EMINA  時を越えた4つの絵物語           ふたりのエミーナ

 

 

 

  

 悠の驚いた声に、隣に座ってブルーイタリアンのコーヒーカップを手にしていた婦人が、エミーナにそっと目をやった。
そして、悠の目がじっと釘付けになっている裸婦像を見ると、

" ・・綺麗ね。 とても素敵よ。

 目の前の貴方と同じくらい生き生きとしている。 ・・とても魂のこもった作品ね。"

 と微笑んでエミーナにそっと小声で耳打ちした。

 エミーナは頬を赤らめた。
 "悠ったら、・・恥かしいわ。"

 薄暗いカフェの天井に煙草の煙が舞い上がっていた。
淡いライトが天井からそこにある何枚かの絵に光を放っていた。

永劫の時間の中で、歴史は循環し、繰り返す。ゆえに深い重層的な経験的な重みを込めて今の時間が存在する。悠の中で、’デジャビュ’の記憶が再現していた・・。

 悠は“キュビータ”のエスプレッソ。 エミーナはいつかのミントのハーブテイー。

 一口啜ると、大きく息を吸って、昨夜のホテルの話の続きを始めた。

 少し曇った表情になっていた。

それは、絵の中に描写された女性の心の翳をそのまま投影するようだった

 ” ・・あの時代、みな必死に生きようとしていた。
生の不条理が、いつの間にか背後から空を覆う暗雲のように取り巻いている。

悪魔の邪悪な罠に足を絡み取られ、一瞬にしてささやかな幸福を奪い取られないようにね・・。

 'Cafe Passaje'  このカフェはアトリエの頃は白かったの。

 ここで画家の祖父と出会い結ばれた。
 祖母は白が好きだったみたい。 

 幼い娘リザの記憶の中には真っ白なアトリエに、様々な色の絵の具でカンバスに向かって父親がパレットを持つ姿が残っていた。

愛する娘を膝に抱いて、母親は穏やかに、傍で絵を描く夫を見守っていたそうよ。

 ゆっくりと濃密な時が流れる、幸福な時代の家族の思い出・・。

 

 私の祖母はポーランドで生まれ育ったの。 やがて思春期になりひとりフランスに渡り、パリ大学に通った。彼女の残した日誌には、その頃の出来事がつづられていた。

今でもそうみたいだけど、当時静かなアトリエだったこの家にも、サロンのように色々な芸術仲間が集まってきては、夜遅くまで文学、哲学、政治論議が続いた。 ドイツからの亡命作家や東欧のフォトジャーナリストもいたよう。彼らはパリで、本国に向け反体制的な内容の雑誌を発行して、当地に逃れてきていた亡命作家の仲間内に配布していた。彼らの不安と孤独を払拭し、明日への希望をそこに託していた。でも、やがてそれらも時代の政治的圧力で廃刊され、彼らは安ホテルを泊まり歩き、アパルトマンの屋根裏で、ひっそりと貧困の中に紛れ込み、身をひそめるようにして、自分たちの居場所を、言わば’消し去って’いた。

 ほら、レマルクの小説’凱旋門’のなかで、ドイツの亡命医者ラビックが、そうしていたようにね・・。

彼らにとり、パリは既に安住の地ではなくなっていた。作家たちは、異言語世界で創作活動の場を奪われるなか、唯一、仲間との情報と交流を得られたのが、サロンと呼ばれる彼らの理解者のいるこうしたアトリエや、街のカフェという場だった。

 

 当時では珍しいけど、そんな訪問者のうちの一人に、ある日本人がいてね。彼は六区のサンシュルビス教会の傍のアパルトマンにひとり住んでいて、パリ大学の研究者だった。

ノルマリアン(高等師範出身)のインテリで芸術家の祖父は、同世代のその日本人とは懇意にしていたらしく、ジャポニズム日本の伝統芸術や歴史文化を彼から教わり、自分の創作につながる多くの詩的インスピレーションを得ていたそう。

 祖父は週に何度か、丘を降りてメトロでセーヌ左岸 サンジェルマン・デ・プレの’カフェ・ド・フロール’に出向いた。テラスのいつもの決まった席でコーヒー片手に書物を読みふけるこの東洋の紳士を見つけ出す。さっそく彼の肩をたたき、’・・Ca va,Yuichi? ’

