幻の大陸から    美奈 Ⅴ

 

 

                     


  桜の花舞うまだ肌寒い春の日の朝、美奈は南米から戻り、久しぶりに店のドアを開けた。心地よい音色のピンクの貝殻のドア飾り、その向こうには懐かしいマスターの笑顔があった。

"やあ、美奈じゃないか・・、お帰り。
元気だったかい。 で、悠ちゃんは一緒?
・・そうか。こんどは少し長くなりそうだね。
じつは悠ちゃんがね、ひとりで美奈が店に戻ってきたらこれを渡してくれって。
わたしゃ、あんた達が一緒に来てくれるのを待ってたんだけど・・。”

マスターはそういうと、ため息をついて、美奈に小さな木彫りのマーメイドを手渡した。
人魚は、幾多の災いから自分の身を盾にして弱き人を守ってくれる、そんな清らかな愛の象徴だと、かつて美奈は悠から聞かされたことがあった。

 

”あのひとは、西アジアに取材で。 ・・ふたりリオで別れました。”

 そういうと、美奈は掌の上の小さな人魚をそっと撫でながら、数年前のあの暑い夏の日を思い出していた・・。



 外では蝉の声が響き、ジム・ホールの"亡き王女のハバーナ”が、ひんやりとした薄暗い店内に染み入るように流れている。 オレンジ色のランプに照らされ、テーブルの上に広げられたブルーのインクの手書き原稿。写真が数枚ある。 

・・ 振り向いて微笑みかけるインデイオの血の混じった少女の澄んだ目。 

・・傷ついた小さな子を手当てする美しい金髪の白人女性の、どこか印象的な表情・・。

 

 灰皿から小さくなった煙草がこぼれ落ちそうになっている。 カップのコーヒーは冷えたまま時間が止まっていた。確か、カリブのキューバ産’キュビータ’のエスプレッソだった。 

 飾り気の無い麻のブレザーから、男の日焼けした腕が覗いていた。 幾筋かの古傷の痕。 銀色の髪の混じった男の顔は、蒼い煙草の煙の中で呆然と宙を見上げている。 美奈の知らぬ時の狭間を、男はひとり彷徨っているようだった。

 ふと憤りの表情を含み、その後、物憂げで悲しそうな目になる。 あれは、’愛した人’をしのぶ、夢見るような優しい目・・、でも言葉にはならぬ、ひとつながりの愛と錯別の長くつらい記憶・・。

 あんな目でいつか私のことを思い描いてくれれば、どんなにか幸せだろう、と美奈はふと羨ましく思う。 少し嫉妬心を抱きながらも、このまま陰から、ありし日の美しい物語に浸る、男の呆然とした横顔を見ていたかった。
 男は日焼けした細い角張った指で、写真の上にこぼれた煙草の灰をそっと払い、いたわる様に、皴になった一枚の少女の写真を掌に取った。

 

 

 

   幻(まぼろし)

 ・・悠はなぜか脈絡もなく、愛馬 ’ロシナンテ’ の背に乗り、南米のジャングルをひとり歩くあの孤高の戦士チェ・ゲバラの姿をふと想像していた。アフリカでの活動の失敗を経て、今度は南米で再起を図ろうとしていた。 ロシナンテとは、物語のなかで、郷士ドン・キホーテがその背に跨り、ともに旅を続けた馬の名である。

 ドン・キホーテ物語の主人公を愛したあの革命家チェ・ゲバラ。

圧政と貧困の連鎖からの人々の解放のため、いま南米のジャングルの中ゲリラとして潜伏した。だが、共感者であったはずの当の村人たちから裏切られ、敵の軍に追い詰められ、孤立し疲れ果てていた・・。ふと、どこか風刺的な、幾世紀も前のキホーテの物語の愛すべき主人公になっているようだった。

