いにしえの大連  

 

                               

 

                                          

 

 

  窓の外に音もなく降る霧まじりの小雨。傍らで、葉巻をくゆらせ、良蔵が黙って竜之介の次の言葉を待っていた。スイスホテルのロビーは時間も遅くなり、客も引けてきている。二人の声がホールに反響し、豪華なシャンデリアのある高い天井に届きそうだった。


 “ 大連の霧は、昔のままだな・・。 昔、白ロシアの人々が赤軍に追われてこの地に逃れてきていた。あの駅の向こうに彼らの居留地があってな、当時は鉄道関連の所用で俺もよく通った・・。”

”・・ナターリャの家族ともそこで出会ったんだったな。あの時代は、いろんなことがあった。”

良蔵が言い添えた。 竜之介は黙ってそっとうなずくと話を続けた。


 ”荒波の日本海の旅を終え、船から降りると、大連埠頭の広いロビーに出る。そのまま正面玄関の階段を下り、待っている馬車に乗った。今じゃ、成田からジェット機で数時間だがな。


 きれいな街だった。 当時は、関東軍による満州国建国の政治的思惑も諸説あった。俺は、アジアの人々が差別無く共存できる五族協和・王道楽土の理想郷が実現するのをすなおに夢見ていた。若い情熱だけで大地を踏みしめたもんさ。あの日のお前と同じくな・・。
 

 自分に、この先何ができるのだろうかと・・。

ハルピン学院に進学が決まっていたお前と、ここ大連疎開区のロシア酒場で、大陸での明日の互いの健闘を祈り、ウォッカを飲み交わした。

二人で、南山麓にある満鉄社員の日本人宅に転がり込んで、しばらく世話になったな。満州鉄道は日本の国策会社だった。学校が始まるまでのしばらくの間、お前と一緒にここにとどまった。満州の北に向けての若い俺たちの旅の起点、それがここ麗しき大連だった。

 

 あの日、坂は美しく緑にあふれ、アカシアの花の香りが何処にも漂っていた。

傾斜地から眺めると、本土には無い整備された町並みと洒落た家々が色鮮やかに屋根を並べている。 暗く閉塞した日本とは打って変わって、明るくて豊かな風景だった。

 俺たちは、坂の中腹の公園で満天の星空の下、明日への理想を語った。
ひと昔前、この大陸に渡った明治の志士のようにな・・。そう、俺たちはその’大陸浪人’という種族に、何もない若さだけの身空で憧れた・・。

 

 お前には、少し酷な旅立ちだったんだろうがな・・。

新しい国がこの広大な大陸にでき、当時、金融恐慌で荒れ果てていた狭い日本の困窮と矛盾を払拭し、様々な民族が、互いに力を合わせて万民が豊かで幸福になる・・ 。そんな夢に国家や民衆が酔っていた・・。 ”

 

  

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  回 想  良蔵

 

 良蔵は、竜之介の話に耳を傾け、しばらく窓の外の夜景の光を見つめパイプの煙をくゆらせている。

 そしてゆっくりとそれに話を継いだ。

” お前が上海に、俺はハルピンか・・。 七高の湯浅が言っていたな。何事か大事を実践しようとすれば、まずは語学が必要になる・・と。 だが、北の広い大地にとどまるうち、やがて未熟なりにもいろんなことが見えてきた。

南下を進めようとするロシアの動向を知り、虎視眈々と支那大陸の権益を狙うアメリカにも備えなければならぬ。 この大地には、様々な地政学的な意味があった。湯浅は、むしろ俺たちの若い気概を見込んで、その先に待ちうける世俗を超えた大いなる役割に期待していたのかもしれん。ロマンテイストの湯浅も、何らかの挫折を経て、自ら気づかぬうちに、内なる天の導きに身を委ねていたようにも思える。

 

 2.26の青年将校たちは自滅したが、こころざしの赴くまま行動を起こした。俺は、自分の国の窮状とその社会の縮図を、あの’一件’で身をもって知ったよ。

国難を打開する道をひとり若い頭で考えてみた。士官学校出の軍人とは異なる方法でな・・。  あの日のように、木偶(でく)の様に何もできない自分が悔しかった。”

 

” ・・亜紀が死んだ日、あのやくざ者が言っていたことは、まとを得ていたよ。 

奴には一本取られていた。

いい年になった今はよくわかる。それが、奴の生きた裏街道だと・・。

あいつの捨て台詞は、真っ当で一歩も外れてはいなかった。

 