何かの冗談を言って、隣の席に座ると、顔なじみのギャルソンに自分のコーヒーを頼む。

慎み深く知的な壮年のギャルソンを交え、先ずは挨拶代わりにエスプリ(才気)に富む短い会話を楽しむ。そして夕闇にガス灯のオレンジの灯が互いの顔を照らし出すまで、ふたりはテーブルを前に芸術論に花を咲かせた。店の常連の作家や芸術家が現れると、敬意を払い微笑み軽く目で挨拶する。

そして時として美女を眺めては品定めをし、洒落た隠喩でその貴人たちを詩的オブラートで装飾してみる。

 

 '・・’通り過ぎるひとりの女性’、目を閉じた僕の幻の中に、ほんの少し裾を上げる彼女の本能的な美の奔出のしぐさを、永遠に焼き付ける。

 たった今、目の前を通り過ぎた、見ず知らずの女性。二度とは留めおくことのできぬ運命にあるあの美しい妖精を、僕は一瞬の淡い恋心を弄びながら、まるでベルエポックのあの絵画のごとく瞼の裏に永遠に刷り込むのさ。’

 ’・・あの誇らしげな美しい表情。 愛すべき、今にも背に羽が現れそうな、白いヴィーナスのように僕には見える・・、どうだい?’ とジャン。

 

 ’・・ほんとうに’女神であり、不死の女’であればね、まさに永遠に愛されるべきだろう・・。

・・短い夏の美しい輝き。いま目の前に咲き薫る花の仮の姿に、時が止まったかのように僕たちは幻惑されているのさ・・。’と、ユウイチ。

ジャンは、ハハッと笑って、

’ そうさ、ムッシュ・エトランジェ(異邦人君)。

君の言う通りだ。 彼女たちは、ヴォードレールの謳った”パリの憂鬱”さ・・。’

こんな会話が二人の間で際限もなく続いたそう・・。”

 そういうと、エミーナは、いたずら気に悠に微笑んだ。

 

・・実のところ、このカフェ・フロールのテラスでは、その後二人の間で、こんなやり取りが続いていた。

 

” ・・異性は互いを求めあう。が、得ようとして得た後の男女ほど惨めなものはない。

君たちの理想とする、清貧なプラトニックな愛などは、僕にはまやかしだ。

やがて自由を放棄し、互いを縛りあうことになるのは目に見えている。

’あなたの瞳は秋の空・・’ 青く、寂寞としたパリの空の下での男女の生き様。

君の街モンマルトルは、貧困から抜け出した、悩み多き女シュザンヌが恋と芸術の坂道を転げながらも逞しく彷徨する場所だ。いつか君と行ったフレデ親爺の店’ラバン・アジル’。

自分の描いた絵で酒代を払い、客から笑われ邪険にされては、ひとりくだを巻いていたシュザンヌの私生児ユトリロ。

 狂気と孤独のさなか、空虚の中に一片の神聖さが彼の絵には漂う。静かな道の先、遠くにけぶるサクラクレールのドームは何処までも白く純潔だ。現生に生まれついた不幸。誰にも理解されぬ母の不幸は、その対極にやはり人には知られない子の不幸を醸成する。だが、それを糧として、微かなインスピレーションの灯をやがて見出していくだろう・・。それが、人の心に突き刺さる’芸術’というものなのかもしれない・・。

 

 ところで、日本の深川という場所に、’Geisya’の街がある。彼女たちの艶なる’媚態’(びたい)には、近づきたくても決して合一できぬ、ある種気品と緊張に満ちた’間’(距離)がある。あの女たちのもつ’あだっぽさ、つややかな笑顔’にまで至るには、限りない’真摯な熱い涙’が流されている。それ故にこそ、彼女らの持つ空気は、どこか高尚でより洗練されたものになる。

 それを、日本では’粋(いき)’という。西洋には、そんな遊び心がない。ヘンリーミラーやベンヤミンの文や、ブラッサイの写真には、パリの貧困の象徴として、彼女らの住む巣窟が映し出されている。西洋の娼婦は、退廃の世相を象徴するように、精神を置き去った肉欲の対象でしかない。故に彼女たちは世間の隅に追いやられ、さげすまれる。

だが、日本では’Geiko(芸妓)’は、香ぐわしく外ににじみ出る’媚態’に、武士道の’意気地’そしてうつりゆくものへの’諦め’を秘めている。故に、彼女らの命でもある’舞’や’唄い’に言葉にならぬ切実ともいえる’艶’が美しく表現されるのさ・・。