 いつの間にか白日夢のなか、ジャングルの中で、風車に映った悪魔の幻を前に、錆付いて刃の欠けた剣を片手に巨大な幻影に突進する老騎士の影が見える。

 あの孤独な’紅い革命家’’でもなく、物語の主・キホーテ’でもなく、じつはそんな筋書きを予め承知の上で、そのみじめな役を演じているのが自分自身の姿であることに悠は気づく。 危険に敢えて身をさらすことで、戦場のカオスの中、極限での人々の’生’(せい)の証言を記録し、その貴重な生きざまを写真という形にしていく。

物好き以外、誰もしたがらないそんな一見馬鹿げた無謀な行為。それで世の人々を眠りから覚めさせ、洗脳された衆愚の群れから、彼らの心の中に潜在する本来のあるべき魂の’善’の共有へと導いていく、そんな大それた役柄が自分にはあるんだと・・。悠は、若いころ、そんな風に考えたことがあった。

でも今となっては、あの伝説の英雄たちの悲劇同様、自分のそんな役柄が’むなしく’感じられていた。この世の盤石な何ものかの’仕組み’にひとり突進して、そこに意味なく砕け散っているように思えていた。

 

 孤独な不安を誘う風が音を立てて突進する自分の冷めた頬を吹き抜けていく・・。悠は、そんな英雄の最後の孤独な想いに、惨めで疲れ果てたいまの自分の姿を重ねていた。


 そのとき、視界にふと白い一杯のコーヒーカップが差し出され、テーブルの隅に遠慮気にそっと置かれた。 悠は目の前に伸びた美しい素脚に、とり止めも無い夢想から我に返った。

  ”・・ああ、ありがとう。” 気おくれして、擦れた低い声で答える。

 その声に一瞬、美奈は胸の内に、どこか心を焦がす懐かしさを憶えた。 

精悍に日焼けした男のかすかな微笑に、もう若くはない目尻の皺が見えている。 何かの運命にやむ無く突き動かされ、流され続ける一人の男の寂しさを、先ほどの宙を覗うその横顔のシルエットにひっそりと映し出しているように思えた。美奈にとり、それはどこか伊覚えのあるいぶし銀のような鈍い輝きだった。 ふと自分に注がれた、誠実な澄んだ目の輝きが、美奈の胸の奥底にまで熱く貫いてくる。

 この人は、嘘を付ける人でない・・。 美奈はそう思った。

 傷つき、人知れずここまでやっと生きおおせてきた静かで孤高なジャガーの、そんな精悍さと孤独の匂いを、疲れたその肉体に密かに漂わせているようだった。

美奈は、かつて、生まれ故郷ブラジルで、村のインデイオのシャーマンに聞かされたそれに似た話を思い出していた。

 

 男は、その心の内を、決して他人には悟らせまいとしているようだった。

いや、決して理解はされないだろうと・・。哀れにも、過去に同じ轍を踏んだものでない限り・・。

 美奈のような女のみが懐かしく嗅ぎだすことの出来る、人の匂いだった。

 ”・・いい曲だね。”
 背後には涼しげな南米の曲が流れていた。

 "ショーロっていうんです。・・ブラジルの古い曲。
この曲が良くてお店何度も通っていたら、
マスターがよかったらうちにおいで、だって・・。 いい人。"
 
 美奈は小麦色の素脚のミニスカートの裾をそっと掌で覆って悠の前に座った。
"今度はお仕事どちら? ・・危なくはないのかしら、

  ・・心配。"

 悠は初めて愛を交わした晩、自分の腕の中で眠る女の長い睫毛に美しい透明の涙の滴っていたのを思い出していた。 ・・もう失いたくはなかった。

" ・・コーカサスから、モロッコ、中東イラク・・。 でも少し先だよ。
・・ありがとう美奈、・・十分に気をつけるよ。"

 美奈は細い指を男の指に絡めた。 先ほどの写真の少女が微笑んでいる。

幼い頃、豊かで恵まれていた美奈は、こんな優しい目をした子供達と親しくなりたかった。

 

 "この子の綺麗な目、分かる気がする。 こんな目、小さい頃からよく見てきたわ。

 私も彼女たちの中に混じりたかった。 でも・・。”

