悠      初恋

                                             

                      

 


  しばらくして旅先で出会った人々に、拙い受験英語で辞書片手に手紙を書いた。
相変わらず、夢見る若者の大学での授業は上の空で、もう半年先の旅の計画を教室の机の上でせっせと練り始めていた。
必然的に夜のアルバイトが必要となり、ヘルメットをかぶり毎夜、道路工事にいそしむことになった。朝は、目覚まし時計が疎ましかった。
でも、時計仕掛けのラジオからのクラシックの調べと朝のすがすがしい太陽の温もりの中で、半分夢心地でいるときの自分自身が一番幸福であった。

寝る子はよく育つ、・・とはよく言ったものであった。
旅の想い出が幻想を交え、若者の夢の中に広がっていった。

 武術家の師匠のところでも、貧しい若者は、修行がてら
よく食事をご馳走になった。暖かい家庭の匂いのする風呂に入り、
寝泊りもした。
 老人には、玲という名の清楚な娘がひとりいた。
20代後半の白い肌の、和服の似合う美しい女性だった。
老人は青年時代の十数年、商取引や武術修行で中国やロシアを歩い
た。若い日に、遊学先でロシアから流れてきていた旧貴族の娘を引き取って暮らし、一時混乱の中で離れ離れになったが、大連で戦後再会した。だが、妻となったその女性をまもなく病で亡くし、その後、小さな一人娘を連れて日本に戻り、この古い日本家屋の屋敷を買い取り、男手一つで育てあげた。・・といっても、時々、旧友の高栁良蔵の妻 彩(あや)が、遠路訪ねて来ては、母親代わりに娘の相談にはなってくれていた。

 玲が成人に達したある頃から、父親は家を空けて旧知を頼って海外に度々出るようになった。娘の気持ちを自立させ、嫁がせるためだった。

でも寂しくとも、一人の父のことを思い、玲は嫁には行きたがらなかった。
悠には、この二人の優しくて微妙な心の機微が伝わってきていた。
 

 高校時代に母を亡くしていた悠には、自分にも増して、父親の辛く孤独な気持ちが良く分かっていた。父と子、男どうしふたり黙って喪失感を分け合っていた。
 悠は無味乾燥な受験勉強にいそしむことで、その辛い心の空白を埋めようとした。父親の徹は、悠が東京の大学に入ると、単身、再度ヨーロッパに勤務に出た。自分の孤独な姿を見せないことも、親の子への気遣いの一つだった。

 屋敷では、時々、和服姿のの玲が縁側で花を美しく生けていた。

広い庭の手水鉢(ちょうずばち)に、筧(かけい)の落ちる音が響く。
ふと目にする物静かな女の、透き通る白いうなじと後れ毛、そして細い指が印象的であった。
 



 そんな悠にふと気づくと、娘は微笑んだ。 潤う朱の唇がそっとささやいた。
”あら、いらっしゃい、悠さん。  お待ちしてました。 ・・さあ、どうぞ。”  
 そういうと、奥の老人の部屋に導いてくれた。先を行く玲の着物からは上品な香の薫りが微かに漂った。悠は娘のこの匂いが好きだった。
 いつか玲が、囲炉裏のある居間で、白い指を軽やかに動かして、悠の為に自分の選んだ碗に茶を立ててくれた。透き通るうなじが薪火の光を受け揺らいでいた。 こんな時の老人は、無言でいても、いつもの武術家の鋭い目つきも穏やかになっていた。


 娘の手料理は質素だが心がこもっていて美味しかった。 母の由紀の温かくて懐かしい味にどこか似ていた。
 悠は高校時代、学校の昼食時間にいつも母の手弁当を開くのが楽しみだった。
半分冷えた弁当箱の中に、精一杯の母の思いやりと温かな愛情を感じていた。
 部活で疲れて夜更かしの苦手だった悠は、いつも夜更けに起きては、ひとり勉強をしていた。母親は信州の氷点下の寒い冬の日も、夜中に起きだしては、悠に温かなコーヒーを入れてくれた。
 “・・頑張るわね。 無理をしないでね、悠。”

 

’僕は大丈夫さ、母さんこそ・・、”

 いつの間にかそんな母親の優しい言葉も聞けなくなってしまい、一人でいる夜が辛くなった。 涙が溢れ、押し殺した嗚咽と伴に、静まり返った夜更けの部屋の冷えた空気の中に染み込んでいくようだった。そんな悲しみの声に、誰も返事はくれなかった。
 ・・それからまだ何年もたっていなかった。