悔しいが、奴は古い侠客(きょうかく)の道をわきまえていて、誰よりも女たちのことをよくわかっていた。

同じ’地獄’を知る者どうしでしか持てぬ、あいつなりの女への思いやりであり、男の意気地だった。 

俺は、まだほんの餓鬼(がき)だったし・・。 今は、俺も奴と似たようなことをしているからな。

あの日、浮足立った青二才の俺の頭を、叩きつけられた思いがしたものさ。

 

 あの七高の湯浅に読まされたダンテ神曲の地獄篇・・。

’女衒(ぜげん)’が地獄で鞭うたれる場面がある。 あのやくざものの代わりに、まるで俺自身が地獄の裁きに身をさらしている気がしたよ。

 

 亜紀や涼子の苦しみ、その根にある日本の地方の貧困や濁世を変えるため、共産主義の紅い’力による革命’の可能性も考えてみた。だが、それは難しいと、その後随分してしてわかった。

日本人は古来より’和’を尊しとしてきた。それゆえ、何かほかに道があるはずだと・・。

 むしろ五国協和の精神を共有できれば、清国から離れた広いこの満州こそが、日本人皆を充分豊かにできる残された道なのかもしれないとも、若い頭で考えてもみた。

だから大国赤いロシアの動向が気になった。西へ向け、ロシアとの国境の大地を旅すれば、何かが見えてくるだろうと・・。

 

 だが、まだ俺も若くて、すべての不幸を生み出している富と欲の世の構造を恨んだ。

突飛に、革命のマルキシズムやアナキズム(無政府主義)を貫ぬくか・・、若いなりに、ロシア語の思想書を仕入れてきては読みあさったよ。ハルピンでは学外の何処かの巣窟に、情報源はいくらでもある・・。そんな地下のコミュニテイーにも当時はよく出入りしたものさ。

 

 でもな、ある時、ふっとわかったんだよ・・。

 湯浅のダンテの’地獄篇’にあった場面だ。

 

 お前も覚えているだろう、’パオロとフランチェスコ’の話しさ・・。醜い兄のジェンチオットは、自信がなくて、美しい弟のパオロに自分を名乗らせ、愛しきフランチェスコに会って婚約させる。

パオロに恋したフランチェスカは、愛と肉体を捧げる。だが、

兄のジェンチオットは、二人の純粋な愛に怒り狂い、二人を殺してしまう。愛する二人の魂は、地獄の山々を風に乗って、その後永遠に当てもなく彷徨(さまよ)うことになる。

 

 

 

 

神曲

 

 

 

 自分勝手でうぬぼれた俺が、もう一人の純な俺の顔を装って、あの日、亜紀を虜にしてしまったんじゃ。愚か者の化けの皮がはがれた時には、もう亜紀はこの世のひとではなくなっていた・・。

亜紀は天界に旅立ち、俺は青春のあおい感傷のまま、この世の’生き地獄’を生涯さすらうことになる・・。

 

 俺は、数年の西域の旅を経て、その後ポーランドの大学に入った。ソ連圏の独裁粛清の地獄を潜り抜け、結局、やがてこの旧満州の大地が相性にあったか、随分してからここに舞い戻ってきた。イデオロギーや派閥の板挟みで何度も死にかけては、結局は裏街道を今日まで生き残ることができた。途中、あの西蔵での出来事があった。その後俺の人生は変わった。

お前と大地を駆け回ったのは、そのあとのことだ・・。

 

 ハハ・・、いい歳をして、蒼い表現かもしれんが、 ・・あのおなごたちはな、ダンテの’神曲’の一節、あのマルボルジェ(邪悪の豪)に落ちた心の汚れたアテネの’遊女タイデ’には、決してなりきれんかったのだと思う。 純な心で、俺たちを慈しみ、世をはかなむことはあってもな・・。

悔しいが、あの日のやくざもんの言う通りじゃった。

 

・・ある時な、亜紀が真剣な、あの美しい目で俺を見つめ

こんなことを言ったことがあったんじゃ。

 

’ ・・私は、良蔵さんに恩返しせにゃならん。

夢のような世界を、あなたは私に教えてくれた。

もう人生なんて、と諦めちょったのに・・。

 

