2002.12    黄色い砂漠にて  悠 Ⅳ

 

 

                                                   

 

    

 遠く敷き詰められた紅き砂の絨毯
宙を揺らめく蜃気楼
時の輪廻のはざまに彷徨う白い妖精の影
砂漠の嵐に銀の髪は波うち
オアシスの命の水辺へといざなう・・

 

 

 

 何故、あの日あの時を選んだのだろう
決死の覚悟で ただ故里の当たり前の
風景を取り戻したくて

あの人は 既にこの世になく
かといって それを怨んでのことでもない

そんなに命は 希薄になってしまったのか
否 そうではなく
幾重にも 
愛と哀しみの風雪を
かさねすぎてしまったが故に

肉体の若さだけで耐えるには
すっかり重くなりすぎてしまった・・

だから虚ろな日々を
終わりのない恐怖と闇
愛する人々に見舞われるこの悪夢を
解き放つ波紋の小さな石になれればと

無垢の未来の子供達のために
自分に出来ること
残された命の価値
宿命って・・ 
もしかして
こんなことなのかもしれない
少し淋しいけど・・

涙なんて
とうの昔に涸れ果てて
一人ぼっちって
こんなことなのかもしれない

空高く星空を舞う冷たい風
命の灯火(ともしび)
小さな家々の煙突から
夕げの煙舞う
故里のあの母なる山々の
優しい風になりたい・・


 

 

 

 

  

  戦 い

 その年の晩秋、悠はひとりバグダッドに入った。 9月11日には、米国の富の象徴、ニューヨークの世界貿易センタービルが倒壊されていた。死者は数千人に上った。ビル倒壊の模様は劇的なジェット機の衝突シーンと伴に何度も衝撃的に誰もがわかりやすい形で報道された。この日から”テロとの戦い”が世界の合言葉になった。


 つい10年前の湾岸戦争でピンポイント攻撃と称して、まるでシミュレーションゲームで子供が標的を狙うようにして、画面上で敵地の標的がミサイルで破壊される映像がテレビでよく流されていた。 無機質な映像で、いとも簡単に標的は音もなく砕け散っていた。テレビに写った映像の背後で、将校達が近代科学戦力の圧倒的勝利に満足げな笑みを浮かべ拍手している様が目に浮かぶようだった。 

 悠は何か違うのではないかと思った。見かけ上の平和な国、日本。そのニュース報道の前の視聴者に、近代戦はこんなに精巧ですごいものだと、妙に納得させられるよう印象的に映像が構成されている。

あの下での阿鼻叫喚の生の人々の地獄絵、血の匂いは決して伝わらない。

 

 この頃、”テロとの戦い”に象徴されるような大小様々な騒ぎが東西世界で続いた。 

 大規模な敵国軍の’自国内からの撤退’を要求して、コーカサスの小さな国の若い男女数十人の武装グループが、数百人の観客を人質にして小さな劇場に立てこもった。 

 その中にはこの戦いで夫や恋人をなくした若い女性が何人もいたという。緊迫した数日の話し合いがなされ、ある女性ジャーナリストが間に説得に入り、占拠した若者のリーダーが遂にそれに応じようとしていた矢先だった。

 突如、神経ガスを使った特殊部隊による劇場への強行突入があり、毒性ガスにより100人余りの観客が巻き込まれて死に、武装グループの若者たち全員がその場でテロリストとして射殺された。 犠牲者の客たちが収容された後に、劇場に取り残された、ゲリラの若い男女の射殺された生々しい写真が、テロリストへの憎悪を込める様にしてその後世間に出回った。

 

 日本ではこの事件はほんの数分、どこかの局のニュースで報道されただけだった。

その後何度もメデイアで繰り返される米国の貿易センタービルのジェット機激突のリアルなシーンとは対照的だった。だが、多くの犠牲者を伴ったそのハリウッドばりの’リアル’さも、実は、数十年を経てやがて数々の状況証拠の積み重ねにより、人間のあまりにも愚かな’作為’が、その背後に浮かび上がっていくことになる。 規模は異なるが、悠の知る世界の戦場でよくある’作為’と相似していた。