美奈は裾の手を上げ、震える口元を覆った。悠は自分の掌で女の手を握ってやった。


" 美奈、いいんだよ、話さなくても・・。 分かってる。
僕も、若い頃に愛する母をなくした。 その面影はいまだにあの頃のままだ。
君の心を苦しめていることを知れば、君のママも悲しむかもしれない。
きっと、君の事を遠い星空のかなたで今も見守っていてくれる・・。 

・・だから、涙はお拭き。 "


目の前で艶やかな小麦色の素脚が震えていた。
美奈はずっと、幼い頃からの幻に苦しんできた。

 

” ・・ママはいつかこう言ってた。

 

 ’・・お母さんもそうだった。

  ・・本当は、ずっとずっと遠いむかし

 ミナもあの光り輝くお星さまから、この緑の大地にやってきたのよ。

あなたは、今も守られている。・・だから、この先お母さんがいなくなってもだいじょうぶよ、ミナ。

いつかきっと出会いがあり、遠いむかしの懐かしい日々を思い出す時が来る・・’、って。”

 

美奈は、宙の光に舞う塵を呆然と見てそう言う。 そして悠を見つめると続けた。

”・・その優しい目の奥にいる貴方は、私が捜し求めていた人。 ずっと昔の私が。
あの暑い大陸の神秘の場所で私が身と心を捧げた方の目。 

 時を超え、神の与え給うめぐり合いの不思議。 とても嬉しいの・・。”
 
” ・・美奈。僕の中に過去の’幻’を追ってもだめだよ。

 この出会いは、君を幸せには出来ないのかもしれない。

 時とそして形を変え、すれ違うように束の間、人は濃密な出会いをし、そしていつの日か否応なく引き離されていく・・。 歓喜の記憶と悲しみの余韻だけを残してね。

だから未来は夢見ず、今の君だけを愛せれば・・。”

心ならずも、悠の中の’誰か’が冷たくそういわせた。

” そんな寂しいこといわないで・・。 あなたの存在は、ずっとふさがらなかった私の心の隙間を温かく埋めてくれたわ。 この出会いは夢に見、待ち焦がれてきたものなの。 

貴方は私の中で・・’あの日’の私と一つになった。”
 
 美奈は悠に始めて抱かれた晩のことを思い出していた。
やはりこの人は、私の魂が長い間彷徨い捜し求めた人だった・・。美奈はそんな心の寄る辺となる人が自分の傍らで眠っているのを見て、その夜は限りない幸福感に浸ることが出来た。


 

 

   幻の大陸から                      

                      

                      

 


 ” 美奈、僕は時々夢で暑い大陸の情景を見ることがある。
幾世代も前の様な気がする。そこに生きた小麦色の肌の君が懐かしく思い出される。優しく囁く君の声が聞こえ、美しい君の微笑が見える。
でも狂おしく切ない記憶だ・・。”
 悠は女の掌を指で撫でながら時の空白を追っていた。目前の女の瞳は放心し、同じ時空を彷徨い涙に潤んでいた。

”・・あのときのようには貴方を失いたくは無い。運命の悪戯でもいい。貴方の温かな愛の中で一つになりたい。”

 悠は目を閉じると両掌で女の手を包んだ。 昔、トルコのコンヤを訪れたとき、紅い砂漠から爽やかな風の吹く星降る夜、ある骨董屋の白髪の老人から教えてもらった秘教スーフィーの’ハートの呼吸’という瞑想法だった。いつか若い頃、コーカサスで’優しい人々’と共に、彼らの平安と幸福を祈ったことがあった。それも今では朽ち果てた幻となっていたが・・。


