Emina' 1941


         東欧の霧のなかで
 

 



 1941年、もうひとりのエミーナは、灰色の空に隔絶された高い赤煉瓦の塀の中、板敷きの粗末な寝台の上で悪い咳をしながら、虚ろな亡者の目で宙を見やっていた。熱い涙を流すには血も心も枯れ果てていた。

別棟に収容されていた夫ジャンが、昨夜伝染病で死んでそのまま焼却されたと収監に知らされていた。

 

 パリから南フランスへの辛く永いふたりだけの命の道筋。 愛する娘との別離。

 幸せだった白く淡いアトリエの日々の記憶。サンジェルマンのカフェでの出会い・・。

 想いは冷え切ったエミーナの身体の中を、走馬灯のように遡っていった。

 冷たい粗末な寝台の上で、こうして過去の温かい日々を回想することだけで女は幸せだった。今はもう、苦楽を伴にした夫を失い、自分の身もこのままいつ朽ち果ててもよいと思った。

 

 戦況の悪化で物資の輸送路が断たれ、人々は半ば生きる屍のようになって、いつ来るとも知れぬ死と隣りあわせでいた。

 氷点下での過酷な肉体労働の後の、一杯の冷え切った泥水のようなスープに、人間の本能は残された命の灯火を委ねていた。

 閉塞的な孤独と恐怖から精神を病み、或いは感染症の病に伏せてそのままどこかに連れ去られたまま戻ってこない者もいた。 人は飢えによりやがて無力になり、今あるすべてに無関心になっていった。

 飢えと寒さでは死ぬことすら許されず、今や人は漫然と身と心の苦痛の日々を繰り返すことをただ強いられるだけだった。 黙々と労働し、飢えたまま寒々と冷え切った一枚の板の寝台の上に身を寄せて暖をとり、丸くなって眠るという日々を、来る日も来る日も繰り返した。

 自分の隣の板の上に昨日居た誰かが今日はいなくなり、次にまた誰かが来てそこを埋めた。

 

このまま永遠に続くであろう、苦しむだけのこの単調な日々の繰り返しの中、人は人であることの尊厳を忘れ、地に居並ぶ石のように、番号の付された寡黙な灰色の骸骨と化していった。

 この悪い夢を断つにはあの‘夜の霧’のうすもやの中の恐怖に、たった一度だけ自ら進んで身を投じればよかった。

 誰かが自分めがけて発砲するのを待ち、また鉄条網に飛び込んで命を絶つこともできたであろう。

  それだけの勇気がありさえすれば、生きることがもたらす苦しみの全てが終わる。

 

 時として人は詩をそらんじ、悲しげな歌のフレーズを暗闇の中で詠った。

ある者はその響きに生をはかなみ、ある者は明日の生への微かな希望をそこに見い出そうとした。

 過去の喜びや、今おかれた悲しみに浸ること、絶望の淵に己の魂を晒すこと、そんなあまりに人間らしい心の発露すら、やがて死へと人を導いていった。 この生き地獄の未来を知るのは神のみであった。 身も心も灰色のまま、ものに動じず無駄な負荷を心身からできるだけ取り除くことが、微かな命の炎を明日につなぐ唯一の方法であることを、本能は教えていた。

 死の平安より、あえて生の苦痛のその遥かな先にある微かな灯に何かを託したければ、今は灰色の骸骨に徹するほかなかった。 ただ、生き延びるか否かのその選択権は、人々にはなかった。 
 人は暗黙のうちにそれを知り、或る者は死に急ぎ、或る者はあての無い一片の微かな生の望みに生きた。 たった一枚の塀の外の別世界に生きている者たちは、鉄格子のその内側に煙るこの広大な場所のことを単に、‘夜の霧’と呼んでいた。

 

 この一枚の”塀”の向こうの、のどかな田園が広がる世界に、エミーナはかつて幸福な幼少期をすごしたことがあった。収容所のあるオシベンティムから程なく離れたクラクフの郊外の村だった。

 街にはカトリック聖堂が多くあり、子供の頃と同じあの鐘の響きが、この塀の中にまでも遠くかすかに聞こえてくることがあった。

 両親と日曜にはミサに行き、数多くの蝋燭の灯される中、薄暗い静かな堂内に、何世紀もの間人々に慈愛の微笑をたたえてきた聖母の像があるのを覚えていた。

 幼いエミーナは聖堂の中で、聖母様とよく内緒のお話をしていた。 いつも微笑んで、どんな幼くて拙い少女の問いかけにも優しく答えてくれていた。

 塀の中で、今もふとその時の聖なる微笑を、炎の消えかかった心に、温かく蘇らせることがあった。 でも何故かあまりの寒さで途切れさせられるわずかな眠りの中でみえる聖女の微笑みは、血の涙の中にあり、差し出された白く細い指は冷たく、何も指し示してはくれなかった。

現れては消えていく聖母の蝋燭の明かりにゆれる黒い瞳は、ただあの頃のようにエミーナをじっと見つめ、耐え忍ぶことのみを訴えているようだった・・。

 宿舎の窓から見上げる空には、時として満天の星空が冷た瞬くことがあった。

エミーナは、そこに聖母の目に浮かぶ微かな希望への涙を見た気がしていた。

                                        



 昔、シーシュポスという若者が神からたった一つの試練を与えられた。
重い巨石を肩に担いで高き峰の頂までやっとのことで担ぎ上げる。

 ただしその頂きは鋭利に切り立ち、肩からおろした巨石はそのまま向こうの谷底へと転がり落ちていく。 若者はそれを見すごし、谷底に降りて又それを担ぎあげ、休むことなく高き頂を目指す。 若者に許されるのは、永遠に続くこの不条理を受け入れること、、。

 巨石に肉体がきしむ、でも腕を休めれば希望無き明日の苦しみが若者の心を襲う。

 何も考えず黙々と肉が裂け命果てるまでそれを続けること。 

 それだけが、生の不条理を解くために天が若者に用意した答えだった・・。


淡くなる意識の中、とぎれとぎれ、エミーナの中で若き日のパリでの思い出が巡っていた。
東欧の夜の霧の中、苦しみの海に浮かぶ小さな命の灯火は、神の気まぐれのみに託されていた。