一人で育った悠には味わったことの無い、つつましやかで優しい姉の心の温もりと、微かな憧れらしきものをその清楚な美しい和服姿の娘に募らせていった。



”・・東京暮らしは如何がです。 もうお慣れになりましたか。こちらでは、どうぞ心置きなく・・。
ご不自由なことがあったら何でもおっしゃってください。 わたしにできることなら。
悠さんは・・、これから先、どんな夢をお持ちなのかしら・・。


 父は大陸で一人で歩き回りながら多くの人の縁を得て、故郷の日本に私を連れて戻ってきたの。
武術は父の仮の姿。広い大地、幼い私の知らないところで、幾多の悲しみと苦悩があったみたい・・。亡命ロシア貴族の娘だったという母のことは、私はよくは覚えてはいないけれど、大層美しかったという。幼い頃のその微かな温もりが残っているのみ・・。 でも、母がなくなってから、逞しい父の大きな掌に引かれて大陸の奥地の草原や山々をいつも歩いていた。 行く先々で弱いひとを助け、彼らのために働き、多くの人々から尊敬されたわ。

年老いた今も、あのとおりの人ですけど
私には掛け替えのない素晴らしい父だと思っています。
 

父は、貴方のこと、・・とても可愛いらしいみたい。いつも心待ちにしてます。
悠さんがいらっしゃるといつもご機嫌。あなたの前ではそんな素振りは見せないけど・・。
ふふ、私にも悠さんみたいな弟が欲しかったわ・・。

・・お母様のようには出来ないかもしれないけど、
お食事は私のでよろしかったら、ほんのお口汚しですが、ご遠慮なく。
 悠さんはいつも、父と美味しそうに食べてくださるから嬉しい。
・・きっと奥さんになられる人は幸せね。

広いばかりで殺風景な我が家も、お蔭様でとても明るくなる。

・・ありがとう、悠さん。”

思春期の若い内に母親をなくした悠の気持ちを察し
やはり幼少に母の味を忘れていた年上のその娘は
悠にいつも優しい心遣いをしてくれた。


 


  

  娘はある日、悠を薪能(たきぎのう)の会に誘ってくれたことがあった。
夕刻近く、屋外で篝火を焚き、新緑のまだ寒い夜風の中、能師が背後に並ぶ謡い(うたい)にあわせて舞う。 篝火に照らし出される和服姿の娘の横顔、舞踊の一挙一動を、静かに見据えるその眼差しに、悠は、物言わぬ古えの女性の優美を感じていた。
 玲は、そんな青年の視線に気づいてか気づかずか、舞台をうかがったまま、そっと頬を悠の顔に近づけた。悠の鼻先に微かな女の香の薫りと、髪の触れる感触があった。 娘は柔らかな紅い唇でそっと切り出した。


”・・あれは狂女の舞い。女が手にした笹はそれを示しているの。

そこに遠くから魂が舞い降りて、仕手の体と心に宿り、幻と自らの情念とが入り混じるようにして夢幻の域をさ迷う・・。
 隅田川のほとりで遠く京の都から諸国を巡ってきた一人の女が岸辺で人々に請われ、一片の揺を舞う。 女は芸をたしなむ遊女で、都である貴人との間に男の子をもうけたの。

・・でもその愛する子は人さらいにあい、夫にも先立たれ、女は幼い子を探してひとり舞いを糧として諸国を巡る・・。そして、都から遠く離れた東国の果てにやっとたどり着いたの・・。”
  
”・・我もまたいざ言問はん都鳥、わが思い子は東路にありやなしやと・・”

 仕手の狂女は、笛と鼓に合わせ、面を篝火に揺らがせながら笹の葉を揺らがせて舞っている。炎の揺らぎのせいか、仕手に居ついた物の怪かその表情はある時は険しく、悲しく、或いは一片の希望の光を漂わせているようにも見える。
 数年前に母をなくしていた悠は、子のない物語の中の母の物狂おしいほどの情念を、今この舞の中で感じ取り、涙していた。 
 