 祈り始めて数分じっとしていると、不思議な現実感のある情景が見え、悠の口元から思わぬ言葉が、美奈の幻想の世界に共鳴するようにして出てきた。

”・・昔、何万年も前、あの地を僕たちの日出國(ひいずるくに)の祖先が訪れ、偉大な叡知を残した。

祖先が生きた時代の人々は、その心の目で世界を把握し、自然界の無尽蔵のエネルギーの恩恵を日々に生かし、魂の宿る言葉と自ら第6感の能力を加速度的に進化させ、その精神的な秩序ある方向性の上に豊かな文明が築かれていた。 

 

 生まれてすぐに子供たちの潜在脳は、母親と種族の愛に包まれながら、伝統的な方法で開発された。彼らはやがて、すぐに恒星や、フィールドからのエネルギーを集積するシンプルな原理をその潜在能で見つけ出し、装置を身近な自然界の素材で組み立てた。 そして世代を追うごとにより高度に、それらの原理と技術を統合していった。

 そしてさらにエネルギーグリッドを要所に含む幾何学的な構造物の中で、日に二度瞑想して宇宙大にまでその’第6番目’の感覚を拡大した。 先進的な文明の中で、衣食住などの生活の場もよりシンプルに洗練させていった。

 自らと他の進化途上の多様な生命体の魂を愛で導き統合したその光の船は、宇宙のどこまでにも瞬時に飛び出していって、知的な好奇心をもって探検することができた。瞬間の瞑想で高次空間を時間に拘束されずに移動し、五感の世界に現象化できた。いまの君と僕自身も、そんな遠い昔日の想いが、今という別時空の現実に創り出している’幻’なのかもしれない・・。

 

 母なる地球上のすべての生命体の遺伝子から、遠くきらめく銀河にいたるまで、あらゆる構造は特定の法則性をあらわす黄金比の幾何の力学で満たされていた。 幾次元かの時空構造が幾何学的に作用して無尽蔵の力を生み出した。わが惑星の母なる太陽の光を地球の自らの地軸に建てたモニュメントに受け、何層にもわたる相似構造の宇宙へと思いをはせた。

 温かな恒星・太陽の光の恩恵のもと、人々の統合的な深い’和’の心を通じて、その黄金のクリスタル構造は繋がり共振した。彼らの心と体はひとりひとりが全てにつながる大切な魂の核となって、総体として宇宙の無尽蔵のフィールドの力を呼び寄せる為のグリッドの、巨大な魂の共鳴のためのコアとなっていった。

 彼らは、目に見えぬ光の結晶構造を体軸上の第3の目で常に感じ取り、日に何度もその神聖な場に加わり、皆の心を合わせることで地球を取り巻く大きなエネルギーのグリッドを共振させた。幼いころからの潜在意識の教育を通じ、万物の創生的な存在を感知し、崇めていた。そこから降り注ぐインスピレーション、母なる地球上の多様な生命の共存共栄の為の、エネルギーの分与の壮大なブループリントを、皆の魂の真、善、美の自然の合意によりにより築き上げることができた。

 

 宇宙の創生的な秩序こそが、彼らの崇めるべき対象であり、彼らはその延長線上に、精神的・知的進化の加速を指数関数的に遂げ、まさにシンギュラリテイー(進化が無限大に伸びる特異点)の頂点に達しようとしていた。そして愛に導かれた光の意識は、遠く善意なる創世の法則の支配する宇宙を旅した・・。

 

 ・・だが長い歴史を経たある頃、その誇るべき精神文明は、何かの理由で、忽然と地球上から消滅してしまう。

 

何の痕跡も残さず、地球誕生以来の文明の進化の歴史の道筋は、その空白のエポックを超えて、そのまま進化途上の、精神的にも未熟な、現代文明の人類に繋がる種へと手渡されていった。 そして生物的な自然の淘汰を経て、様々な不完全さと矛盾を残したまま、今日にまで至っている。