人の’心’の流転、移ろいやすさを彼女たちは知り、臆病でなく意気地で突っぱねて見せる。受容と別離の辛さを、熱い涙で知り尽くしている。燃える如く、真摯であればあるほど、その’諦め’はさっぱりと、そして秘めたものでなければならない・・。西洋的な合一的なサデイステイックな’征服’とマゾヒステイックな’被征服’の関係でなく、一体化しえないある緊張関係の下での見えぬ絆と高貴な敬意と誇り、美しさを伴った心情だ。”

 

ジャンが、尋ねる。

”・・ユウイチ、君自身の心が若かりし頃のそれを、まるで回想して語っているかのようだ。・・それは、限りなく現実に近い、仮の世の、美しい恋の劇場のようだね。愛する思いに、永遠はないのだろうか。”

 

ユウイチが微かに微笑んで答える。

”・・古い時代の日本の方丈記という随想に、こんな一節がある。

’ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・’。

 

きらきらと輝くセーヌの流れに、人はひと時の青春の美を謳いたがる。

新しい春がj来ると、櫻花がまるで一瞬の生を全うするかのように咲き誇り、やがて散っていく。我々日本人は、その一瞬の命の輝きに心を奪われる。

 ・・だが実は、時は螺旋のごとく永遠に繰り返されるものだ。 我々はその悠久の流れの中で、ひとり取り残されるように立ち止まり、大樹に年輪を刻印するかのように現生で年老いてゆく・・。 それ故に、永遠の愛や美を、その有限の視界に刻み付けようとする。それが、限りある命を持つ人の儚(はかな)い美への憧れ、孤独と諦め、そして女たちの粋な抒情なのさ・・。” 

 

 エミーナが、往き去りし日の夢から戻るようにしてかたり始める。

” ・・ふたりから少し離れたテラスの片隅の席は、パリの寡黙な哲学者の仕事場。 或いは時として思索の網をかき乱し、それらに割り込む騒がしい映画人たちの独擅場となったりもするの。

名も知られぬ未来の著名人が、天才をここで密かに閃かせている。

カフェは、人生に微かに彩を添えてくれるそれぞれの自由な’インスパイア’の場でもあったわ。

 

 その場所で祖父は、紳士から日本人の心に眠る美学のことえお教えられ、さらに伝統芸能の’能’の物語や謡いの書を、フランス語に翻訳してもらったそう。

 紳士は、自分自身の人生を、そして生きとし生きるものの命を、’無常’(うつろいゆくもの)として、能のなかの物語に託して蘇らせ、祖父の前で語った・・。

 

能の舞台は、この世とあの世をつなぐ’Ameno Ukihasi’天の浮橋’。僧が人生の旅の途上、いにしえの時代の情念の名残にふれ、それを夢枕の物語として語り上げる。

生々流転の儚(はかな)さは夢のごとく、やがて愛の喜びと喪失の哀しみ・痛みも時とともに遠のき、美しき記憶として結晶化していく。そして、なおもひとは永劫の魂の中に生き続ける・・。

'sik isoku ze kuu'’色即是空’、現生の儚(はかな)さ。・・目の前に現れる有限な’Mai’舞’にすべての情念の表出を託し、ひとは’Ku’(空)の無限世界をさ迷う・・。

 

 祖父は、若い妻に’YUGEN(幽玄)’、’AWARE(あわれ)’の美学を語って聞かせた。

妻は、東洋のその’散りゆく桜’の文化にとても魅かれていたよう・・。

 

 紳士は、随分前に離婚していて独り身だった。ある日、フランス人の妻との間にできた娘、当時女学生だったジュリアを連れて来て祖父に紹介し、一緒に食事を楽しんだの。カフェでの談話に、娘もそれから時々加わる様になった。

そして、しばらくして、彼女に伴われてやってきた東欧系の若い女性がいた。その透き通るような美しさと落ち着いた物腰に、祖父は初対面で魅了された。それが若き日の私の祖母・・。

祖父とは二十も年が離れていたけれど、すっかり彼女の美しさと聡明さに心を奪われ、二人きりで会うことになる。彼女の少し翳のある落ち着いた語り口、豊かな教養と祖父の芸術への理解が、カフェでのふたりの会話を盛り上げた。やがて穏やかに愛が育まれ、ふたりは結ばれることになる。ジャンは、魂の永遠の美を放ち、女神のようなその女性を自分自身の伴侶としたかった。例え、若く美しき偶像の花も、肉体に留まる自分の前から散りゆく時がいつか来るのを覚悟せねばなかったが・・。

