て、互いが融合整理されると、新たな男女一如の神聖なる世界観を共有するに至り、すべての時空をつなぐ聖なる愛の微分方程式なるものが誕生する。 これこそ、天国から地獄まで多次元時空の間の座標変換により、我をして魂の移動を’唯一’可能たらしめるものである・・。ひとの男女の愛に限らず、生きとし生きる万物への普遍的な慈しみの愛は、時空を超え宇宙へと届く。一片の小さき蜘蛛の命への哀れみが、天空の観世音の我への恵みを誘うがごとく・・。” などなど、縷々(るる)と・・。

 結果は、その夢想的創意が評価されてか、教授の温情による二重丸をつけた’可’のぎりぎり青マーク及第点で、良蔵はドッペリ(落第)の地獄から救いあげられた。

 

 一方、竜之介は、宙を見上げ、虚の次元に自らをしのばせることで、実の次元の敵を制する、いにしえの剣術、’相抜けの術’の理合いを、その空間の座標変換に絡めて夢想していた。

 若者たちの思考実験は夢想である限りは何処までも雄大かつ縦横無尽(じゅうおうむじん)で、・・いずれも、’五十歩百歩’であった。

 その後、かのアインシュタインが重力の一般相対性原理を世に問うた時、このカルタンの’微分形式’の山高帽のウエッジを用いると、複雑難解な’リーマンの幾何学’の数式の羅列が非常にコンパクトにまとめることができた。文丙(文科フランス語選択)のクラスに来てしまったが、物理や数学が中学の頃から好きだった竜之介は、後になってそれを知った。

やはり’Elegant’(洗練された)な仏蘭西の数学者だ、などと感心したものだった。

竜之介は試験ではそのセンスが光り、数式を書き連ね、無印の’優’の合格点をいただいた。

 

 体育は、二人で柔道をした。流石(さすが)に竜之介は小柄な割に、武術の心得があって技がさえた。 一方良蔵は、小太りの上、少しへなへなしてへっぴり腰で、他の同級生に投げられる一方であった。従っていつも青い顔で戦々恐々としていた。見かねた竜之介から得意の’合気術’の手ほどきを、寮の万年布団の上で少し受けてみた。

”・・良蔵、力を抜くんじゃ。徐(おもむろ)に、手の内を使う。合気は相手に伝線して体が居つく。だが、そんなに怒ったり恐れたりすると、自ずと体に力が入る。力どうしでは、力に勝る敵に負ける。 吾の仮の力で、相手に実の力を入れさせて、そのあとは重力と天の理合いに任せる・・、すべては大小の円の理合い。するとほれ、こうなるんじゃ・・。”

真っ赤な顔をして、精一杯力んで掴みかかる良蔵を、竜之介は一瞬力を抜いてとらえると、そのままえもいわれぬ重い崩しでもって、良蔵を布団の上にずしんと投げつけてみせた。寮の大部屋が揺れ、壁の’神棚’が傾いた。 良蔵は首をかしげた。

”げに、神技じゃ・・。なんで、そないに簡単に投げられてしまうのじゃ・・。 ふーん・・不思議じゃのう。 いざ、もう一度・・。”

そんな具合に、こちらを見向きもせず両腕で盤を固く握りしめ囲碁に熱中する後輩たちの隣で、竜之介による秘伝の伝授が続いた。

 するとどうだろう、その次の授業でのことである。小太りな腹の重心も安定してか、何故か良蔵も見違えるように投げる側にまわり、現金なもので顔を青くしたり、赤くしたりせず、ピンクの明るい得意顔になった。そして遂に学年末の個人戦では、良蔵も竜之介に伝授された二つ三つの得意技で相手を制し続け、何と竜之介と一緒に最後まで残ったあげくに、”優”の成績までいただいた。これで寮の門の外に出て、花街あたりを冷かしにも出れる。その筋のものと出くわしても、これまでのようにすぐ竜之介の影に隠れるでもなく、堂々とふたり肩を並べて歩けるまでになっていた。

  授業以外にも、旺盛な若い好奇心を満たすべく、入学以来、寮の先輩らとともに、様々な本を、貧乏学生ゆえ皆で交換し合いながら読んだものだった。中には、くにを憂え國体変革を訴える右翼本から共産主義の世界革命を唱える左翼本まで、さらには面妖なる恋愛ものなど、’禁書’と呼ばれるものも、どこでまぎれ込んでくるのか共に出回っていた・・。寮の自主を重んじる気性ゆえ、これらは大事な課外授業でもあり、学ぶものは大きかった。 時として、声色を変えるのが得意な同僚に、新聞紙にくるんだ薩摩芋を半ちぎれ渡して二人分の代返(だいへん)を頼み、授業を抜け出した。そして城址裏手の緑の丘に登ると、そこにある大きな楠の枝葉に覆われた広場の心地よい芝の上で下駄を脱ぎ捨てた。 残った芋をさらに二つに分け、大の字に横になり食らった。大空に流れる白い雲をしばらく見つめ、爽やかな薫風のもと、ふたりは将来の雄大な夢を語り、人生を論じてみたりした。

男にとり、’正義’とは何ぞや・・。

そして、第一原理である”真”、”善”、”美”。哲人による真の理想的な国家の政治とは。

さらに、二人にとっての関心尽きぬ青春の難題、”愛”とは・・。 

めいめいの夢想の中、ふたりの頬はゆるみ、仄(ほのか)に紅に染まった。

 

遠くの海を見つめ、竜之介は寮歌の詩を口ずさんでみた。

’楠の葉末のささやきに南の国は秋たけぬ

古城につどう若人の 夕べ寂しき欄干に

沈黙あやしき池水の深き憂いをかこつかな・・’

                         (七高寮歌・’楠の葉末’)

 

 芋を食い終わり、ふと包んであった新聞紙を広げてみると、’青年将校の反乱’の記事が一面に大きく出ている。良蔵は、黙って記事に目を通すとため息をついた。そして竜之介にそれを手わたした。

 

” これから、わしらにはどんな世の中が待っとるんじゃろのう・・。”

良蔵は、遠くに煙る錦江湾をみつめ、最後にそっと竜之介に不安げにそうささやいた。

 

”・・ああ。” 竜之介は一言そういうと、宙をにらみ黙りこんだ。

 

 造士館旧制七高の憧(あこがれ)の’国士寮’では、ふたりあぐらを組み、名物芋焼酎’五代’を茶碗に注ぎ、生で飲み比べては、メートルを上げ寮歌’北辰斜め’をうたった。青春の日々の知と意気、そして情(なさけ)・・。 涙を浮かべ、乙女心ならぬ硬質なる男同士の浪漫と感傷に浸った。 だが、周りの者は豪傑で、我知らずと布団で高いびきである。 果ては、どてら姿でふたり並んで窓から寮雨(小便)を降らせた。