 だが、初期の英知を受け継いだ彼らの祖先は争いを避け、聖なる祈りで、平和哩に秩序を保つ心はその後数万年、この暖かな海流に恵まれた環状の島々の海の民は忘れることをしなかった。彼らは、西の山岳の地に向かい、また今のアラスカの経路で北米大陸から南へ、あるいは芦の船で赤道近くの海流に乗り、今の南米大陸にまで1年ほどをかけて旅立っていった。その遺物の痕跡や共通する遺伝子構造を現地の住民の中に残しているという。氷河時代が終わり、比較的浅瀬で島々の海の幸や海洋交易をしてきたその海の民も、やがて陸や多くの島々が海底に沈み始めると、当時は山岳地だった南北に細長い海に囲まれた列島の中にその末裔は移り住んだという。

 

 ・・今の人類の祖先は、ある時期から彼らとはまったく様相の異なる物質文明の道をたどり、さらに今から何十年かの後に、人工知能やロボット、ナノテク、遺伝子操作技術などが統合されミクロ化されて、人間の身体や脳と結合されていくだろう。 ゆくゆくは非生物主導の管理・監視のもと驚異的な進化を遂げることになるのかもしれない。 だが、その加速度的な道筋は似ているようで、あの幻の精神文明とは実はかけ離れた不均衡な到達点へと向かっている・・。欲にまみれた人為が生み出した遺伝子操作と供給側の独占で、人類の生活基盤と社会構造がゆがみ、自然生態系の連鎖は断ち切られ、地球上の目に見えぬ共生の輪が崩れていき、この先様々な天変地異が起こるだろう。

 忘れられたあの時代、その豊かな先史的な文明がどうして跡形もなく消え去ったのか・・。この先の人類の未来にその答えがあるのかもしれない。

 

 彼らにはわかっていた。その潜在能で・・。 その災厄の予兆を。

様々な偶然が重なって、ある頃、地球をドーム状に覆っていたエネルギーのバリアーに小惑星の衝突によりほんの小さな亀裂が入り、外部からの侵襲の為の時空の窓を作ってしまった。

だが、それは外宇宙から意図的に投げかけられた偶然でもあった。

やがて、亀裂にできた小さな灰色に曇るエネルギーの場に引き付けられるように、宇宙の彼方から、ある別の進化を辿った種族が、この地球を訪れた。

その好戦的な血と魂がいつか混じりあい、徐々に退廃的な空気が地球上を支配する時代が訪れ、人々の心の光は少しずつ霞んでいった。

 

 数万年の外部との融合の後、膨大な無尽蔵のエネルギーの方向を誤って用いる扇動者が現れた。
それ迄は、研ぎ澄まされた人々の純粋な’和’の心が宇宙の原理に沿うように集合し、その力の向かう方向が一致していた。 が、度々その乱れが生じ始め、光のエネルギーは散乱した。 それは日々瞑想する人々の精神の場にまで跳ね返り、ますます負の連鎖を繰り返しては、無秩序のエネルギーの場の滞りが心の中に蓄積するようになっていった。

 

 人々は心の病から遂には肉体の病を訴えるようになっていった。 祖先が崇拝した大宇宙の創生の場からの、インスピレーションによる光の癒しの技も、自然の秩序の幾何学に人々の心の歪んだ構造が適わなくなっていくにつれ、心と宇宙をつなぐ周波数の共振が、負の破壊的な様相を呈するようになり、人々の内なる病の勢いを抑えきれないことが多くなっていった。

 自然界では、やがてその莫大なエネルギーの負の連鎖反応の暴走により、天変地異が頻繁に起こりはじめ、環境の微妙な調和が乱されはじめるとやがて修復不能なカオス状態に陥っていった。

 地球上のエネルギーのグリッドは均衡を失い損傷し、大きな火山の爆発や、小惑星の衝突で、有毒ガスが空を覆い、気候変動で寒冷化してそれまでに進化を遂げたほとんどの生命種が、瞬時に、いとも簡単に絶滅していった。地球誕生以来、過酷な環境にも耐えてきた生命種の進化のバリアーも、母なる地球環境の’先祖返り’には、脆く成すすべも無かった。

 

 そうして、かつて繫栄したその高度な和の精神文明は全てを抱き込んだまま、崩壊し、忘れ去られるように藻屑のように海に飲み込まれた。

 