 それに互い違うように、親友のその日本人紳士は、打ち明けられぬ何かの事情で、当時のアメリカ人たちがそうであったように、ひとりパリを離れ、自分の故国へと戻っていった。

祖父は孤独を隠したその背を黙って見送ったそう・・。

 

 一昔前には、スペイン戦争に国際義勇兵として参加したあと、居心地がよくてパリにそのままとどまったアメリカの作家の卵たちが多くいた。祖父はまだ独身の頃だけど、後ほど’失われた世代’と称される、個性豊かで一風変わったそんな米国の青年たちとも交流があったみたい。20年から恐慌前30年にいかけての古き良き時代。ヘンリー・ミラー、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、そしてアイルランドのジェイムス・ジョイス。今となっては有名な文豪詩人・芸術家たちが、パリのモンマルトル、モンパルナス、サンジェルマン・デプレ近くのアパートマンやホテルに住み着き、カフェやサロンに日がな集っていた。

 でも、投機でひと財産築き、湯水のように散在してパリのカフェで陽気に騒ぎ、キャバレーで遊び惚けていた他のアメリカ人たちも、29年の大暴落をきっかけに、すっかりおとなしくなって皆自分の国に帰っていったそう。

彼らが去ったあとのパリは、乱痴気騒ぎから覚め、どこかまともで静かな少し古いむかしの雰囲気が戻っていた。でも、その時代の華やかさに生きてきた前衛的な文筆家や絵描き仲間たちも、やがて、次の戦争の不穏な空気が漂うなか、一人また一人と、モンマルトルのこのアトリエには姿を見せなくなっていた。

そして遂にナチス・ドイツが、パリのエトワールの凱旋門をくぐる日が来る。

・・その先は、恐怖と暗黒のパリ。 夜ごと、兵士たちが突如どこかのアパルトマンに押し入り、一晩のうちに何人もが検挙され、どこかに連れ去られていった。夜中の石畳に遠くから銃声が響いていた。祖父のアトリエには、かつて多くのドイツの亡命作家、ジャーナリストやコミュニスト活動家、尖鋭的な芸術家たちが入れ替わり訪れていた。祖父は政治や、イデオロギーには比較的中道で寛容だった。訪れるものは拒まなかった。

だから、やがていつか秘密警察がやって来ることを覚悟しなければならなかったわ。夫婦は遂に身に危険を感じ、パリのこのアトリエを離れることにしたの。そして、愛する幼い娘は、自分たちに危害が及んだ時のことを考え、信頼できる人に託すことにしたの。

辛く、後ろ髪を引かれる思いだったと思う・・。 ”




                   


   回想  両親の足取りを追ってー


 
 “ 娘を連れ出してくれたウクライナ人の若者が、パリを離れ、その後長い道のりを経て拘束されずに無事国境を越え北方に向かったことをも、両親は結局最後まで確認できなかった・・。”


”その女の子が・・、君のお母さんかい?”

 悠は、ふっと大きくため息をついた。

少し震える指でラクダの煙草を一本を抜き出し、口にくわえて火をつけた。

前の旅で、このカフェの近くで手に入れたオイル・ライターだった。


” ・・ええ、 母は’リサ’という名。 そして、その若者が私の愛する父ユージン。

幼いリサは涙を浮かべて、愛する両親から引き離されていったの・・。

 それからしばらくして、ある夜遅く、パリの懐かしいアトリエを残して、画家の祖父と妻の南に向けての逃亡生活が始まった。 長くてつらい道のり・・。”


 そんな時代の夫婦の思い出深い白いアトリエが、今は様々な人の集う白いモダンなカフェになっていた。

悠は煙草の火を灰皿にゆっくり擦ると、エミーナを見て、壁の裸婦像へとゆっくりと視線を移した。まるで生きているようで美しい、でもその中でどこかルネッサンスの聖女画のような清逸さを周囲にはなっていた。その絵は20年数前にもやはりそこに掛けてあって、悠の両親もそれに惹かれて、たびたびこの白いカフェを訪れ、その席で二人の時を過ごしていた。きっとカフェの内装は色とりどりに時代を経るごとに少しづつ変わってきたんだろう。でも、その大きな壁掛けの絵だけはエミーナとリサの希望なんだろう、窓の外からうかがえるその席の壁に、ずっと当初のまま掛けてあるようだった。