 

 あの占拠事件のあと、大統領は、”これは’我が国’にとっての”テロとの戦い”だ”、と宣言したという。 これに呼応するようにして、テロリストとして射殺されたゲリラの若者たちの故郷では、村々を跡形もなく廃墟にするような無差別の大国による’掃討作戦’が、その後展開されていった。

 

 いつも戦地のニュース報道に映る敵方の人々の姿や表情は、どれも何処か異質に非人間的に映るよう印象付けられる。それ故に、人格や命をうやむやにされても同情すら呼び起こさせない、そんな他世界での出来事、異民族間の野蛮な争い、としてメデイアでは印象操作されている。
  それに対して近代装備をした多国籍軍の兵士達は、平和回復の使命を担い、冷静で緊迫した表情に混じり、自らの犠牲をも厭わず中東の地の平和と正義を守らんとする英雄としての姿が強調されている。 悠は、かつて1930年代、ナチスのおこなったとされる巧妙な宣伝工作を思い描いていた。その技法は、民間マスコミ媒体でも今もより洗練された形で生かされているはずであった。


 悠は今のメデイアは危険だと感じていた。あまりにも悠がこれまで見てきた現場の悲惨からは乖離しすぎていて、まるで、映像により’何ものか’に都合の良い筋書きにつじつまを合わせているように見えた。 中東の戦争のシーンをバックに、テレビ報道に映る専門家知識人と称されるコメンテーターは、いつも何故か同じ顔で、問題の本質をはぐらかし大事な焦点をずらして、どうでもよい当たり障りのない理由付けをしているように思える。 それも皆が同じ台本に沿うように議論を展開していた。当然、大手と称される新聞もそろって同様の論調であった。

 そんな中、やがて視聴者はそのコメンテイターたちの解釈を字句通りに受け入れ、或いは新聞の記述者の論法をそのまま受け売りに、周りの他人と物知り顔に論評しあった。その理由付けも、根拠の不透明さも、’奇妙’と思わなくなるのが常だった。それがこの世界の’巧妙’さたるゆえんだった。悠は、局に勤めていた頃、裏にあるそんな’作為’を、立場上、いやでも知らざるを得なかった。それで若さゆえか、その後自ら社を去ることになった。

 

 世は、巨大な虚構の上に成り立っていた。 父親の徹が時々、東ヨーロッパの出張先から信州の家に戻ってきていたとき、’カルバドス’のグラスを片手に傍らの母の由紀にそんな話をぽつぽつと話しているのを、悠はよく聞いていた。そうした夜は、窓の外は静かに雪が降りしきり、淡い照明の中、部屋の片隅の薪ストーブの炎が温かく揺れていた。

 

 ’ロンドンの ’シティ’が、世界のグリニッジ標準時だといわんばかりに、今はだれもが自分の腕時計の針をそれに合わせようとする・・。’ そんなふうに、あの頃、徹は言っていた。

 悠はもう中高校生の頃から、両親のそんな会話を通じて、この世の仕組みの裏側に潜む魔物の実像を少しづつではあるが早熟に分かってきているつもりでいた。

 

  その頃、悠は思った。 ’問題を深く掘り下げ、世界の争いごとに’共通’して存在する実は単純な’しくみ’を冷徹に判断する柔軟な思考を、人々は失っている・・’と。 

そんな時、悠は、祖父やさらに祖先の古い時代の日本の人々にごく自然に備わっていたという、質朴な’武士’の道徳と、’矜持’に想い憧れた。

 

  今の時代、人々は、与えられた情報の表層をなぞっただけゆえに、いずれ話題に新鮮味がなくなると、取りとめもない日々の雑事を拾い出したような野次馬的本能を刺激する話題の中に埋もれ、事の本質を見失い、外地の悲惨な出来事は脳の中で風化していく。