 

 そんなある日、事件が起きた。

いつもの様に、窓から豪快に用を足し終わると、何か下階でごそごそと音がした。

 下を覗き見ると、寮長の湯浅の禿げ頭が、下の厠(かわや)で動いているのに気づいた。

” 風流な春の宵にしては、ちと、くさか霧雨じゃなあ・・。” などと、それらしくつぶやくのが下から聞こえてきた。

髭ずらの悪たれふたりはそれを聞き、部屋の裸電球を急いで消すと、” これは、ちとまずかったのう・・。”などと苦笑して、万年布団にひっくり返った。

 しばらくは、何事も起こらず、事なきを得たようで二人は胸をなでおろした。でも、寮長をも兼ねたその禿げ頭のフランス語教授 湯浅から、その一週ほどたった忘れたころに呼びだされた。

 この湯浅、先輩たちから、’珍妙なる名教授’とうたわれ、誉れ高かった。寮長として真摯に、悩める生徒たちの相談にも乗っていた。そのありがたき言葉には、フランスの詩人賢人の名言が、隠喩(いんゆ)的に散りばめられていた。生徒たちの密めた心の悩みも、その仏語まじりの美しき箴言(しんげん)をもって、まるで’煙に巻かれる’ようにして雲散霧消していった。 

 二人はその温厚湯浅ゆえ、放校まではいかずとも、良くて謹慎、落第を覚悟で、重い足取りで教授室に向かった。

 ひらに詫びを入れるつもりで、ドアを開けると、頭のてっぺんにポマードで黒髪が微かに撫でつけてあるその教授は、意外にもにこやかに二人を出迎えた。

” おう、ようきたのう。 お呼び立てしたのは他でもない・・。 

おぬしらとは、しめやかなる春雨の導く縁じゃったのう。 これも何かの’臭れ縁’ゆえ、折角じゃから、のしをつけて土産(みやげ)でも取らせようと 思ってな・・。

君らにとっても、・・損にはならん。

いつも、教室で気持ちよさそうに昼寝をするか、何故かつまらなさそうにしている君たちの、知的好奇心をそそるいい’しろもの’があるけん・・、親愛の情を込め、ここに進呈しよう。 

 まあ、そのかわり、わしの授業はしばらく代返でいいから、寮の布団か、外の楠の木の下でも寝ていなさい・・。しばらく夜は眠れんじゃろから・・。” などと謎の言葉を残して、一冊の分厚い天然色の、ちと派手な表紙に包まれた原書本を差し出された。 

 ふたりは数か月の猶予を与えられ、フランス語のその名著の全訳の宿題をみっちりとたまわった。 だが、いざ読み始めるとその内容たるや、世紀末フランスの詩人アポリネールの美しく妖しき恋愛ものの書だったりして、二人は辞書とかかりつけで夜を徹し机に蝋燭(ろうそく)を灯しては読み耽った。 これを通称”蝋勉”(ろうべん)という。そしてノートに二人交代で毎晩訳出した。

しばらくして、ノートを一冊分仕上げた頃、ふたりはとうとう辛抱しきれなくなり、’国士寮’の先輩から噂を聞き及んでいたさる花街の置屋(おきや)へと、深夜寮の門を飛び越えて走ることになった。 だが、これが後程事件を呼びこみ、再び退学か放校の処分を招きそうな騒ぎになるのだが・・。

 二、三か月を経た頃、ふたりは老教授のもとを数冊に増えた例の翻訳ノートを持参して訪ねた。

 ” うんにゃ。 実に良か出来じゃ・・。パリのカフェでの若き日を思い出す。かの詩人アポリネールか、作家プルトンか・・、表現は十分なまめかしくとも、ちと品性を欠き、文学的な’粋’を逸して居るがな・・。まあ、無風流な男どもの未熟な感情移入ゆえ、それは仕方がないじゃろ。

まあ、とにかくようやった。

 ただ、双方のその目の下のクマからすると、夜はやっぱ眠れんじゃったろう。 じゃけん、わしの授業はええから、昼間はよう寝とけと言っておいたじゃろ・・。 寝れば済むというものでもなかろうが・・。 まあ、若さゆえ避けえぬ”煩悩”じゃ、しゃあない。

そこで、こんな良い本もある・・。

イタリアのダンテっちゅう文豪じゃ。この世の”煩悩”に身を任せるままにすると、次の世で閻魔大王(えんまだいおう)が、或いはエジプトではアヌビスちゅう’犬神様’が、おぬしたちのいささか軽そうな心の臓を秤(はかり)にかけ、その重さ次第で、行く先を案内してくれるっちゅうことじゃ。

’心の臓は噓を言わない・・。’  

ダンテのイタリアでは、半神半獣の審問官ミノスがその役を担う。

その鞭のような尻尾でもって、おぬしらの身を締め上げ、この世での恥ずかしき罪業をすべて吐かせるという・・。

その仔細が、ここに美しい詩で描かれておる。これも、君らへのプレゼントじゃ・・。

 ダンテの原典版ではないが、この版はラテン語ちゅうてな、おぬしらが’精力’をそそぎこんで読んだかの作品の、フランス語の祖先じゃ。その子孫のロマンス語の兄弟のいくつかの言語,すなわちルーマニア語、仏蘭西、伊太利亜、スペイン、ポルトガル語それぞれに共通する文法と語彙を並列して、わしが苦労してここにまとめた。 その貴重なノートを、ガリ版刷りしたものをいっしょに君たちに進呈しよう。 どこからも手に入らぬ希少なものじゃけん、持つものによって宝にも屁屑(へくず)にもなる。あとは君らの心意気と文学への情熱次第じゃな・・。”

 二人は、教授室を出ると、思わず頭をうなだれた。

でも、おかげでその後、文丙のクラスのフランス語は、3年を通じ、なぜかふたり教室に姿は見せずとも、禿げ頭のこの穏やかな老教授から、”優”の及第点をたまわる光栄に預かった。

なるほど、湯浅は生徒の味方であり、’珍妙なる名教授’でもあった・・。

 老教授の企ては、かくして再度的中し、やはり、今芽生えたばかりの二人の古典文学への知的好奇心は尽きることなく・・、というか、作品登場人物にどこか身近に感ずるところあってか、とうとう、そのダンテの”神曲”というラテン語の原書まで、教授のガリ版刷りの文法書と図書館のラテン語辞書を片手に、数か月夜を徹して半分ほど訳出してしまった。竜之介は”煉獄(れんごく)篇”、良蔵は、”地獄篇”までを担当した。 