 ”すぐそこまで、追手が近づいていた。パリの近隣の家々からは疑わしい家族やレジスランスと思しき人々は、次から次へと検挙されていったわ。

妻の身元がおそらく明らかになりこのパリの家には、もうふたりはいられなかった。娘と三人、ささやかで幸せな日々を過ごした、懐かしい我が家をふたりは後にした。”

 

 

  逃避行  南へ
 

” エクスアンプロバンスからマルセーユ・・。人目を避け、夫のシトロエンで夜の漆黒を縫うようにして、やっとの思いで南へと逃げ延びたの。 

戦乱のさなか、まだ、そこは暖かな気候で、人も信頼できそうでやさしかった。

 海岸線に、ピンクの花が咲き乱れ、遠くから潮の微かな香りをそよ風に乗せて、ゆったりと波の打ち寄せる音がふたりには心地よかった。

 あの凱旋門の小説にも、ラビックとジョアンがパリを離れ、南フランスで過ごすシーンがあるわ・・。

きっと、人の心を不安で覆いつくすパリの灰色の空から、南フランスの真っ青な空に、美しく香しく咲き誇る花々、永遠な自由の地へと延びる海に、ふたりは希望を託したんだと思う。 平和な時にはごく当たり前だった素朴な家族の幸せに浸り、ひと時心をいやすことができたんだわ。


 人目に付きにくい、少しは落ち着ける場所を村人の協力で住居にして、二人は長い過酷な旅で傷ついた心を休め、そして周りの人々に感謝した。

 そこは真っ青な空と海のある、緑豊かな村の端にある、高台の岩に隠れた白い小さな石造りの家だった。
 恐ろしい魔の手から身を隠すことのできるふたりにとり心休まるほんのしばらくの日々だったわ・・。”

 


  晩夏


” 祖父は、何か月かぶりかに絵筆をとったの。  あのパリの日々の様に。

そして妻を抱擁すると、長い逃避行で、すっかり痩せて衰弱していたけど、大理石のようにつややかで美しさが際立っていた目の前の妻の姿を、真っ白い無地のカンバスに、何かに取りつかれるようにして描いたの・・。

 

 天からの導きに輝くように、不思議な光の渦が妻の白い均整の取れた美しい身体のまわりを取り囲んでいた。妻の白き静逸の肉体の中に、悲喜渦巻く情念を注ぎ込む。そこに現れる物言わぬ生命の美・・。生きとし生きるものの朽ちゆく宿命、散りゆく花の’一期一会’の散華の美を、静逸の空間に永劫にじっととどめおくもの・・。

Yuiciから教えられた日本の伝統芸能の’秘する花’の美であった。

 

 祖父は疲れを知らず、妻をじっと見つめ、無言で描きつづけた。

窓の外には太陽が熱く美しく燃え、二人の幸せを急ぎ足で燃焼し尽そうとしているかのようでもあった。

 避けえない宿命が二人を引き裂こうとしているのを、夫ジャンは既に感じ取っていた。

渾身して一週ほどで絵を描き上げると、疲労で憔悴しきった夫はその日、そのまま妻を白いシーツで覆い抱き寄せた。

そして額にそっとキスをすると、寄り添って、ベッドの横の開け放った窓から海に落ちていく南欧の赤い夕陽をいつまでも眺めていた・・。

白いシーツに胸元まで身を包んだ妻は、南の海からそよぐ風に栗色の髪をゆったりとなびかせていた。

 一本の緑のボトルと、ロゼの注がれた粗末で透明なグラスがふたつ、ベッドの枕元にあったそう・・。

 言葉が不自由な祖母は、数冊のノートに夫と共に過ごしたそんな日々を書き綴っていたわ。

でも、あまりにも辛かったのか、その日から後のことには触れていなかった・・。”

 

 悠はカフェの白い壁の所々の木棚に、モスグリーンの何本かのワインボトルが横に積み上げてあるのにふと目をやった。 目の前のエミーナの白く美しい頬は、少し青ざめていた。

  そしてエミーナはそっと息をつくと、そのまま話を続けた。

 

 

   東へと向かう列車 

 

・・マルセイユからの乗船は、ほぼ無理だった。そこで、ピレネー山脈を超え、スペインに逃れ、その先はポルトガルのリスボンから、空路或いは船便でアメリカに向けて亡命することに決めたの。厳しい中、フランス出国と亡命先米国入国のビザは、幸運にも手に入った。そこで、多くの貴重な絵を安値で売り払っていた。  

 