遠い異国で 並行するように今起きている現実の地獄の情景は、オブラートに包みこむようにして伝わってこない。人の命に優劣があっていいものなのか。


  気の毒に・・、あんな国でなくてよかった・・。

自分たちやその家族さえ平穏無事に過ごせれば・・、不運な”対岸”の国で何かが起こっていようが仕様がないことだ。 重い事情には、目を閉じよう・・。 

日々の社会生活に既に疲れ、目や耳から入る情報に、一歩立ち止まって、どこかに隠された実は回り巡って自分たちにもかかわりのある’一貫した世の真実’を探り当てようとする思考も神経も麻痺してしまっている。
  マスメデイアは、どれも、大衆が遠い世界の悲劇から目を逸らすための、情報の演出、印象操作の役目を担っているように悠には思えた。彼らの情報の出どころはいつも決まっていた。 万とある出来事の中、世に’必要に応じ’、その情報ソースをあえて選んで流すものがいる。

 

 あの戦争の混乱下、絶望の淵で誰かの撒いた”ショック・ドクトリン”の恐怖の罠(わな)に、現地の人々は嵌(はま)っているはずだった。 昔、あの秀才の高栁 亮に聞かされた’世界のシナリオ’のひとつが、やはりここでも具体的な形を伴って展開されていた。 

 

 いまの悠の住処(すみか)である世界の戦場では、世の縮図がいつも凝縮され、’矛盾のない一枚の絵’として見えてくる。

 

 日本では、遠い国の戦争や、つまらないスキャンダラスな事件がテレビや新聞を賑わしている間に、国益を損ねる何かの重要な法案が議会を通過して、国民を守るための法のかたい壁が、見えないところで少しづつ巧妙に崩されていく。

 知らぬ間に、閉塞的で心の平安の得られない社会。少し前の日本とはどこか違う中央の管理統制型の社会構造が築かれ、自由の外堀を埋める悪法が徐々に形作られていく。

 外国からの圧力、グローバリズム勢力の意向を反映した日本の政権や財界の主導により、民営化がすすめられ、国民資産が民間に払い下げられ、どこかの外資が大株主になって、国際的な投機や景気の変動に揺さぶられて株価はクズ同然になり資産価値は暴落していく。

これまでの、いつものやり方である。

 

 地球規模でのトータルとしての金融の流れでは、その目減りした財貨の分はどこかの巨大な資本や投機家の懐に入っているはずである。これが世界の数パーセントの富者と呼ばれるものらしい。 彼らは皆、間接的に巨大な同一のネットワークや閨閥で結びつき、金儲けの情報を共有して盤石に守られている。

 巨大なネットワークの仲間内での為替や株のインサイダー取引の中、’濡れ手に粟’の経済力学が働く。中でも公然と人の命を犠牲にしたり、或いは合法的に詭弁で人をだまして得た資金、血塗られた武器てえられた莫大な’あがり’は、ケイマンやどこかのペーパーカンパニーを通じて多額の税金を逃れたうえで、マネーロンダリング(資金洗浄)され世に出ることなく、どこかの輩の懐にひっそり回収される。

 どこかで戦争計画が練られ、その標的となり破壊しつくされた国の資産は、ハゲタカやハイエナがやってきて残り物を屋台蔵ごと乗っ取っていく。これが自然界の厳しい弱肉強食の法則だと言わんばかりに・・。

 或いは、後戻りできぬグローバル経済の社会システムに向け、一見平和裏のなか、民衆の体感に気づかぬように、外圧で巧妙に法改変がなされ、自分たちの生活の場がいつの間にかがんじがらめに塗り替えられているのに、やがてある日、人々は気づくことになる。 いつの間に・・。 もう、あとのまつりである。穏やかな日本人の民族性を知り尽くし、かの’ジャパン・ハンドラー’たちは、それを逆手に取っている。かつて、アフリカ、アジア、南北アメリカで先住民が蹂躙され資源財宝を根こそぎ奪い去られたと同じ、だがより洗練された手口で・・。

 

 かつて日本にあった運命共同体的な伝統的、奉仕や互助的な組織の哲学や形体が崩れ、職場では、金銭的成果を出さなければ何の評価も保証もない冷たい孤立した競争社会に自分の居場所が変わっていく。 人々は限られた時間、神経が擦りきれるような日々の労働で精一杯で、世代が移り変わり、危険なまわりの変化にも慣らされていく。