 奇跡的に防護バリアで生き延びたほんの少数の人々は、地球上のいくつかの大陸の重要な場所に散っていった。なかでも黄金比による地球グリッドのエネルギー・ボルテックスの暴走からま逃れた数少ないエリアの要所に、向った。

そして、そこに巨大な柱(アメノミハシラ)のモニュメントを建て、再び彼らの先進的科学で、自然界の無尽蔵のエネルギーを取り込む広大な幾何学的な配置を有する集積炉を築き上げた。

 宇宙の黄金の数列的配置の中で、やがて地球が浄化され、大きな光のエネルギーの渦で覆われていく理想的な安定した時空構造を、祖先からの伝統的な知恵に基づき、星の配置により計測した。 


 でもそのためには、かつてそうであったように、知的に高度に進化した多くの魂の統合的な力が必要だった。 そこで、未来の子孫の魂を養う為の叡知も、同時に世界各地に秘教的な遺産として残されていくことになった。 かつての文明を伝える賢者の子孫達は、退廃してしまった精神文明のあった場所から遠く海を渡り、西の大陸へ、また東の深い山々に入り、そこにいる素朴な人々に、かつての文明の本質であった’愛と叡知’を伝えていった。この緑の大陸の奥地にいる先住民たちにも・・。 それは、現在の世界の文明とは別の系統の文明に残された叡智であった。 それが今から数万年前だった。

 今は砂や森林に埋もれてしまっている世界中のいくつかの土地で、巨大な石のモニュメントが象徴的に築かれた。それは、網の目のように結ぶ大きな地球のグリッドの聖なる結び目になる場所だった。彼らは、ある魂の開花した者のみが共感できる象徴的な具象をそこに残した。

 

 彼らは願いを子孫に託した。やがて生まれてくる赤子の額の紫の第三の目と、その巨大な石を組みあわせてできた幾何学的な集積路の間に大きなエネルギーの場が幾何学的原理で結びつき、地球上で一斉に、人々に眠る聖なる魂に共鳴して、未知の遺伝子を発現させ、脳のニューロンを結び付け、魂に叡知への火花がひらく日を待った。

 

 地球のグリッドの上に、選ばれた叡智の子孫たちの額の紫の目が輝き、その内なる魂が星々の光との共振により、一挙に幾何学的結晶を結び付けるようにして、この緑の星の上で再び開かれるのを・・。

 

 しかしある頃、”闇と夜”の追っ手が、やっと豊饒な緑を取り戻した大地にもたどり着く。

あの豊かな精神文明の崩壊と同じく、外部からの獰猛な侵略者の末裔達が、この緑の密林にも降り立った。

 やがて、“エゴイズムの生命の樹”を引き継ぎながら、かつての太陽と血の儀式で人々の争いの心をあおり、やがて賢者を通して高い意識に目覚めた人々の間にも争いの不安定な心の輪が広がっていった・・。

 

 蔓延するその邪悪な心性は、物質と欲を求め、生贄を必要とする闇の迷信へと再び人々の心を執着させ、かつての文明の伝承者、顎髭の賢者の伝えようとした唯一、’愛’と’和’に生きるための、純粋な宇宙へ向けての魂の飛翔を忌み嫌った。そして、再びやっと花開こうとしていた気高き文明の萌芽も、おぞましき種族による血の破壊と殺戮が広大な緑の大陸の密林を舞台に繰り広げられていくことになる・・。

 

 あの文明からの叡智を受け継ぐ12人の賢者は、この期を逃すと次は幾万年も先まで星の配置が整うのを待たねばならぬのを知っていた。

 人の体には魂の軸を包む12の霊的生命グリッドがあるという。

この広く丸い地球上にも同様の地脈がグリッド状に12本巡っており、期が熟すると特異な輝きを放ってその要所が光り輝き、特定の固有周波数で共振しあい、エネルギーの窓が宇宙に向け解き放たれるという。