 ふたりは前回の成果を振り返り、美しき天使’ペアトリーチェ’の導きで、再び学問を貫きとおして、いざ天国の世まですべて読み進もうと意気込んだ。

 だが、その内容たるや難解至極、さらには前回の仏蘭西語本のあでやかさとは打って変わって、鞭や射撃、氷地獄に火炎地獄、果ては糞尿地獄に浸かってまで、あらゆる手段で’これでもか’と、いたぶり攻めてくる作品中の地獄のお仕置き怪獣どもとの格闘の連続の日々だった。

 やっと光明の兆しの見え始めた’煉獄’あたりで青息吐息、己れらの罪業(ざいごう)を洗いざらい懺悔し尽くしたまま、二人はラテン語の広大な海の中、遂に息絶え、沈没していた・・。

 ” あの世は怖いのう・・、” などといいながら益々目の下を黒くして、数か月ののち、少しやつれたなりでふたりは教授室を訪れた。 くだんの教授はいった。

 ”あっちゃー、まさかち思ったが、なんとよう頑張ったのう・・。地獄篇に煉獄篇か、君らにはじつに教訓深きテーマじゃ・・。 ’お灸’もちいと効いたようじゃし・・。

これでおぬしらも、古今の欧州の語学と文学のセンスはちいと磨かれたじゃろ。

青春の熱き情熱は尽きぬのう・・。

 

 ところでな・・。むかし、ギョエテっちゅう独逸(どいつ)の大文豪がおってなあ。これがまた大物じゃ。

”ファウスト”という大作を書いた。かの明治の文豪 森鴎外しぇんせい(先生)の名訳がある。

 食べてはならぬ世の”真理”という名の林檎を、メフィストに魂を売ってまで盲目になって追い求めようとした独逸の大学者の話じゃ。

自分を愛するうら若きメッチェン(乙女)の美しく清き魂をも、自分の欲を満たすために悪魔に売り渡してしまう。そこに尊き真理が隠されておるのを見逃してな・・。  ふん。

そこからこの大学者ファウストの本当の悲劇が始まる・・。

君らには、じつに教訓ぶかき話じゃなか・・?。

これが、そのドイツ語のそれじゃ。ロマンス語とは系統が違うが、原書で読むと格調高く、味わいがこれまた格別じゃ・・。数多くの煩悩の中で、迷い彷徨(さまよ)い青春を日々謳歌する、今の君らに、折角だから進呈しよう。 あとは、君らの自由意思に任せる・・。”

ふたりは、三たび、頭をうなだれて、教授室を後にした。

 しかし、そろそろ教授湯浅の策略に乗る己れらのお目でたさをふたりは自覚したのか、この教授の思惑はついには成就せず、この最後のギョエテの大作は、森鴎外の翻訳本をありがたく拝読し、教授に賜ったドイツ語の原著は、大部屋の’神棚’に納めることで済ますことにした。

 

 ”・・誰ぞのお馬鹿が、殊勝にもそれを手にして、また老獪(ろうかい)の罠(わな)にかかるじゃろて。”

 良蔵が言った。 竜之介も頭をかいた。

それで、ふたりの狂乱の月日はやっと終止符を打ったかに見えた。 

 この先も実は、この愛すべき教授湯浅とダンテの’地獄篇’、そしてギョエテの”ファウスト”にまつわる一件というか、後日談が続くのあるが・・。

 

 

  狂 乱  国士寮

 

 さて、そんな果てなき夜を徹する勉学の日々が半年ほど続いて、やっとまともに人間らしく眠れるかと、ふたりは、当地名産の芋焼酎(しょうちゅう)の一升瓶をあおり、早めに床に就いていた。月の美しい静かな夜だ。 今夜は久方ぶりにぐっすりと眠れそうである。

 夜半過ぎ、せんべい布団にくるまって大音響のイビキで熟睡していると、何かのざわついた空気があたりを漂ってきている。・・かの’悪しき儀式’の予兆であった。

 月の輝く夜半、かのルーマニア国のドラキュラ伯が目を見開き、うら若き乙女の白き肌を襲うが如く、突如、大きな丸太棒で寮の床を大振動で叩き響かせ、下駄をはいた奇怪な裸のふんどし軍団が、部屋の戸を突き破り、眠りに落ちている’むくつけき’男どもの生血を求め、ここに襲ってきた。

学生たちの寝静まるころを狙っては、寮の上級生たち(ドッペリで数年余計に青春を謳歌している猛者ども・・)が怒涛の如く襲ってくる。建前上、新入生の歓迎であったり、対抗試合の祝芸であったり、理由は狂乱騒ぎの提供者側のその場の都合で何でもよかった。何の風向きか、血沸き騒ぐ、月の面妖なるその晩、突然それが始まった・・。

 

”来たか、馬鹿どもが・・。”と、良蔵。  ”今宵は、満月じゃったな・・。” と竜之介。

ぶつくさ言って、仕方なくふたりは起きると布団の上に座った。

何事かと、丸眼鏡を眠気眼に急いでかける新入りもいる。 騒音も耳に入らずにそのまま寝続ける猛者もいる。 だが、間もなくやって来る大音声の乱痴気(らんちき)の犠牲に、その誰もが例外なく飲み込まれていくことになる。 良蔵は憮然(ぶぜん)として立ち上がると、慣れた足取りで部屋を出ていった。そして軍団が大音声で隣の大部屋の男どもを襲っているうちに、バケツに水を入れて戻ってきたかと思うと、再びせんべい布団の上であぐらをかいて顎にこぶしを当てて待機した。

竜之介も、にやりと目配せした。

そして、いざ部屋の戸が押し破られる刹那(せつな)、竹刀や太鼓を手にして雪崩(なだ)れ入る裸軍団に目がけてバケツの汚水をかぶせたものだった。水道の水でなく、用意周到準備された下水の水である。それで自分の住処も汚染されようが何故かお構いなしであった。 そして、男同士、恐怖の’ふんどし取り合戦’が始まる・・。 そのあとは、例のごとく、一升瓶を抱えての夜の裸同士の哲学談義・・。

 だがその月の晩の嵐が去った翌日は、睡眠不足で気だるい空気の中、誰もがその愚行に文句を言うものはいない。 寮の窓には、どこかの託児所のように、天日に干された濡れ布団が並んだ。

 邪気のない恒例の寮の伝統的儀式である・・・。 これを世に”ストーム”と呼ぶ。

 