・・でも、そのやっと逃げおおせたスペインとの国境の村で、ふたりが潜んでいた住まいの、信頼していた住人のひとりに密告され、あっけなく二人は追っ手に捕えられたの。
 祖父は大切にしていた妻の何枚かの肖像画のひとつと、売ればお金になりそうな作品を、世話になった村の人たちにあげたの。

 残りは全て’追っ手’に没収された。退廃的で、美術的価値がないと敵方の鑑識眼で判断されたものは庭で焼かれたわ・・。そこには党にも影響力のあるお抱え美術商がいたそう。


 ・・その後、二人の消息は途絶えた。

 行き先のわからない長い貨物列車に乗せられるのを、トランク一つで待つ質素な服装の二人の姿を見たという人もいたらしい・・。”
エミーナのうつ伏せた目を追って、悠はその先の二人の運命を想い描いていた。



    Risa

 

 

 エミーナが悠の耳元で囁くようにしてつづけた。

“ fin de la guer・・ 戦いの終末・・。


 微かにパリでの記憶が残る、あの頃まだ幼子だった娘のリサは、思春期になって
両親の足取りを求めてウクライナのキエフから遠い生まれ故郷パリへと向かった。

 かすかな記憶のモンマルトルの白いアトリエは焼けずに、昔のままだった。

 中は人も住まず、白い壁は煤(すす)びて所々崩れ、荒れたままだったわ。

広い部屋の片隅に、リザの訪問を知った誰かがそっとそこに今置いたような、何故かきれいなままの枠入りの大きな女性の肖像画が一枚、壁に立てかけてあった。リザはそれは記憶の中の母親のやさしい表情だとすぐにわかった。壁に掛けてみた。緑の背景を持つ美しい裸婦像だった。がらんとして煤とほこりにまみれた部屋には、父親の使った白い鉄の錆びたパレットが、一枚片隅に落ちていた。

リサはそれをそっと拾いあげた。ふと見ると、ガラス窓の向こうにエッフェル塔が遠く煙って見えている。手にしたパレットの汚れを布で拭うと、微かに古い時代の画材の匂いがして、幸せな日々の記憶が走馬灯のように巡ってきたそう・・。



 そして、人伝えにリザは一人南へと向かった。身を裂く思いで両親の辛くて苦しい逃避行の痕を追ったの。

 そして遂に、二人が遠い過酷な長い旅、貨物列車に乗せられてたどり着いた東欧のある終着駅の場所まで突き止めた。

・・でも、その後は足取りはまるで空白だった・・。

 

 母は、パリの誰もいない白い家にひとり戻ると、中をきれいにして小さなカフェにした。そして、生活できる程度の収入を得ながら、もとのアトリエの面影をとどめたまま、そこに落ち着くことにした。母の一枚の美しい肖像画を壁に掛けた。何かを知る誰かが、この懐かしい絵を訪ねて来てくれること、そして きっといつか必ず母が戻ることを信じ、いつでも傷ついた母をそっと迎え入れることができるように・・。


 でも、数ある収容所のどこに、あの日送られたのかもわからなかった。

ニュルンベルクの戦争裁判で、非道な戦争犯罪人が裁かれたという記事が、実名入りで西側の新聞にも掲載されたそう。中には牢獄で裁判の前に自殺したという将校や看守がいたらしい。
 母リザは、片っ端から旧連合国側で手に入る資料を取り寄せては調べた。 国にも様々に政情不安定になっていく中で、関係当局に照会してみた。

でも何の具体的な成果が得られないままに何年もが無為に過ぎていった・・。

リサは一人パリで過ごしていたの。アトリエのカフェにかつて通ったことのあるという芸術家が訪ねてきた。人生との数々の無為の葛藤に傷つき、憔悴しきった様子で・・。自分のことは何も語らず、震えた手でリザの前でただコーヒーカップを傾けていた。そしていつまでも壁の一枚の肖像画を放心するように眺めていた。そして ”・・ありがとう、”と、ひとこと言って、ほっと溜息をつくと、どこかに去っていった。彼はそれっきりだった。

 でも、やがてリザのもとに、そんな昔を知るひとたちが一人また二人と訪れる様になっていた。人知れず辛く言葉に表したくないその後の人生を辿った人たち・・。そして少しずつ母の時代のように、若いリザの顔なじみが、この白い家でできていったわ。リザはひとりでももう寂しくはなかった。そして芸術家や文筆家の彼らの援助で、母親と同じパリの学校にも通うことができたの。