 じゃけん、わたしはあなたのために、命を尽くすんじゃ。

こんな汚(けが)れたわたしでもいいなら・・、 もし傍に置いてくれるなら。

あなたをずっと、ずっと命をかけて、・・静かに守り抜く。

こないなわたしには、そんなことしかできん。

 

・・でも、あなたが嫌になったらそう言って。

そいでいいの・・。 一時の、夢じゃったと思うて諦める・・。

遠くから、あなたの幸わせそっと祈る・・。 

この命があっても、無くても、ずっと。 ・・今日の日まで、そうしてきたように。

 出会いは不思議なもの。 神さんがきっと、ひと時のほんのささやかな幸せを

ご褒美に下さったんじゃ。 ・・ありがたいことじゃ。 ・・こんな、私にも。

 生きていて、ほんに良かった・・、良蔵さん。’

 

そういって、亜紀は涙を流しておった。 宝石のような涙じゃった・・。

 

・・亜紀は、けがれていなかった。何も無いわしの純のありのままを好いてくれたんじゃ。

箔をつけ、世間にちやほやされ、何れ女などに見向きもしなくなる俗人と化した醜い俺には、もう縁がなかった。 汚い俺にはな・・。

だから、固くほどけぬと自分勝手に思っていた二人の心の絆が、ふと切れてしもうた・・・。

 可哀想にな・・。  ”

 

 

 

かつて、日本に旧制高等学校があった そのロマンと残照

 

 

 

 涙ぐむ良蔵の言葉に、片手をその肩に添え、竜之介は黙って頭をうなだれた。良蔵にとり、その心の内の責め苦は長い年月だったんだろう。 少し間をおいて竜之介は言葉をつないだ。。

 

” 俺もひとり四国にいったよ。

あれからしばらくして、喀血して死んだ涼子の墓参りにな。

気持ちは、お前と同じだったよ・・。

あのおなごは、言葉少なかったが、賢くて、優しい目をした立派な女じゃった。

辛い境遇なのに、純な真心で俺たちのことをよくわかってくれていた。

 

 亜紀を幼いころから可愛がってな・・。いつの日にかと、読み書きも教えていたようじゃ。

どうして、世の中はこんな不幸を、心の純な善人を選ぶようにして課すんじゃろうな・・。

’濁世にて、罪穢れをやむ無く背負った人間が、救われぬはずがない・・。’

昔、親鸞がそんなことを言っておった・・。

 

 亡くしてから、あの時もう少し何かしてやれなかったかと悔やんだ。

自分の勝手な思いとは別のところで、

時間は余裕も与えず、大事なものを酷に奪い去っていく。

残るのは、むなしい人生の’汚点’だけだ・・。

 

” ・・悲歌に耳かす人もなく 沈み濁れる末の世の

けん鷺の夢よそにして 疾風迅雨に色さびし

古城の風にうそぶける 健児七百の意気たかし

 

南の翼この里に 三歳とどまる鵬の影

ゆくては万里雲わきて 雄図燃ゆる天つ日や

かどでの昔叫びにし 理想の空に長駆せん・・ ”  

                 ( 旧制七高寮歌 北辰斜めに )

 

 ・・久しぶりにお前に会った時には、お前はすっかり変わっていた。

’腐敗した世を変えていかなければならん、そして、広く世にその輪を築いていかねばならん’・・、若いお前は熱くいっていた。

 お前が頑なになるわけが、俺にも少しはわかっているつもりだった。 

お前は、帝大進学のため俺と日本には戻らず、ひとり遥かな西の大地に消えた・・。

その最後の別れも、ここ大連のロシア酒場だったな・・。”

 

 

 

 

 

私の大連: 1926年-1947年 満州・大連の想い出

 

 

 

  旅立ち 竜之介

 

 良蔵は、竜之介の言葉に、一瞬物思いにふけり、宙を見つめなお樫のパイプををふかしている。

竜之介はつづけた。

 

” 想い返せば、あの日、ひとり寂しげな涼子に見送られ、お前とふたり南九州を後にした。

涼子は、一人取り残されたように、遠くで手を振って俺たちに何かを伝えようとしていた。

あのおなごとも、・・それが最後になったな。

 