 

 とてもそんな自己の日常性から乖離した他国の紛争事情にはかまってはいられない。少数の国際通信社が配給するソースに基づく、多くのマスメデイアの共通する情報をうのみにして、それが自分たちの生活やビジネスの共通した指針や日常の話題となっていく。 

 

 

 

 所詮この世は、社会的淘汰、弱肉強食、勝ち残ったものしか報われない仕組みになっている。 隣の人間は他人どうし、疑心暗鬼で、財貨と成果のみにより人間の価値をはかるようになる。生存競争や環境に適応する能力に劣ったものは、淘汰され落伍するほかないのだと・・。

そんな古びた進化論者の言葉が誰の耳にも当たり前のものになろうとしている。

 

コンピュータゲームで精巧な戦場のシーンが再現され、テレビや映画の娯楽で暴力が当たり前になる。 子供たちは、無防備にテレビのドキュメンタリーで野生動物の本能、生存のための弱肉強食の世界を見せつけられる。 そうしてやがて血の色にも慣れ、人同士の適者生存の血なま臭い争いごとを無感動に受け入れることにも慣らされていく。

 

 そんな社会の風潮だった。そうした社会心理に覆いかぶさるように、やがて次の世代では、それに首をかしげる少数の’まっとうな’人間たちを排除すべく、今度は権力が進化した人工知能で個々の情報を事細かに掌握し、監視システムを徹底していく時代になっていくのであろう。

いつか高校生の頃、父親の徹が空港の書店で買ったジョージオーウェルの’1984’という小説を、手土産だといって手渡されて読んだことがあった。肌のうすら寒くなる社会風刺的なディストピア(未来)小説だった。

 

 世界のごく少数のトップのルーティンで際限のない資産蓄積と空想、野心のために、この世界の劇場は設定される。 その他の大多数が、既成のメデイアから与えられた情報に疑問をさしはさむこともなく、経済的対価の保証される自らの決められたレールの上をただ盲目的に突き進む。

 果ては、そうした恣意的なシステムの矛盾が、巡り巡って、世界の末端の見えぬ場所にいる多くの弱者、子供たちのところに矛盾のしわ寄せとして押し寄せ、世界のマスメデイアの関心を示さないところで、決まって日常的に、数え切れぬ弱者が戦争や災害、貧困と病の犠牲になっていく・・。

 悠は、むかし武術の師の山崎竜之介の家の書斎で読んだ本のなかの一節を思い出していた。’我よし、強いもの勝ち・・。’自分だけでいい、強いものだけが生き残るのだと・・。

 

 

 

 

 

                                  一村一品マーケット

 

 

 


   

 

 

 

 

     2002 Yellow cake (黄色いケーキ)

 


 龍崎 悠は、市街地を歩いて、市場にたどり着いた。いまだに所々に破壊して、放置された赤茶けた戦車が太陽の光を浴びている。昼は炎天下の道路上で40度はくだらないだろう。
 奇妙に鼻につく金属質の空気の匂いが漂っていた。悠は何故か嗅覚には敏感だった。
その場の空気の匂いが、幻覚のようにして過去の記憶の映像を呼び覚ます。
悠は暫くその記憶の先の情景を辿って、幻想の世界の中にたたずむ。

 軽い眩暈がした。

”この匂いは・・。” 

 むかし学生時代、短い留学生活を終え、ワルシャワから日本に戻る途中のことだった。

ソビエト上空でジェット機の窓から見た深夜の漆黒の空に、悪魔の赤い舌のような大きな入道雲が現れていたことを、思い出していた。
 機内には鼻を突く金属質の匂いが漂っていた。ほんの暫く前には、ワルシャワの空港であの少女が悠を見送ってくれていた。 そしてそれが永遠に二人を突き放すことになるチェルノブイリの災厄の前兆であるとは、その時の悠には知る由も無かった。
 その悪魔のような不気味な赤い光の雲を見ながら、呆然とその先に少女の面影を追っていた。 いつかの夢・・。 

 