 弊衣破帽(へいいはぼう)、薄汚れた白線の入った黒い学帽をぼさぼさ頭に被り、若い竜之介と良蔵は、すれ違う年頃のツバイテ(第二高等女学校)のメッツエン(乙女)から自分たちに注がれる視線を無視するように硬派を気取り、寒い冬の日もこれ見よがしに何かの’教養本’を片手に、裸足で下駄の音を響かせながら風を切るように歩いたものだった。 

 そのくせ、黒マント姿でベルグ(山形屋百貨店)に出没しては、’ティールーム’に座り、神妙な面持ちで手にした本の隙間から、どこかのメッツェンをじっくり鑑賞してみたりもする。 学帽は、桜島の噴火で降ってきた灰がめり込んで灰色になっていた。それが”粋”(いき)に映る’年頃’だった。 ・・硬派を気取る時は、何故かこの暗号的独逸(どいつ)語が似合う。 

 本のタイトルは、 阿部次郎の”三太郎の日記”、倉田百三の”出家とその弟子”、・・

 さらに、そうあの印象深き文豪ギョエテの森鴎外訳 ”ファウスト”、

それにロマン・ロランの”ジャン・クリストフ”、 トルストイの”戦争と平和”・・など、まだまだあった。 本当にどこまで理解していたかはとも角、竜之介、良蔵たち寮生たちの定番である。それらを読破することが、いわば、我らが青春の通過儀礼(つうかぎれい)でもあった。

 上級生は、その中の哲学的テーマにつき議論を吹っかけてきた。新入生が返答に窮(きゅう)すると、上級生による難解な( というより意味不明な )解釈が声高に皆を集めて滔々と述べられた。時として、寮近くの公園の大きな楠の樹の下などがその舞台であった。かのいにしえのギリシャの大哲学者ソクラテスが、弟子のプラトンたちに語って聞かせたが如く・・。

 何故か、青春を共有する者たちは、何れの珍説でも、杜甫か李白の詩、疾風怒濤のシラーをうたうがごとく、何かほろ苦く、若き心の熱き琴線(きんせん)に響くものがあった。

 

 夏が来る前には、寮生は皆、フンドシ一本で桜島まで泳ぎ、秋になると弊衣と白線入りの破れ学帽、なぜか高下駄(たかげた)で開聞岳や桜島に登った。寮対抗ボートレースに、テニス、野球試合。その都度、応援団に乗せられて’ストーム’で皆が試合場になだれ込んでは、混乱をきたす。

 校庭にファイア・ストームを取り囲み、やはりフンドシ一丁高下駄で皆で踊り、誇り高く哀愁をおびた我らが寮歌をうたった。 マント、長髪学帽、立派な髭を蓄えた応援団長が一段上の物見台に立ち上がった。

 

ああ 流星落ちて住む處
かんらんの実の熟る郷(さと)
あくがれの南の國に
つどひにし三年の夢短しと
結びも終へぬこの幸を
或ひは饗宴の庭に
或ひは星夜の窓の下に
若い高らう感情の旋律をもて 
思ひのまに歌ひ給え・・

 

 こんな文句で、破れんばかりの団長の悲壮な巻頭言で始まった。  引き続き、’アインス、ツバイ、ドライ・・’ 。(’アン、ドゥ、トゥワ’、ではやはり腰が抜ける。)

 

 ” 北辰ななめにさす処 たいおうの水洋々と、

   春花かおる神州の 正気はこもる白鶴城・・ ”  (旧制七高寮歌 北辰斜めに)

焚火を揺るがせるようにして、皆が一斉に、星空の下、夜の漆黒の野山に向けそれぞれの思いを込めて歌い放った・・、そして男同士互いの肩を取り、涙した。

乙女の知らぬ淡い青春のロマンであった・・。

 

  教授  湯浅

 

 さて、くだんのフランス語教授 湯浅については、後日談がある。あれから、殊勝(しゅしょう)にもふたりは足しげく湯浅のもとに通うようになり、例のガリ版刷りの湯浅式ロマンス語多言語文法を教授室で椅子(いす)を二つ並べて、しおらしく教えてもらっていた。それに加え、詩人ランボーを愛した湯浅の若き日のパリでの思索の日々、それに続く、欧州無銭放浪の旅など夢多き吟遊(ぎんゆう)時代の話、そして憂愁の世の哲学詩的私論などを聞かせてくれた。机には、パリの凱旋門を背景にして、’もの思わし気に’たたずむ美青年の写真がある。左下の方に’Yuichi Yuasa’とペンでサインがあった。

 誰あろう、若かりし日の長髪ベレー帽の湯浅その人であった。 

湯浅には、フランスで知り合った女性との間に一人の娘がいた。今は母親とパリに住み、美術学校で絵画を学んでいた。そしてその前に息子がひとりいたが、先の大戦で亡くしている。それから湯浅は、かのノートルダムの大聖堂で、マリア像の下で洗礼を受けている。 今も、その時の銀のマリアのメダイ(メダル)を大切そうに首に着けていた。

 幼い娘と若い妻、そして湯浅の三人の幸せそうな写真が、後ろに隠れるように置いてあった。もうひとつ、パリのどこかのカフェのテラスで、印象的な美しい女性を交えて撮った写真もある。

’Jan et Emina ’と記してあった。

 何故か、湯浅はそれらの写真に目をやる時、少し寂しげな表情だった。異邦人としての当時の自分の孤独をまるで振り返っているかの様子だった。複雑な事情があったのだろう・・。

 二人は、凱旋門と美青年湯浅のセピア色のりりしい方の写真の前で、しんみりとこの愛すべき教授の話に耳を傾けた・・。

 そのおかげか二人は無事落第もなく、七高での三年を終えることができた。

 

 ちょうど進路に迷っていた頃、三高から京都帝大を出た湯浅から、お言葉を賜った。

 ”・・君らは、実に熱心に、よう勉強した。そのセンスでは、文人、文学者は残念ながら向かんが、その奇人ぶりは若き日のわしとどこぞ似ておる。元気の良さも人一倍じゃ。いずれ、わし同様京都帝大にでも行くとよか・・。おぬしたち奇人にとっても、あの自由な学舎は懐深く、居心地が良かかもしれん。 奇人とは、’心豊かなもの’のことをいう・・。じっくりと世界に誇る日本の、西田幾多郎哲学を思索し味わうのもよし。

 ただ、その前にな・・、提案じゃが、ま、わしの授業で続けて二回ほど落第点を取ったと思って、一つ寄り道して大陸に出てみてはどうか。ここで、ぎりぎり3年ドッペリをして先輩たちのごとく寮の青春を謳歌するのも良いが、その分海外に遊学したと思ってじゃな、ものは考えようじゃ・・。