 

 霊的先導者の末裔の魂の灯が、本人も気づかぬまま暗黙裡に各々の聖地に配置されている。やがて幾世代の子孫に、その象徴的叡智がそのまま受け継がれていく。

そしてその来たるべき日を待っている。

 1万年以上の歳月を経た今もなお、かつて偉大な文明によって授けられた叡知の暗号は、クリスタルの紫の目をもつ末裔に秘かに受け継がれ、聖なる場所を訪れる彼らの祈りでいつか天空に向け一斉に光り輝くのを待っている。

 

 12人の賢者たちは、ついには闇の種族との戦いに敗れはて、未来の子孫たちへと望みを託し、筏に乗り再びやってきたと同じ東の海へ去っていったという・・。”

 



 ・・霊的な血脈の歴史が、天空の何ものかに代わり、悠自身の言葉でいま述べられていた。

 いつかの戦禍の中央アメリカで出会った少女アンナ。

彼女に導かれ、ジャングルで見た巨大な石のモニュメントが、今の悠の幻影の中に見え隠れしていた。そこには、少女が幻視していたように、賢者の末裔の魂が確かに宿っていた・・。

悠は、幼いころから親しんできた信州諏訪の実家、八ヶ岳の麓、父・徹が母の由紀の為に建てたというログハウスのことを懐かしく思い描いていた。近くには、縄文の環状集落の跡地があった。そこを訪れると、悠はいつも不思議な懐かしい光景を想い出していた。南米の大陸のかつて栄えた先進文明の地。悠の遠い祖先が海路か陸路で遠い旅の果て、その土地を訪れる。そこで長くとどまり、多くの知恵を授け、愛と平和の争いのない精神的知的文明を築き上げていく・・。そこに、小麦色の肌の黒髪の少女が悲し気に走りゆく・・、そんな微かな頭痛を伴うほろ苦い遠い幻視にいつも涙していた。

 

 

  悠の言葉が終わると、美奈はひとり大きく胸で息をした。 そしてそっと悠の手をとると目を閉じた。

” ・・貴方が見える。・・緑の泉。蒼い森。その先に紫の花咲き乱れる石造りの神殿。大理石の頂きから天に向け光が伸びている。私とあなたの額の宝石も紫に輝いてその光と一つになっているわ。 ・・宮殿の大理石の輝きの中、黄金の太陽の炎に燃える貴方の小麦色の肌に滴る一筋の汗。 貴方に結びつく私の身体は何故か銀色の月の炎。
・・私の頬を伝うあのひとしずくの涙は何故?

 嬉しく狂おしくもあり、限りなく辛く寂しい・・。天空の星の輝き。懐かしい星からの叡知の響きが聞こえてくる。何もかもが宇宙の中では一つ。私達はこの無限の恵みの中、何を奪い合うことも何も憎みあうことも無い。幸せな慈しみの愛が人々を包んでいく。喜びと感謝の心は宇宙の光をより強く呼び寄せて、額の宝石を強く輝かせる。人々に病は無く、心の中で優しい会話が出来る。天の無限の恵み。美しい天空の光。星降る幻想的な夜・・。宇宙には私達を包む無限の真空の恵みが存在しているわ。分け隔てなく人々をいつくしみ、優しい愛が人々の間には共有されている。


 何も飾り立てる言葉も物も要らない、虹色の世界・・。貴方を愛することで悠久の宇宙の慈しみの愛につながっていく。
自然は、植物は、動物達は、皆、宇宙の秩序の中で共感し微笑みあっている・・。でも、ああ・・。
                      

      
                       



  黒い影、冷たい足音。・・いや! 幸福な緑の叡知の泉が横暴な血に飢えた侵略者に蹂躙されていく。・・人々の泣き叫ぶ声。悲しい・・。聖なる愛の泉はいけにえの血の色に染まる。ほのかな恋の炎、暖め築いた二人だけの虹色の幸福が、何故かくも無残に引き裂かれねばならないの。