 美しく着飾った真っ白の花嫁衣裳の少女が、雪のちらつくクリスマスの晩に、数千本の赤い蝋燭に照らされたクラクフの教会から、涙ぐんで悠の元を離れていく。 悠にはその夢の中の少女の涙の意味が理解できないでいた・・。

 何人かの男の子たちが壊れた戦車の上から飛び降りして遊んでいる。 悠は、その覚えののある臭気にむせるように何度か咳をした。 砂漠の砂塵に黄色く染まったワイシャツに薄っすらと汗がにじんだ。
 肩にぶら下がった黒いニコンのカメラを見て、子供達が笑顔で悠のところに近づいてくる。
普段は見かけない東洋人にも、物おじはしない。写真を撮ってくれと嬉しそうにせがむ。
 悠は、赤茶けた戦車に乗った子供の写真を何枚か撮った。 そしてお礼に日本の桜の咲いた絵葉書を戦車の上の男の子に手渡した。 子供は微笑んで戦車を飛び降りると仲間の子供達の方へ走っていった。 一枚の写真を取り囲んで、何処かの異国の美しい風景に、見入る様にのぞき込んでいた。どこでもよく出会う子供たちの素朴な好奇心が悠は好きだった。

 悠は、にぎわう市場の廂の影に入った。突然日が閉ざされると、急に汗ばんだ体中に妙な悪寒が走った。モールの中に並べられた粗末なテーブルの前の木の椅子に座ると、カメラを横にそっと下ろし、店の髭の男に冷えたビールとちょっとした鶏肉の料理を頼んだ。
 悠は、シャツのポケットから駱駝の絵柄の煙草を取り出すと、日焼けした細い指で一本抜き出した。銀色のライターの着火音が広いアリババの物語の時代とそうは変わらないであろう、人々でごった返す広い市場の中に響きわたるようだった。遠くから時々、熱風に乗ってコーランの詠唱が流れてくる。
 トルコのイスタンブールにしばらく滞在した頃、星降る夜、開け放した窓から入り込む心地よい夜風に混じって流れてきたコーランの響きをふと思い出していた。
 悠は若い時、そこでスーフィの内想法を身につけていた。その一つを日課のように早朝、旅先でひとり実修し続けていた。 

目を閉じ、呼吸を整えると、一瞬、時空を超えて、同じ鍵穴を持った様々な歴史的情景が、まるで悠の差し込む黄金の鍵に付合するかのように幻の扉が開かれる。脈絡もないままに様々な映像が懐かしく脳裏に次々と展開されては、消え去っていく。とわに続くかと思われる幻想の絵巻も、瞼を開け我に返り現実世界に戻ってみると、ほんの数分の間の出来事であった。それが、毎朝、同じ壮大な物語の続きを追うようにして、来る日も来る日も続いた。

 市場のモールの天井は高かった。所々幌の裂け目から陽の光の筋が差し込んでいる。悠の口元から舞い上がった煙草の青い煙は、高い幌の天井に向けて登っていった。煙草を口にくわえ、
 悠は、尻のポケットからモレスキンの黒のハードカバーの手帳を抜き出すと、留ゴムを外して開いた。
 紺の万年筆で書きなぐられた横文字の列を指で縦に辿った。そして、その文字の一行を目の前の髭のウェイターに見せた。男は、その文字を追うと、怪訝な目で日焼けした悠の顔を見た。
” ・・マンスール・ホスピタル?
ああ、ここから車で4,50分の所だ。 一体,・・何の用だ。
・・・ ひどい所さ。”
男は吐き捨てるように言った。

” 子供達の治療にも、薬が無いと聞いているが・・。”

” そうさ、薬はどこかで留られてこの国には入ってこない。奴ら、・・
経済封鎖と称して汚いことをやりやがる。 病人たちを薬無しで見殺しにして何が面白い。
優秀だったこの国の医者は何も出来ずに、
ただ、死んでいく幼子たちの最期を看取っているだけだ・・・。
あそこにはどういうわけか、白血病の子供たちが大勢いる。
お前は、・・そんな子供のやつれ果てた哀れな姿でも、そのカメラで撮りたいというのか?
絶望の淵に苦しむ母親の表情と伴に・・。”