文武両道、実学で現地語をしっかり学び、大陸を駆け巡る・・、君らは、繊細美麗な文士よりも、武骨な大陸浪人があっちょるかもしれんな、はっはっは・・。”

 二人はおもむろに宙を見上げた。 それぞれの脳裏には、様々な夢想が浮かんでは消えていく・・。 夢見る’年頃’でもあった。

 子供のころ読んだ本の中のあの馬賊の英雄の主人公を思い出していた。ユーラシア大陸を駆け巡り、シルクロードの砂漠を超え、中央アジアに向け限りない冒険の旅に出る・・。

 駱駝の隊列をしばし休息させ、雄大な星空の下、砂漠のオアシスで青い目をしたメッチェンと葡萄(ぶどう)酒の盃を傾けるのもいいだろう。蒙古、ウイグル、そして辺境の山岳地西蔵へも足を延ばしてみたい。そこには人跡未踏のユートピアがあり、シャングリラの英知の至宝が眠るという・・。

 或いは、ハルピンあたりからひとり宿敵ロシアを間諜(かんちょう)するのも悪くない。その果て、良蔵は、ロシア国境当たりの旧貴族の屋敷で、わずかばかりの財宝と御馳走に囲まれて饗応(きょうおう)されている自分を想い描いていた。 一方、竜之介は、中国内陸に伝わるという内家拳(ないかけん)の武術に興味があった。ゆく先々での武術の達人のもとでの修行する自分の雄姿に心が躍った・・。

若き男たちのロマンは留まることを知らなかった。

 ” わしの京都時代の仲間に、満州ハルピン学院でロシア語を教えちょるのがおる。シャンハイの東亜同文にもひとりおるぞ・・。あそこは、大陸を巡る卒業旅行がある。

 生きのいいのがおらんかと、かねがね頼まれとった。 そこでひょんな縁から君らに白羽の矢が当たった。

 どうじゃ、君らの高潔なる人格と、学問への熱意を評価して、わしが第二学年あたりからの編入の推薦を書いてやる。 親御さんに迷惑ばかけんよう、出身地の奨学資金および渡航費の申請も考えてみよう。 どうじゃ、この上なき好条件じゃと思わんか。 これも、春の夜の”連れ小便”仲間のクサれ縁ゆえの特別の計らいじゃ。

 ・・ただし、遊学を十分満喫したそのあとには、当地で馬賊あたりになって勝手にどこぞに失踪してはいかん。 必ず日本国に戻り、帝大に進め・・。

 それと、やはり手ぶらでなく この数か月で、行く先で学ぶ言語をある程度マスターしておかにゃならん。もう君らならできる。 くれぐれも、わしに恥をかかせんようにな・・。

そこで、わしのまとめた第二弾の”カンペ”がまた役に立つ・・。まあ、しばらく考えてみい。”

 

 心優しき’策士’湯浅は、ここでもやはり、夢見る生徒の味方のようだった。 

それからしばらく、大陸での自分の雄姿と、あることなきこと様々な妄想が夜な夜なふたりの脳裏をちらついては離れなかった。 ただ竜之介は、良蔵が決断を迫る日に日に悄然(しょうぜん)として、少しずつ当初の夢見るような元気が失せているのに気づいていた。 何を考えているのか、修行の竜之介と顔を合わせぬ間は、何処か寮の外にすっと姿を消していた。

 山崎は、この三年間、授業はサボっても、一度も師匠の下での夕刻数時間の武術の稽古を休んだことがなかった。師は旧庄内藩の出であった。朝敵と汚名を着せられながら、親幕府の同胞会津藩陥落後も、庄内藩は薩長官軍と最後まで戦い抜いた。が、背後で西郷南洲の寛大な瑳置により、降伏後もなぜか会津の辿ったような惨劇を被ることもなかった。若き日に会津藩校日新館に留学し、そこで殿中お留技の合気の術を学んでいた。その老齢の師より、竜之介は高等学校卒業みやげに、その筋の良さを認められ、一刀流と合気術の免許をいただく光栄に預かった。

そして又、教授湯浅からは、西田幾多郎の哲学書 '善の研究’と、”お主に武術の心得があるならば・・”と、能楽の世阿弥の’風姿花伝’の書をもらっていた。そこには湯浅による仏語の対訳が添付してあった。その芸事の秘伝書は、竜之介の修めた会津の古流武術の深奥に通じるものがあった。

 

  亜 紀

 

 さてその前途洋々たるふたり、卒業をまじかに控えたその頃に、事件は起きた。

世間では、’粋(すい)は身を食う・・’などと、それを学生の一時の無責任な乱痴気とでも呼ぶだろう。でも、若者たちにとってはそうでもなかった。

 素直に、湯浅の策略にはまったのが悪かったのであるが、このふたり、あの面妖なるフランス語本の翻訳を始めたあたりから、夜を待ちかねるように常磐町当たりの花街通いを始めていた。それから既に一年がたっていた。 そしてもうその頃には、遊びではない、微妙な”機微”を伴うようになっていた。

つまり、湯浅のいわゆる、禁断の’真理’の林檎(りんご)を、ふたりは期せずして食(は)んでしまっていた・・。

 

 当然’ゲル’(金)もない。云わば出世払いというか、このあてにならぬ冗談を充分承知の上での女性の好意にすっかり甘えていた。 事件は、良蔵のほうで起きた。

 良蔵の通い詰めた相手は、亜紀という名のまだ二十歳に満たぬ娘であった。竜之介のほうは少し年上の涼子というもの静かな澄んだ目の女性だった。 時々、狭い部屋に四人で集っては、行燈(あんどん)に火鉢を囲み、どてらを羽織って酒を傾けながら、少しつらい彼女らの恵まれぬ身の上話を聞いた。 どうすることもかなわぬ浮世を憂いながらも、女たちの気の晴れそうな世間話をした。 男どうし馬鹿話をしては、彼女たちが笑うのが二人には嬉しかった。

 静かな夜、開け放ったふすま戸の外に月をめで、涼子が三味線を腕に抱くと、美しくすすり泣くようにして小唄を謡いはじめる。ふと、白い素足の亜紀が立ち上がり、流れる様に宙を舞う。窓の外、一面に広がる背景の松原が薄っすらと月の光を受けている。行燈の光ひとつの暗闇の中、’天女’が美しい亜紀の姿を借りて、ひとりそこに舞い降りている・・。