追い立てられるように長い旅路の果て、俺たちはここ大連についた。

ふ頭に降り立ち、馬車で街に向かった。アカシアの薫りが何か物悲し気に風に舞っていた。

街の小さな宿に数日泊まり、その後ロシア酒場で出会った日本人紳士の南山麓の広い宅に、好意で一部屋空けてもらい、しばらくふたりで居候した。

 日本の七高の卒業証書が身分証にもなり、そのうえでのモラトリアムのような大陸での遊学も面白がられた。静かで美しい街並みだったな。 夜は満天の星空だった。

 南山地区の坂を下って、中国人街に下りると、当時’クーリー’と呼ばれていた東北からの出稼ぎ労働者達が街にひしめいていた。朝から晩まで何十キロもの大豆糟を固めた大きな円盤をいくつも重ねて運ぶ労働者達がいた。

 南山地区の日本人の家族の恵まれた暮らし振りに比べ、彼らの生活は過酷だった。頭では五国協和を唱えていても、彼ら自身の心の内は我々の机上の理想とは離れすぎているように俺には思えた。


 南山麓の満鉄社員の家族に別れを告げ、大連を離れようという時、新天地での暮らしを謳歌しようとしている日本人移民たちの無邪気な横顔を特急列車の車席で眺めながら、既に俺の心には暗雲が垂れ込めていた。

 最後の晩、ロシア人街で、ふたりウォッカを傾け夜を徹して明け方そのまま列車に乗り込んだ。

 だが、すでに学生寮ではしゃいだ若者の元気はお前にはなく、一人黙って何かの哲学書を読み耽っていた。腕を組んでお前が座席で列車に揺られ居眠りしていた時、俺はひとり窓から広い大地を眺めながら、自分の先々に思いをはせていた。

 奉天、長春をすぎ、十数時間も固い座席で座ったり横になったりしながら、車掌の呼び声に目を覚まされ、ハルピンの駅にたどり着いた。 

 二人、駅から外に出ると、冷たい新鮮な空気が広がった。そこは大連とはまた一風異なった欧風の美しい石造りの建物が並ぶ街並みだった。暫くお前の学院の寄宿舎に世話になった。そして、しばらくしてお前を残して、俺は貨物船に乗せてもらって上海へと向かった。

 やがて、お前は当地の学院でロシア語を学び一年もすると、ロシア人のコミュニテイーの中に入っていったようだな。 マルクスの理想をお前が遠くから俺に手紙で書き綴ってきた頃だったろうか、同文学院の学生として上海にいた俺は、何故かむなしく、既に理想郷も何も信ずるものが無くなっていた。大都市シャンハイでは、俺なりに色んなことがあった。現地人とのつながりや、若い学生仲間も多くできたがな。”

 

 

 

大連からハルピンへ: 庶民の生活と歴史探訪の旅 (22世紀アート)

 

 

 

 

 竜之介  邂 逅

 

 ”・・上海同文書院での2年が過ぎて、卒業旅行がやってきた。ここでは自分で大陸巡行を計画して、半年余り調査旅行をした後、論文にまとめる。それがいわば卒業論文だった。

 俺はひとり馬に乗り、内陸に向け旅立った。半年も旅して大陸浪人然りとなってきて、大方の学業調査の目的は達し終えた頃だった、俺はある流浪の中国人の僧侶に出会うことになる。

 

 とぼとぼとな、その優しい語り口で唱えられる仏の教えに俺は心酔してな。

そのお坊を師と仰いで後塵を拝し、学業はそこそこで、学院に卒業論文代わりの長大な旅の課題文書を送り届けると、そのひとりの僧侶とともにそのまま巡業のたびに出ることにした。


 あれは、反日活動もあちこちで頻繁に起こり始めたころだった。
村々の貧しい農民や庶民達の底辺の暮らしぶりを見る旅が続いた。


 街にきな臭い不穏な空気が漂い始めた頃、俺が日本人の若者であることをも師は責め立てたりせず、旅を通して、世俗を超えた雄大な宇宙の理を教えてくれた。

 

 行を通じ、万物普遍の心中の’阿頼耶識’(万物をつなぐ意識の深層)に至れ、とな。

五感を通して見えるもの、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、善と悪、すべての世の事象を通して、その背景にある無二唯一の’空’という万物に内在する共通のいちなる真理を知ること・・。

そして、世の相対的な二極は、すべて己の心の影じゃとな・・。

 

蒙古の大草原の満天の星空のもとでな師は教えてくれた。

あの超絶的、幻想的な大自然の美しさは今も忘れられない。

 