” そんなに、ひどいのか・・。”
悠は小さく囁くと、腰の横のカメラにそっと視線をやった。

” 俺は、・・イランとの戦いにも、湾岸戦争にも従軍した。
後の戦争で戦って生き残った兵士仲間は、何故か皆、妙な病気にかかって死んでいく。
そして何よりも、あの戦いの後に生まれた赤ん坊の中には、・・おお、アラーよ、・・おぞましい姿でこの世に生まれ出てくるものが多いという。
幸い・・可哀想な幼い命は、生き永らえずに、母親にもその姿を見せぬまま、アラーの元に召されていく・・。せめても、それだけが救いだ・・。
 一体、奴らは先の戦争で神を冒涜するとんだ毒物を地上に撒き散らしたんだろう・・。”
苦しげな表情で宙を見あげ、その男は呟いた。


″それは・・、もしかして、イェロー・ケーキ(黄色い菓子)・・のことか。” 
悠は怒りに震える手で煙草を灰皿にこすり付けると、涙をうかべ頷く男の肩を、手のひらでそっとたたいた。

 黄色い菓子とは、劣化ウラン弾という放射能の濃縮された猛毒の弾丸のことだった。
戦車の固い鉄の壁をも溶かすように貫通するその悪魔の小核兵器爆弾の粉じんは、その後、宙に飛び散り砂漠の風に交じって消え去ることなく半永久的にその土地を放射能で穢していく。それは幼い抵抗力のない子供たちや、母親のお腹の中の胎児の遺伝子に、壊滅的な打撃を長い時間にわたり与え続ける。

 湾岸戦争以来、10年ほどで小児白血病や小児がんの国内比率が、戦前のほんの数パーセントから数十パーセントへと劇的な変化を示している。明らかに敵軍によりこの”黄色い悪魔の菓子”が国内の戦場でばら撒かれたせいだといわれている。

 

 

 

 

 悠は、タクシーを拾うと、バグダッド郊外の病院に向かわせた。
病院の名を聞くと、若い運転手の射すくめるような視線がバックミラーを通して悠に注がれた。
 心なしか黄色い砂塵を撒き散らし、タクシーは爆撃で破壊された家々の瓦礫の山を通り過ぎながら、程なくある中規模の小児病院の玄関に横付けして停められた。
いくつかの開け放された窓から、街中の子供たちの明るい笑顔や声とは対照的に、不思議としーんと静まり返った院内の様子がうかがい知れた。
 車を降りると、病院の茶色の煉瓦造りの壁に開けられた扉窓に近づいた。

悠は本能的に写真のシャッターを押した。青白い顔をした無表情な幼子がベッドに横たわっている。その傍らには、苦しみにゆがんだ母親の目が、一瞬、ファインダーに隠れた悠の目を刺すようにとらえられた。悠は、再度シャッターを切った。

 ’因果な商売だ・・’と、悠は若い頃いつもそう思った。
数々の悲惨に出くわすつど、死臭の漂う中、今自分が、そこで取らねばならない行動が、
人としての最低限の道義を超えたものであるという、偽らざる後ろめたさとの葛藤である。

 ″蒼い感傷では写真は取れない・・。この’生’の現実を目の前にありのままに突きつけ、世界の人の眠った目を覚させることに意味がある。 そして、やがて虐げられた彼らに救いの手を差し伸べる世界の大きなうねりへと繋げていけるんだ。”・・と。
自分の命の危険と背中合わせの、張り詰めた修羅場の中、紛争地や危険地域を飛び回った挙句、まだ若かった悠はそう思ったことがあった。 

 でも、今は少し違っていた。
カメラのファインダーから覗き見る映像は、自分の本能がそれと切り取った、紛れもない現実世界であった。いわばファインダーは本能が開け放った視覚受容器であった。
そして、心の目が選び出したその情景は、時空を切り詰め、世の真理を凝縮した、生の場の投影であった。