’疑いはひとにあり 天に偽りなきものを・・’ 天界へと心寂しく去る前に、月の世界の物語をうたい舞う・・。

男どもは、女たちのこの上ない心づくしの贅沢にふれ、移ろいゆく’幽玄’の宴に彷徨いこんでいく・・。

 まるで子供のように純な若者たちの前で、分不相応と諦めながらも、’身を尽くす愛’という言葉の意味が、二人の女にはどことなくわかる気がしていた。そんな、人らしい喜びを彼らは思い出させてくれた。細い身を引き締めて、哀しみの果ての結晶のごとく身につけた、女のけなげな’粋’の楔(くさび)が、ふと崩れ落ちそうになる不安を覚えていた。

 時は、2.26事件が世間で騒がれていた頃だった。 東北の寒村でも不作が続き、貧困から、娘を身売りするものが多かった。若い士官学校出の青年将校たちは、中枢への出世は望めず、兵卒たちとともに戦地におもむく隊附けの士官となっていた。そして、そうした農村や漁村から入隊してきた若い初年兵に接する機会が多かった。そこで身上を聴くと、多くが自分の姉の話になると、涙を浮かべ言葉を詰まらせるのを経験していた。

片や、軍の司令塔に居座る陸軍大学出身の上級将校たちの硬直した官僚化と、政界、財界との癒着の構造は盤石であった。時は昭和の恐慌であった。天皇を掲げ、若い青年将校たちを口先だけの精神主義で従え、自らの権力温存をはかる皇道派の中枢。それに対し、欧米の軍事大国にならい拡大路線を進める統制派との権力争い。その両派閥の背後に巣食い、軍の内部情報を流す右翼や、にわかな軍事景気を巡る政商の暗躍。 中枢のエリート上級将校たちに巣食う事なかれ主義と、欲と権力まみれの世俗的で構造的な闇の中で、彼らが描く机上の軍事拡大路線により、身近なあの若い兵卒たちが真っ先に戦場に駆り出されて死んでいかねばならないことへの憤怒を、若い青年士官たちは覚えていた。そんな濁世の不条理への義憤から、青年将校たちの決起を促したのが、先の事変であった。彼らの間で読まれていたのが、北一輝の”君側の奸”という思想であり、その著である”日本改造法案大綱”であった。高等学校の寮の中でも、その書は、大川周明、英のヒラー・カーターの著’東洋不侵攻論’などとともに学生の間でも読まれていた。何故か、対極左翼の小説’赤い恋’や、マルクスの’資本論’と一緒に、’禁書’として密かに回されていて、二人も読んではいた。 だが、結局、この崇敬する天皇を掲げる’昭和維新’の訴えに、時の天皇は何故か激怒し、空には”投降せよ・・”とのアドバルーンが上がった。決起は失敗、若い決起軍は投降し、首謀者及び士官は自刃、或いは厳しい裁断の果て銃殺された。

 道こそ異なれ、高等学校と士官学校は数少ない両雄のエリート校でもあり、自分たちより少し年上の青年士官たちの憂国(ゆうこく)の想いと純粋な志に、同じ世代の質朴な旧制高等学校の寮生たちにも共感するものが多かった。世俗的な驕慢(きょうまん)を排し、克己(こっき)して弱きを慈しむ質実な武士道の精神を、まだ若者たちは日本人としての自らの矜持(きょうじ)として持っていた。ここ薩摩はかつて中央新政府に向け、義で立ちあがった西郷隆盛どんの風土でもあった。

上級将校として、陸軍大学を経て中枢で権威を持つに至った者たちは、そうした士官学校時代の’純粋’から離れ’実利’へと傾いていった。それが、経済や地政学を論ずる前の、今回の騒動の本質のようでもあった。

良蔵や竜之介が生きていた学生寮の外での世間の現実であった。 まだ高等学校の学生たちは、士官学校と違い、自由で選択の幅が広く、当時はまだ余裕もあった。

 

 竜之介と良蔵は、黒マント、弊衣破帽のまま、たまに、二人の女を外に連れ出しては、夜の祭りの出店でかんざしなどを買ってやった。一緒に出掛けた芝居の帰りには、池の茶屋で皆で笑いながら団子を食ったりした。 若い女二人は、自分たちに注がれる世間の目に悪びれることもなく、まるで自由で何も恥じることのない街の娘たちの様に、竜之介と良蔵の温かな思いやりにこたえようとしていた。 自分たちにも許された女の幸せという今ひと時の幻を、急いで燃焼し尽くすかのように・・。そんな世間の翳に映える女の’粋’が、若者二人には眩しかった。

 

 そんなある夜のことだった。 亜紀は、その日良蔵を寂しそうに微笑んで見送った後、ひとり部屋にこもった。

かすかに部屋から漏れ聞こえてくる身もだえする様な女の声に、店の男が気づいた。ハッとしてふすまを開けると、亜紀が白い片腕に剃刀(かみそり)を突き刺して、血で真っ赤に染まった布団の上で、髪を散らしてその細い体を横たえていた。 

  ”ちっ、やりやがったな・・。” 男はつぶやいた。

下手に女が明日への光を夢見て,やがてそれが夏の蛍火(ほたるび)の幻だと気づくと、いつもこうやって勝手に腕を切りやがる・・。

 別の部屋にいた涼子が、かけよって、何も言わず亜紀を抱き寄せると、手拭いで固く腕を縛った。 そして青ざめた白い頬の、半開きの目で亜紀が何か小声でうったえようとするのを、涙にぬれた頬を寄せ、眉を細め何度も無言でうなずいていた。そして 亜紀の乱れた髪をいたわるように手のひらで優しく撫でていた。

 

 寮に駆け付けたそのやくざ風の男からの知らせで、良蔵は青い顔をして店へと走った。先ほどまで温かかった布団は、か弱い女の鮮血で染まっていた。傍に座った涼子が何を思うか、開け放ったふすまから窓の外を遠く眺めて放心していた。息絶え絶えで横たわる亜紀のすっかり冷えた白い手を両手でとり、良蔵は涙を流して理由(わけ)を問うた。 初老の医者が胆石(たんせき)に迫るそぶりを、そっと良蔵に見せて横に控えていた。

 

 山陰の亜紀の両親が、幼い妹を道ずれに首に縄をかけ心中をしたという・・。

この頃、天災でその一帯は飢饉(ききん)で全滅であった。 亜紀も、少女の頃に’口減らし’で身売りされ、両親と泣き別れ、ひとりこの南の最果ての街まで連れてこられていた。 それから10数年、この狭くて暗い置屋で過ごした・・。

 母親が別れ際、何の願いを込めてか、父親に内緒で、幼い亜紀のこうりの着物の中に、漢字と読み書きの辞書を挟んでくれていたという。亜紀は、学校も行くことなく、ひとり読み書きをこの置屋で身に着けていた。姉役の涼子に舞と唄い、そして硯(すずり)と筆を買ってもらっては、楽しみにして美しい書を学んだ。 けなげな明日への希望であった。