 夜と闇の獣たち。彼らは自分達こそ神に選ばれたものだと思っている。人間の尊厳を失った血に飢えた獰猛な操り人形たち。・・貪欲で汚らわしい手で私達のささやかな幸せの炎を奪い去っていく。黄金、銀、宝石、何でもみなあげるわ。・・でもお願いだから、私達の誇りあるこの叡知の魂の紫の宝石の炎だけは、その穢れた手でかき乱さないで・・。”



 悠は美奈の傍らに座り、顔を青ざめ幻の影に怯える女の身体を抱きしめ女の髪に頬を寄せた。薔薇の香りが漂い、同じ幻影が悠の中にも見えていた。腕にジャガーの刺青の或る若者は戦い傷つき、地に伏せられ、心臓の上には今にも黒い血の侵略者の剣が振り下ろされようとしている。その向こうには愛する女が連れ去られていく・・。

 突然猛烈な胸の痛が悠を襲った。目が眩み、抱き寄せた美奈の体の温もりを残したまま記憶が途切れた・・。

気がつくと美奈が心配そうに身を寄せて自分の手を握っていた。
マスターの顔も見えた。控え室のソファのようだった。

” ・・大丈夫かい、悠ちゃん。心配したよ。少し休んでいきな。
美奈がついている。” そういうと、マスターは安心したように微笑んで出て行った。

美奈は抱きついて悠の唇にキスをした。
夢の中で去っていった切なく温かな女と同じ胸の余韻だった。

” 気がついてよかった。
・・貴方と私、同じ記憶の中を彷徨っていたのね。 

ママの言い残した、魂の故郷・・。”

 美奈は男に涙に濡れた熱い頬を摺り寄せた。髪はいつかと同じ薔薇の香りがした。

女は目を閉じた。睫毛が愛らしい。冷えた悠の心が美奈の温かみで満たされていった。

頬を寄せ、髪を撫でてやりながら悠は、この時空を超えた献身的な愛に浸て震える女を不憫に思った。悠は次に行く取材の危険を予感していた。その前にこの女の心の故里を一緒に訪ねてやりたかった。南米は自分の過去の時代のふるさとのようだった。ほのかな遠い叡知の時代の記憶・・。
チリの政治的暴動の中で傷つき別れていった女医マリアとの日々の記憶もまだ生々しかった・・。


色あせた遠き追憶の影
愛と残酷はいつの日も隣り合わせ

度重ねた永劫の喪失の記憶に
デジャビュの淡い物語が又一つ生まれる


 ・・・

                       


 悠は、美奈を連れて八ヶ岳の家を訪れた。住む人もなく今は、あの数々の思い出を刻み付けた懐かしい家も、雪に埋もれ哀れな廃屋になりかけていた。そして、あの古代環状集落の遺跡にも美奈を歩いて連れて行った。自分自身と悠、そしてこの場所を繋ぐ幻の中で、長い時間、美奈は黙ったままひとり魂をさ迷わせているようであった。いつの間にか西の空に陽が沈み、草原の真上、銀河の星空が広い天空を覆っている。悠は、自分のコートを美奈の細い背にかけ、そっと肩を抱きしめていた。

 数日後、悠は美奈と二人、リオデジャネイロ行きのVARIG Air Lineの機上にいた。

美奈はブラウンの小さめのサングラスを掛けていた。そのグラスは情熱的な瞳をその奥に連想させ、ラテン系の堀の深い小さな女の顔に美しく仕上げていた。白いスーツの胸元にはプラチナの細めの鎖に蒼い光沢のある小さな彫り物がかかっている。軽く悠の腕を抱き、窓から黄金色の雲海をじっと見つめている。長い睫毛がグラスから覗いている。

 ・・もう十何年も前に、マリアと乗った南米行きの航空便で感じた、同じラテンの躍動感を期待させる温かな雰囲気が機内には漂っていた。 懐かしい解放の香りだった。悠の横で美奈は嬉しそうだった。・・