 だから一場の情景に、そこに込められた魂を揺さぶる真実を、見る人は刮目し、再びそこに描き出すことが出来た。
悠は、そのために自ら″空”になりきることを試みた。ただ、本能の赴(おもむく)に任せて・・。
本能とは、大いなる’天’の意思が、悠の身体をして発動させる何ものか・・であった。

さらには、暗黒の’絶対無’の中に浮かび上がる、’直感的自己’が、時空を超えた普遍的な’絶対現在’の場所、つまり’戦場’という過酷な’劇場’を選ぶことで、そこに見出すものであった。それは、悠がたびたびの実践を通じて積み重ねてきた武術の修行に似ていた。外界へと、それが危険で、困難であればあるほど、そこに働きかける(ポイエシス)ことで、より内なる自己の深奥(プラクシス)に差し迫っていった。武術では、それを’極意’という。

 ふとカメラから顔を上げると悠は、ベッドの子供の横で、悠には目もくれずに子供の手当てをしている風変わりな東洋人の姿に気づいた。短く刈上げた黒髪に、鼠の粗末なシャツの袖をまくり、その手の先に何か細い針のようなものを持って、子供の青白く透き通ったやせた腕にそっと触れていた。不思議と瞑想でもするかのように、静かな落ち着いたまるで僧侶の風情だった。 日本人だろうか・・。 

  悠は、試しにひとことふたこと、日本語で話しかけてみた。

日焼けしてこけた頬の中から、くぼんだ目が悠をとらえた。その黒い瞳は澄んでいるが、どこか悠の心の奥底に突き刺さる鋭い輝きを放っている。

 

 ’・・、取材かい。 見ての通りの惨状だ。

平和ボケした誰かさんたちに見せてやってくれ。

ああ、・・一応、こう見えても医者崩れの’治療家’のつもりだ。 

ちょっと変わりものだが・・。   名は瀬川。 ・・よろしく。’

 自分より、十は年上かと思われるその男は、悠に向かってそう答えた。


”君は、その・・いわゆる戦場写真家かい?  ご苦労なことだ。

・・ここの前はどこに?”

 

”・・、 しばらく北コーカサスにいました。 その後、北アフリカで何年か・・。”

 手にしたニコンを下ろすと、悠はそう答えた。

 

”そうかい。・・私も、行ってきたよ。

縁あってあそこに足を踏み入れるものは、

地獄のような風景の中で、自分の無力さと対面する。

・・何度も死に損ねた。

だが、やがて命の前に人として失ってはいけないものに気づかせてくれる。

・・泥と血にまみれた小さな宝石の輝き。

誰にも理解されぬ、自分だけにしかわからない孤独な’真実’さ・・。”

 

瀬川は一瞬、哀し気な表情をした。

そして、青白い顔をした小さな男の子の頭をなでると、ベッドに寝かせた。

そして、悠を促して中庭に出ると、たばこを一本くわえた。

雲一つない真っ青な空を眩し気に見上げると、傍らの悠の腕がライターの火を差し出した。

’Colibri’の革柄のライターだった。

ふと、男はそれを見て何かを思い出しているようだった。やがて一服すると、こういった。

 

 ” ・・ここには、既に天に召されるべく選ばれた子たちがいる。

 苦し気な中にも、世のすべてを静かに見すえ、全知全能の何ものかに委ねようとする清らかな眼差しがうかがえる。 僕はそれを見て、哀しみと苦しみを超え、厳かな何かに突き動かされる・・。

 あの地獄の中で生きおおせてしまった自分の惨めな命の前に、

未来のない天使たちの永遠の命の輝きが重なる。

 

きっと、命を張った君のその写真で、’人’として救われる者たちがいるんだろう。

・・それが誇りある日本人としての、君の役目なんだろうと思う。

 

無言の魂のうったえに、ひとは無情にも黙って通り過ごすことはできない・・。

それが、・・無垢な彼らの’命’の、今生でのつとめだ。

・・この世は、無慈悲な’すれ違い’ばかりだが、

人にはそれぞれ選ばれた、孤独な使命があるんだろう・・。、 

 

 ’刮目せよ。’ 立ち止まり、我々は真実に目を向けねばならない・・。 ”

 

                                             

 

 

 

 

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