 そしてある日、亜紀の前に良蔵が現れた。 陽のささぬ暗く狭い亜紀の心の世界が、突然大きく天に羽ばたくように明るく広がった瞬間だった。

仮名交じりの美しい日本語の本を何を思ってか良蔵がもってきてくれた。 

 作家の詩集、童話、そして、外国のやさしい文学など・・。 良蔵の前で、亜紀は心が晴れ、自由で新鮮な空気に触れられる気がした。 良蔵をふと見つめる婀娜(あだ)めいた亜紀の美しく黒い瞳が、いつの間にか澄んで喜びに輝いていく。 そんな亜紀の若い繊細な感性を育むように、良蔵は彼女の前で美しい詩を口ずさんでは、亜紀の知らぬ格子戸(こうしど)の外の色鮮やかな世界を教えていた。

春の鳥の可愛らしいさえずりが、そして夏の夜の鈴虫の音、秋の夜の雲から覗く月の光が、小さな’鳥かご’の中の亜紀に、けなげな大空への飛翔(はばたき)を夢みさせていた・・。

涼子は、そんな亜紀の笑顔を見て、ふと不安を抱いていた。幾多の辛酸をなめた自分と違い、亜紀は女の’粋’(いき)を貫くにはまだ純粋で若すぎた。

 

 そのうち若い男女二人の間には、目に見えぬ何ものかへの感謝の念と、愛の思いが芽生えていた。だがそれが世の習いとはいえ、狭い世界ではあってはならぬ人の情であった。

 

 ・・良蔵は、その日失言をしていた。

 大陸へのほんの数年の遊学の話があるのを、ふと漏らしていた。

亜紀は、’ハッ’としたが、すぐにとりなすように、

” 行ってらっしゃい。 いいの良蔵さん、私のことは気にしなくていいから・・。” と笑って答えた。 少し頬が青ざめ、目に涙を浮かべていた。

” きっと迎えに戻って来る・・。” 良蔵は、そういったが、その時の亜紀の涙の意味を理解していなかった。

 

 良蔵は今、心も体も傷つき、手折(たお)れ果てたこの不憫(ふびん)な女の面倒を見る決心をしていた。

学校を退学し、親にも当然勘当されることを覚悟で、残りの亜紀の人生を引き受けるつもりだった。そして、店への借金の返済と、ふたりの食い扶持(ぶち)を一人で稼ぐつもりでいた。

竜之介は、早まるなと云って引き留めようとしたが、その説得の理由が自分にも見当たらなかった。 実は、自分も同じ轍(てつ)を踏んでいたのかもしれない・・。

若い良蔵の決心は堅い。 もし亜紀がこんな商売をしていなくても、良蔵はこの女にどこかで出会えば今同様に愛していただろう。でも、今は亜紀の身の上に難儀を抱えるだけに、なおさらその思いは強かった。

 竜之介は、湯浅がいつか言っていたあのファウスト博士に出てくる不憫な乙女のことを思い出していた。 たとえ万金を手渡されても、やはり自分にもそれはできないだろうと・・。

若い彼らにとって、ギョエテの描くように、美しき愛の真実の前には、富や博識名誉というのも、この世の煩悩でいわば広大な真理の海に浮かぶ”あぶく”であった。

 遅ればせながら、学生良蔵にとっての、わずかばかりの”ノブリス・オブリージュ”(高貴なる責務)の矜持(きょうじ)であった。

そして、濁世(だくせ)への青い”正義”の表明でもあったのだろう。

退学届けを校長に出す前に、湯浅の部屋に世話になった礼を言いに立ち寄っていた。

教授会では、すでに事の次第が伝わり、その申し出を受け取る手はずになっていた。まだ、親元には連絡してはいなかった。

 

 数日して、学校が終わり、良蔵が店にひとり亜紀を見舞うと、亜紀の額には白い布がかぶせてあった。そして透き通った掌には、いつか良蔵の買い与えたかんざしが握られていた。 

 例の男が、開け放った部屋のふすまの外で憮然(ぶぜん)と立ったまま、何か微かに亜紀を蔑(さげす)む言葉を、一言呟いた。その言葉が終わらぬ前に、良蔵は怒声を上げ男めがけて飛び掛かった。 ”この女衒(ぜげん)が・・!”

廊下で屈強そうなその男に馬乗りになり、良蔵は涙を流して、殺す勢いで、何故か無抵抗の男の顔を殴り続けた。後で駆け付けた竜之介が、それを引き離した。だが、後ほど、置き屋の女将は、亜紀の商売上の損失も含め、良蔵のその愚行を学校に訴えでていた。

 

亜紀の短い遺書が震える水茎(筆)でしたためてあった。 姉のようにかわいがってくれた涼子へと、そして良蔵への二通であった。 ・・両親に宛てたものはなかった。

冷静に戻った良蔵は、枕もとのそれを開いてみた。

 

” どうか、お許しください。

あなたには未来がある。それを大切にして生きてください。

短い間だったけれども、良蔵さんと出会えて本当に幸せでした。

神様がきっと、こんな私にも、

最後にご褒美として、温かい幸せを授けてくださったんだわ。

 

 私は、いつかは崩れ果てていく運命の女・・。

あなたに、今の若いままの私の面影を残したままで、

そしてあなたと過ごせた幸せな気持ちのまま旅立たせてください。

 

 お祭りの晩は、うれしかった・・。 

こんな人並みの幸せがずっと続いたなら、どんなにか・・。

生まれて初めての心ときめく出会いは、辛い別れの始まりになってしまったけれど・・。

とても良い夢を見させていただきました・・。

こんな私を追おうなどとは、決して思わないでください。

どうか、私のことなどはお忘れになり、幸せになって。 

・・ありがとう、 さようなら。    

 

 ’とわの幸 祈りて薫らん 初(うい)桜 ’

                           亜 紀  ”

 

良蔵は、無念を思い、おのれを悔やんだ・・。とっさに、亡骸の枕もとにある剃刀をとり、不甲斐ない自分自身の喉を掻き裂くところだった。

その時、良蔵に殴られながら、その置屋の男はこんな捨て台詞(せりふ)を放っていた。

 

” ふん、存分に気のすむまで殴れ・・。 だが、惚れた女は戻ってはこん。

・・・お前さに何がわかるか。何もない女は、命を張って’御(おん)の字’になる。 

調子よか男の言葉に女どもはだまされ、やがて秋風が吹くと、そのたび手拭いで首を吊るしたり、冬の寒い甲突川に薄い着物ののまま浸かって溺れたりする・・。

 確かに、こいつらは金で買われてきた商売もんじゃ。当の昔に、お人形さになって人間はあきらめちょる・・。 だがな、お前らのような、世間知らずの凡々にこの界隈(かいわい)に生きるおなごの、浮世の仕来たりと辛(しん)どい覚悟がわかってたまるもんか・・。