 かつての若者の志士としての勝手な意気込みと、日本人の理想とされた五族協和の欺瞞の糸がもうあちこちで綻び始めているのを尻目に、広大な大平原、街々、そして山を越え、村を越えて、厳寒の中、砂漠を渡り、いつしか蒙古あたりまで行き着いた。

むかし、まだ師が少林寺の若い托鉢僧をしていた頃、蒙古で日本のさる高名な霊術家に出会い、交流を深めたそうじゃ。紹介状を書く故、いつか日本に戻ることがあったら、一度、その方に会ってみるとよいと、美しい綴りで一筆書いて手渡してくれた。

 あるとき旅先で、馬賊に襲われそうになったことがあってな。俺が自分を盾にしてこの小柄な中国人の僧侶を何とか守ろうとしたとき、後ろからふと手を差し出して師はこういった。


’ いい機会だから面白いものを見せてあげよう。

  お前は危ないからそこに離れていなさい。 ”


 師は、ひずめを轟かせて馬上から襲ってくる大勢の匪賊達のまん前に一人すっと立った。

瞬間、砂煙が舞い上がり師の姿が見えなくなった。

危ない・・、俺は目をこすって身を乗り出し師の姿を探した。

すると馬上にいたはずの男どもが一人二人と砂上に呻いて横たわっている。

やがて、師の姿が多人数の馬上の荒くれどもといっしょに浮かび上がってきた。

師は何時も持ち歩いている杖をゆっくりと振り回して巧みに馬上の敵の武器の動きを制している。

 これまで日本では目にしたこともない鮮やかな武術の動作だった。

怒声を上げて何処からともなく攻めてくる馬賊たちの素早い槍やら青竜刀の攻撃を、何故かゆっくりした円の動きの中に吸収するかのように捌いて、次々と落馬させていった。

あれだけ大勢の屈強な荒くれ者たちを引きずり落としておきながら、小柄な師は衣服すら乱さず、息をほとんど切らしていない。

俺はこの数十分は続いたかと思われる戦闘劇の前に唯立ち尽くしたまま、何もできずに呆然としていた。

自分が出る幕ではなかった。
 村々を荒らしまわる荒っぽい馬賊集団のなかの首長級になるとこの武術巧みな僧侶のことは知っていると見えて、はっとして師に深々と一礼すると、落馬した手下をまとめて引き上げていった。

どこの馬賊達も、うわさに聞く優れた武術家であり名僧でもあったこの師には、やはり一目置いておったようだ。
俺は、この見事で美しい武術を師から学ぼうと決めた。

師と旅する長い月日が流れた。


 ’・・’小龍’よ、お前はもう多くのことを学んだ。後は己の道を行きなさい。今が別れる時だ。
動と静・・、武の道も、仏の道も、行き着くところは同じじゃ。

盗賊をする荒くれ者どもにも、誰かを愛し、また愛されたことが一度はあるもの。

自分のその大切な何ものかを、いつか失い苦しむ日がくる。そこから辛く長い旅が始まる。

・・この世に生きることの意義じゃ。虫けらのような命にも、意味があるのじゃ。


 大自然、生きとしいけるあらゆるものをその小さな魂の光をみて同胞となし、それに照らして己自身を知り、それらのいちなる全ての為に、己をささげる。それがこの世での行だ。
すると、いつしか大自然はお前の大いなる後ろ盾になっている。
それが、無となり、すべての実相を悟るということじゃ。
おまえには、充分に伝えた。あとは、一人、道を行きなさい・・。
そして、お前にその日がきたら、それを又、次に待つお前の’日出ずるくに’の小さな’龍’に伝えなさい。

世界には、お前と同じ使命を持つ、多くの小龍を名乗る修行僧が散らばっている・・。

お前の国にも、乱れた’もの’の世を普遍的な善の’魂’の世にする使命を天から授かった聖人がおる。私の文を携え、一度訪ねて会いなさい・・。  では、さらばじゃ。”

 俺の名を’小龍 (リトルドラゴン)’と呼んだこの師のもとで終生修行したかった。

なごり惜しみながら、まるで大切な親を無くしたような心境で、何処までも続く蒙古の草原の中、いつまでも立ち尽くす師に見送られ、涙をぬぐい俺は一人旅立った・・。その日から、俺は’小さな龍’として生きる決心をした・・。ちょうど良蔵、お前のその腕にある小さなブルー・チベッテイアンの紋章のようにな・・。”

 良蔵は、それを聞くとそっと微笑んで、自分の片腕の青い小さな刺青をもう片方の掌でさすってみた。

 