この白い家を訪れる、昔を知るひとたちは、あのあどけない娘のリザが母親譲りでとてもきれいになったといって微笑んでいた。そして、あの辛い失われた時代の前の、美しい日々が思い出深いと、感慨深げに言っていたそう・・。”
 

悠は宙のどこかを見つめ、足を組んだまま、Camelの煙草を一服した。
そのまえでエミーナは、額をあげ、悠の目を見た。

 ” ・・それから数年、ポーランドのある収容所から、終戦前に記録が抹消されていた囚人の番号を持っていた女性が、フランス北方で、戦後しばらくしてから現れたの・・。アトリエに来ていたパリ大学のある女性美術教師が、日ごろからリザに気を使い、外務省に勤める夫を通じて情報収集に骨を折ってくれたそう。 父親がやはりパリ大学の学者で、戦前芸術家仲間たちとよくこのアトリエにも通っていたという。 そう、・・むかし祖父Janが親しくしていたあの日本人の紳士。彼女の名はJuria Yuasa、若い頃の祖母をよく知っていたの。その後しばらくして彼女は大学を離れ、外交官の夫と、ユウ、あなたの国 日本に向かったそうよ・・。

 

 終戦末期、しばらくドイツとの国境付近のレジスタンスの元に祖母は保護されていたの。

戦後そこから解放された後、彼女は失踪し、再びそのまま消息が途絶えていた。リザは聞き伝えにその場所に向かった。

そして、国境から数キロ先のある寒村で、瓦礫の中、生きる屍のように目の光をなくし、言葉を失った浮浪者のやせ細った女性を見つけ出した。その頬こけた横顔に、何か心の中に幼い日の温かな記憶を感じ取ったそう。乏しい数限りない情報をも聞き漏らさず、リサはやっとのことで母親を見つけたの・・。

 ‘16911’と番号が焼けどで爛れた腕に薄っすらと掘り込まれていて、白髪で老婆のようにやつれていたらしいわ。

 でも微かに残るその優しい面影は、娘リサにとって美しい昔の母親のままだった。

 やっとの思いで自分を探し当てた娘リサの目の前の成長した姿を見ても、ついにそれと分からなかったそう。

 まだ若かった母リサは、言葉を失いやせ衰えた祖母を、両腕に支え、パリのモンマルトルの家につれて戻った。 きっと昔のままの母娘に戻れると・・。母を知る昔の人々もアトリエを訪ねて来てくれたわ。でも、祖母は、当初、優しく歓迎しながらも、何かの幻影に怯えるようにしていたそう。

でも、それからね、少しずつ記憶を取り戻しては、逆に、辛い時代の想いでに苦しみ、憔悴していく母親の姿を見るに忍びなかった。

 リサはもうこのアトリエは誰かに手放して、母を連れて離れようと決心したの・・。

ちょうどそこを訪れていたある黒装束のいシルクハットのドイツ人の画商が、その頃親身に相談に乗ってくれて、アトリエのカフェを破格の高値で買い取ってくれたそう。

ただし、美しい祖母の絵は、そのままそこに預からせてほしいとの条件を付けて・・。

リサは卒業まで、その画商の援助で残っていた大学の学費を納め、無事パリでの生活を母が戻った生家で終えることができた。

 キエフに移り住んで、もう随分たった。祖母がやっとパリのあのアトリエにもう一度行ってみたいといったの。ふたりはもう人手に渡ったモンマルトルの丘のあの白い家を訪れた。ふたりは肖像画を目の前にして、名残惜しいひと時を、この白いカフェで過ごしていた・・。

 ふと外を見ると、窓の外のテラスにすらりと細い白いセーターの東洋人の女性が涙ぐんでいたの。その向えに、やはり恋人らしい東洋人の青年がいた。青年は何かを語り、女性を穏やかにいたわるように、肩をそっと抱いていた。そのとき、彼女が顔を上げてこちらを振り向いたの。美しい黒い瞳だった。リサはなんだか温かな風が心にそよぐのを感じてふと彼女に微笑んだそう。女性は、微笑みを返してくれた。見ると、笑顔をすっかり忘れていた母が、ふと横で彼女に向かって微笑んでいた。どこか悲し気だったけど、幸せそうだった・・。

ふとそこには、風のそよぎに任せ、桜の花の舞散る儚(はかな)い美しさへの共感が漂っていたよう。

 

 

 