崖っぷちの、命をかけた女のけなげな’粋’(いき)を、わかってやらんかい。

こいつらにも、・・ほれ、赤い血はちゃんと流れちょるんじゃ。

この界隈は、生きるも地獄、死ぬも地獄の行き先のない横丁じゃ。

お前らは、ここを冷やかして通り過ぎるだけじゃ・・。 だが、

女はこの部屋でずっと、血を吐いて死ぬまで生き続けるしか、ほかに道はないのじゃ・・。”

 

 亜紀のやせた白い身体を、せめてもの美しい白い花束に包み、そのまま荼毘(だび)にふした。

灰色に小さくなってしまった遺骨を腕に、涼子と竜之介を伴い、実家のある山陰の寒村を訪ねた。今は廃屋(はいおく)となった粗末な農家には人の気配もなく、その傍らに、両親と妹の眠る雑草に隠れた小さな墓を見つけた。三人は墓のまわりをきれいにして水をやり、村の寺の住職に、亜紀の遺骨を家族とともに弔(とむら)ってもらった。 静かな秋の夕暮れ時、赤い陽が野に這うように射していた。

 涼子が、良蔵の肩にそっと手を置いてささやいた。

” 亜紀は、あんたに会えて幸せそうじゃった。

例え、身はけがれていても、純で真っ白な花のつぼみを開いて、

あんたのためだけの、美しい花のまま散っていったんじゃ・・。 

あの子は、それが何よか、うれしかったんじゃ。

じゃから、良蔵さん、安心しい・・。”

良蔵は、それを聞き、地面にしゃがみ込むと苦し気に嗚咽(おえつ)した。

 竜之介は、友の肩を固く抱いた。

家族に再び会えた亜紀が、空から良蔵たち三人を見つめ、嬉しそうに何かをささやいているように思えた・・。オレンジ色の雲に、天女の舞う姿が現れているようだった。

 

 

 湯浅は、教授会に今回のことは、若気の至りゆえ、すべて不問に処すよう進言してくれた。

別れ際に、湯浅は言った。

” 辛い別れになったな・・。 濁世に浮かぶ可憐(かれん)な白き蓮(はす)の花じゃ。

飾ることを知らぬ、底の世を知るおなごこそ、観世音の生まれ変わりじゃて・・・。

お前は、その温かき菩薩の手のひらの上で、赤子のごとく世の真理の一端を学ばせてもらった。 か弱き体を張って、命の’真理’、本当の’善’たるもの、輝くばかりの魂の’美’しさ、そして本当の純なる’愛’を、お前に語らずして教えてくれたんじゃ・・・。目の前の流れゆく現象を超えたところに真の’イデア’がある。いまの塗炭の苦しみも、やがては涙とともに流れ去るものじゃ。それが世の無常というものじゃ。稀なる縁も、仏の掌の上にすべて既に準備されておるものかもしれぬ。そのおなごの命を張った言葉をこそ、お前は学ばねばならぬ・・。

 

 かの’神曲”では、天界の愛するベアトリーチェの魂が、世俗の獣(けもの)の幻に目を曇らされぬ様、詩人ダンテをして、敢えて’地獄’を垣間(かいま)見ることに導いた。

古今東西、’悲劇’とはそういうものじゃ。 

純粋ゆえに、青春の悲劇と、濁世との相克はわかち難い・・。

 

 ・・いやいや、そもそも火付け役のこのわしも、知らぬこととはいえ、むごか事をしてしまったようじゃ。 

 ・・恥ずかしいが、我も学生の時分、若気の至りで、おなごの情にすがり、誰にも打ち明けられぬ、似た過ちをしている。時は輪廻し、目の前に幻のごとく形を変えて繰り返される・・。

 

ほんに、すまぬことじゃった・・。

 ・・今となっては、いったん大陸に出て、新規一片、思う存分頑張ってくることじゃ。 

まだお前たちは若い。若き日の哀しみは、新たな豊穣にその形を変えつつ、いつか癒される。

ひとまわり逞しくなったおぬしらを期待して、異国での土産話を楽しみに待っておる。

新たな世界に向け旅にでよ、若者・・。 ”

 湯浅は二人の手を取ると、眼鏡の目を赤くして固く握りしめた。

 

 同級生がみな、福岡や東京、京都の帝大に散っていくなか、このふたりは、あの愛すべき湯浅の案に甘えるように、いわば何ものかへの懲罰のかわりというか、長い人生のモラトリアムとして、大陸へと向かうことになった。 駅には、着物に薄化粧をした涼子が一人見送りに来てくれた。そして、地元の神社の小さなお守りを、白い温かな手を添えて、別れ際そっと笑顔でふたりに手渡した。駅舎に桜の花びらが何処かから散り舞っている。やがて白煙をまき汽車が動き出し、小さく見えなくなるまでその白い手を振り続けていた。細い体一片に漂う、命のこもった ’粋’(いき)が印象的だった。背景に満開の薄紅の桜花の樹々が涼子の姿を包むなか、遠くで口元に何かささやいているように見えた。竜之介は、目頭が熱くなった。

 若者二人にとり、何か切ない逃避行のような旅路になった。竜之介は上海、良蔵は何故か北の果てのハルピンであった。ふたりはやがて、ともに船出しアカシアの香るという大連を目指した。時間はたっぷりと余裕があり、竜之介は親に少し借金して良蔵に付いてハルピンまで特急アジア号で北上することにした。その後、シャンハイまでの帰路の数日の旅は船便の貨物置場で内密に済ませるつもりでいた。こおりの中には、命の次に大事な恩師湯浅の推薦状が潜ませてあった。竜之介はあの日からめっきり無口になった良蔵を、異国の地に残すのが心配だった。 この先あいつはどんな生き方をするんだろう・・、と貨物船の後尾に渦巻く波間を眺めながらひとり案じていた。

 

・・涙にくるる宵々を  若き心は痛めじと

なべて濁れる人の世を  わびしく立ちし旅衣

別れわかれておのがじし 遠き闇路をふみ迷う

                             ” 楠の葉末 旧制七高寮歌”

 

 

 山崎は窓から、霧に煙る大連のアカシアの樹を呆然と眺めながら、半世紀も昔、友と過ごしたあの南の学び舎での日々が、走馬灯のように今蘇るのに、目頭を熱くしていた。