 

写真で行く満洲鉄道の旅

 

 

 

 

 霊術家

 

 ”・・それから、しばらく一人で旅をした。そして、随分して俺はひとり日本に戻り、帝大に入った。タイレンのロシア酒場で別れを告げてから、お前は遠く西域のどこかに消えてしまっていた。京都の住居からも近い福知山の綾部という土地を訪れた。大陸の師の僧侶から聞かされていた宗教家に会うためだった。俺は、初対面でその宗教家の目を見た刹那、その器の大きさを悟った。彼は、懐かしそうに目を細め、俺の師の綴った手紙に目を通していた。俺はしばらくそこに逗留して、蒙古での師との思い出話や多くの意味深い話を聞かせてもらうことになった。その宗教家からは、自分が南九州で習ったものと系統が同じ’合気術’を使うひとりの武人を紹介された。 一期一会、日本人として、古神道に伝わる素晴らしい霊的な示唆を得ることができた・・。以来たびたびその土地を訪れては、その霊的世界観に触れることになった・・。”

 

  

 ・・竜之介が京都の学生時代に通い詰めたその宗教家は、大正の時代に武人を伴って大陸を歩き、竜之介を’小龍’と呼んだまだ若かった頃のその僧侶と面識があった。

彼は、“ワレヨシ、ツヨイモノガチ”の弱肉強食のこの世界を自らの霊性により、万人共栄の世へと導こうと当時大陸に旅立った。 

 巨大な資本力を背景にした帝国主義列強の植民地支配。 己れこそが優越種族であり、その覇権により他国の土地と資源を蹂躙し、まるで虫けらのように人々を支配し、殺戮することすら、彼らの間では公然と正当化されていた。どこかでばら撒かれた白人優生主義と弱肉強食の暴力的、排他的な世界観。

 

 けがれ、暗雲垂れ込めるこの現世’仮の世’の建て直しのため、霊術家は世界に跋扈支配する悪霊に対し、善なる教え、万教同根を掲げ、霊的結束を亜細亜の地の同朋に求め、大陸に降り立ち、蒙古に向け広大な満州の地を歩いた。そこで、一人の若い少林寺の修行僧にも一期一会の出会いを果たし、貴重な霊的な示唆を授けていた。

 しかし、当時の政商や海外資本の暗躍、あげく国家権力による弾圧、投獄、そして様々な内外の思惑が絡みながら彼の教えは邪教の烙印を押され、その宗教家の遠大な夢は未完のうちに潰(つい)えたともいう。

 一霊術家のパラノイア(誇大妄想)に駆り立てられたかのようにも思える、日本の乱世を揺るがす象徴的な事件だったが、当時の軍の士官たち、右翼や大陸浪人たちにも、この宗教家の教えの趣旨に共鳴し、多くがそのもとに集ったという。
 

 日本の’古事記’神話を独自の言霊学で読み解き、霊的な世界変革の夢と予言を絡めながら、国際的な時局をも歯に衣せず語り、大胆な構想を描いていた。

 その時代を超えての霊的世界観に心酔する若者達のなかには、王国楽土の建設を夢見て大陸に降り立つ者もいた。
 時間をかけ、人が霊的な進化を遂げねば、金権支配、"物主霊従"のいまの濁世をかえることはできない・・。

 巧妙なデマゴーグで民衆を扇動する私的な利権集団の物質経済が跋扈し、公共を疎んじ、霊性を軽んじる今の世の仕組みは、霊的な変革無くして容易には変わらないだろうと、その零術家はいった。
 
 ’ この地の国に蔓延した固形した罪穢れを

’天の浮橋’(あめのうきはし)に立ち神聖なる’草薙の剣’(くさなぎのつるぎ)にて払い清めなければならぬ・・。
草薙の剣は風雪を呼びこの世の中を祓い清める。

 

 神世の写し絵であるこの地上で準備を整え、

’中つ国’に’八尋殿’(やつひろでん)を設け、祭りをして 天空に向け光の柱を繋ぐ。
心ある人々は、魂の’修行’を通じ常に’霊主物従’の神聖な身となっていく・・。’