   祖母の想いで

 心の傷から言葉を失い、無言で虚空を見つめる祖母の表情にやっと笑みが浮かび始めたのは、 リサが遠く離れたウクライナのキエフに祖母をつれ帰って随分のちのこと。

地元の青年医師と結ばれて生まれた私が、祖母になついてから・・。

 いつも揺り椅子にやせた身体をもたせかけては、幼い私の髪をなで、黙って窓から広い青空と緑の平原をみつめていた。 冬には、どこまでも白く続く深閑とした無言の雪景色。

雪の白いカンバスの上に、きっと祖母は、古い日々の情景を思い描いていたと思う。

 

 祖母は、もう取り返しのつかぬ重い心の病に冒されていたよう・・。

むかしの思い出を、祖母はひとりノートに書き綴っていたの。でもペンを執らなくなってから、もうずいぶんたっていた。美しい祖母の面影の、インクが微かに香るノートが2冊ほど、・・私の大切な宝。 これがそのうちの一冊よ、悠・・。”

エミーナは、腕に抱いていたフランス・ツール製の黒い紐のかかったモレスキンのノートをゆっくりと差し出した。悠はそれを手に取ると見ていいのかいと、訊ねた。

 エミーナは微かに微笑んだ。

 悠は煙草を灰皿におくと、少しハードな黒の表装で、厚みのあるそのノートブックを紐解いてめくってみた。 昔、リサが学生時代にパリで買って母親に与えたものだった。

懐かしいブルーのインクの香りする文字が、美しい筆体で流れるように書き綴られていた。

でもページを手繰ると、ところどころ震えるようなぎこちない筆跡になっている。

にじんで文字のぼやけたページもあった。 悠は、涙腺が熱くなっていた。

まぎれもない激動の日々を走る様に生き抜いた一人の命の記録がそこには収められていた。

エミーナはわずかに首をかしげ黙ってそれを目で追うと、またゆっくりと話を始めた。
  

”いつか、少し少女に成長した私がフルートで新しい曲を練習し始めた頃のこと・・。

 カッチーニの"アベマリア"という曲だったわ。

私の演奏を聴いて、祖母の揺り椅子がふと止まり、口元に何か囁いたの・・。

 

  初めて私が耳にした祖母の小さなかすれた声・・。

 誰か人の名前だったみたい。それっきり祖母は涙をこぼしたまま、無言になった・・。
 私は、肩をそっと抱いてあげた。 祖母は私の腕の中で涙顔で微笑んでいた。

 きっと辛くても、幸せな頃の一瞬の回想だったんだと思うわ・・。

 祖母の名は・・’Emina’ 。  私は、その愛すべき祖母の名をもらったの。

 ほら、壁に掛けたこの絵は、・・画家だった祖父の描いた、若い頃の妻 Emina の肖像よ。”
 


悠は、眉を細めうつむく少女の肩を優しく抱くと、額にキスをした。

" ありがとう、エミーナ。  大切な話を・・。"

 目の前の煉瓦の壁には、ベールに覆われた栗色の髪の美しい白い天使の裸婦が淡い照明にてらされていた。  今にも命を取り戻して光彩を放ちながら天に飛翔しそうだった。
 そこに描かれた印象的な美しい瞳は、目の前にいるエミーナとやはり瓜二つだった。

誰の目にも、ここにいるエミーナをモデルにして描いたものに思えたに違いない。
 

 カフェの二人の席の背後には、アンニュイなジャズのトランペットの”'枯れ葉”の曲'が流れていた。

”ⅡーⅤーⅠ・・。” 悠は囁いた。

このジャズのコード進行は、潜在的に人の心を不思議な心地良さへと誘う。

悠が練習しては、よくエミーナに聴かせていたギターでも馴染みのものだった。
 この曲の詩は、確かプレベールだった・・。

"思い出しておくれ、伴に幸せに過ごした日々を
あの頃太陽はもっと熱く燃え、
人生はずっと美しかった・・・。”

悠は、その詩の出だしを口ずさんでみた。

" チェット・ベイカーの枯葉ね。 この曲好き。 "

エミーナは、そう囁くと、悠の胸の中でそっと静かに瞼を閉じ、大切な人に自分のつらい心の内を打ち明けた後の、そんな温かな安堵の吐息をもらしていた。

開けた窓の外には、マロニエの葉匂う、真っ青なパリの空に、白い三日月がひと時の幸せに浸る二人を見つめるように小さく浮かんでいた・・。