 霊術家の名は出口 王仁三郎といった。

満州の奉天より蒙古までの旅の途上で馬賊に幽閉され命を狙われた。が、奇跡的に拘束後、銃殺刑寸前で危機を脱し、伴っていた武人とともに生き延びた。

その後日本に戻ると、膨大な神世(かみよ)の物語を、何年にもわたり日夜口述したという。

それが膨大な’霊界物語’であった。


 ’古事記’に登場する八百万(やおよろず)の神々をめぐり、’スサノオの尊’が主人公となり、舞台を日本国の写し絵である世界に転じて、各地を宣教にあたるという設定の創作神話である。
その長大な物語の中段以降で、カスピ海の’コーカサス山’に尊が遠征する場面がでてくる。

  山崎竜之介のもとに、学生の龍崎 悠が通い、武術の修行をしていたその頃だった。修行の合間、師 山崎の屋敷の書斎にあった本を何気なしに手にして、偶然物語のその場面を目にしていた。 珍しい数十巻の美装本のうちの一冊を開くと、まるで夢の世に誘うようなインクの匂いが宙を漂い、セピア色の硬い旧字体が主人公のスサノオの展開する縦横無尽な武勇が悠の脳裏に広がっていた。

 

 まだ目にしたこともない西アジアのコーカサスの山々が、文字の羅列がまるで動く絵を導きだすようにして、臨場感のある白日夢の情景となり、新鮮な空気の匂いをも伴うように目の前に描き出されていた。 

 暫く時間を忘れ映像の中に悠はさまよっていた。 茫漠として焦点が絞れない奇妙な流れで、物語の主人公は、空高く雲に乗り、砂漠を超え、西国諸国を漫遊している。 

 あの文武の際を兼ね備えた老人山崎竜之介の蔵書にしては一風変わったものに思われた。悠は、何故か不思議な親近感を覚えて、コーカサスを舞台にした数十ページ程を、その場にしゃがみ込み、一気に読んでしまっていた。

 出口王仁三郎という霊術家が、そのエネルギーを横溢して描き上げた、後世では預言書ともいわれるその長大な’霊界物語’の一篇も、未熟な若者の想像の’器’を遥かに超えているようだった。

 その後、時間を経て、その西の果て、山岳の小さな街を、不思議な縁で龍崎悠は訪れることになり、その後の人生をも大きく揺るがせる多くの霊的示唆を身をもって体験していくことになる・・。

 

 

 

 山崎 竜之介は窓のホテルの外の霧雨をみて一息置くと、良蔵に先ほどの話をつづけた。

 

” ・・その霊術家 王仁三郎の傍に当時いた’合気’の武術家が、未熟ながら同じ心得のある若造のわしに、別れ際にこんなことを言っていた。

 ’霊術と武術は、人を迷わせ、いさめるものでない。

長い修行を通じて、自己を克服し、物欲と闘争欲を排し、今の世を霊性の世として、光り輝く天界の写し絵とするためのものだ。

 ’気’は万物宇宙の始源であり、非人格であり、すべてのヒトやモノに霊的な分身として、うちに眠っている。 己を清め、祓い、そのすべてを和(輪)で包み込むその霊性を’気’の武技を通じて磨き上げること・・、’神のみ柱’をこの世に立てることが、’神の舞’としてのおぬしの’合気’の武の行である’、・・とな。

 俺はしばらくその地を訪れるたび、その合気術家に教えを乞うた。既にその頃には、俺の中の武術観が随分変わってきていた。大陸の僧侶から伝えられた’空’の武術、そして日本の洗練された’随神(かんながら)の’合気の武術。 京都の帝国大学を終え、その後数年綾部に留まり、’植芝塾’で合気の修行と、師とともに言霊学、鎮魂帰神の’禊’(みそぎ)の行に専念した。やがて、何たるかの霊的確信を得て、俺は心に定めた使命を果たすため、再び大陸に戻ることにした。もう迷いはなかった・・。

お前と初めて大陸の土を踏みしめた、この大連の大地だった。 

 温暖で風光明媚なこの港の見える街が、自分のふるさとのように懐かしかった。バラック同然に砂埃のかぶっていた昔のモーターバイクを修理して街に乗り出した。

しばらく離れていた大陸の混沌とした俗世に、再度、どこか聖なる山から下りてきたという感じだった。
 

 アカシアの花の香が頬をなでる並木道を爆音を立てて走り、大連に戻っていたお前から伝え聞いていた住所に向かった。俺を待っていてくれるという、ロシア租界のまだあどけない少女ナタ-リャのところだった・・。”

 

 

 

 

スサノオと出口王仁三郎

 

邪宗門 上