 悠は、いつの間にかそっと添えられた暖かな女の掌の温もりを手の甲に感じとると、急いで頬の涙をぬぐった。悠は玲のほうは振り向なかった。

しかしこれまで必死でふさいでいた情念の渦が堰を切ったかのように溢れ出し、とめどなく涙ばかりがあふれた。そっといたわる様な手の掌の温もりと、優しい香りに、悠の忘れたままになっていた心の穴はいつか満たされていた。


やがて岸辺の向こうから念仏を唱える人の声が聞こえてくる・・。
そして暫くの科白のあと、 ”南無阿弥陀仏・・”の地揺(ぢうた)に混じり幼い子供の声が聞こえてくる。
奥から白装束の子方が現れ、やがてはすっと姿を消していく。

″あの男の子はね、梅若丸というの。 女が探していた子よ。
母がここにたどり着く一年前の丁度この日に、都の人買いに連れられこの渡しに来たの。
でも病に倒れ、ここで息を引き取ることになる。そして最後にこう詠ったわ。
 都の足手影も懐かしいので、この路のほとりに埋めて標しに柳を植えてくださいと・・。

そう静かに請い、念仏を四五遍唱え、息が途絶えたの。


 ・・悠さん。
 母と子、いつの時代もこんな硬く狂おしいほどの情愛で結ばれているものなのかもしれないわね。 どちらかが亡くなった後もずっと心の中で生き続けていく・・。
・・淋しいお話だけど。”


 荘厳な謡と笛の響きの中に、光と暗黒を背景として、物語の主人公の魂が溶け込むようにして見え隠れし、女の情念は時空間を越え、いにしえの幽玄の幻の舞の中に、幾たりかの人格の形を伴い漂い続けていた。

悠は、愛と苦しみ、生と死ということの、自分の生きる世での意味を問うていた。、
そしてその合間にも、師の山崎の卓越した武術にも通じそうな、その虚実の意と動作の起こりを、流れるような能師の舞の中にうかがい取っていた。

 老人の無駄のない穏やかな武術の動きは、辛苦に満ちた人の生の物語をすら、その一連の所作の中に、含み尽くしているものなのかも知れない・・。

 能楽堂の帰り、燈明に映える花明りの小道を二人で歩き、喫茶室’椿坊’に立ち寄った。悠は玲を伴い、いつかの席に座った。中庭の花が空の陽を受けて美しく映える。あの日、数席先に山崎老人がいた。こうしてその娘とふたりこうして話が出来るのも不思議な気がした。

“ 無理にお誘いしちゃったかしら・・。
悠さん、何か、辛い気持ちにさせてしまって・・ごめんなさい。”

 悠は、娘の透き通った優しい眼差しにはっとして、頭をふった。

” 父に連れられてふたりでよく薪能は行くのよ。

父はむかし、若い学生の頃、尊敬する先生から、日本の能の内なる心の美学を、フランス語に翻訳することを習ったの・・。無の中に、心の機微を伝えられる大和の言葉って、素敵ね。

私はいつも舞の中で夢を見るようにして物語の登場人物の心を追うの。

時々何かの魂が何処からともなく自分自身の体に宿るように、とめどなく涙が頬を伝うことがあるのよ。

ひとの生の喜びと悲哀があの静かな流れるようなしぐさの中に込められている・・。

 幼くてよくは覚えてないけど、父と大陸を歩いていた頃、いろんなことがあったらしいわ。異国で出会った幾多の人々の思い、情念、言葉にいい表せないことも、何故かこの日本の伝統の舞の中に全てが語りつくされているような気がする。

 美しい春を詠い上げた最後の一片の花が散り舞うその刹那に、日本人は憂愁の美を感じるようね。 時と場所を越え、物語に託して人の営みを振り返り、それを静かに自らの生の糧とすることが出来る・・そんな優しさを日本人は持っているのかもしれないわ。”


娘の穏やかな言葉の意味も、悠にも充分すぎるほどよくわかっていた。
でも若い悠は、承知の上であえて突っぱねてみせた。
ただ若いだけで、まだ何もない今の自分の心の侘しさが、
物語の中の母子の情念の哀しみに、こんなにも揺さぶられるのを

玲に見られたくはなかった。

“・・僕には、いにしえの物語の深い心を追えるだけの器はまだありません。

でも、不骨な僕にでもわかるのは、、・・お父様に今教えていただいているのは、命の通った、単なる武術のそれを超えたものだということです。

お父様はそれを僕に伝えようとしてしてくださっている。

 今夜、お誘いいただいた舞の中に、言葉にはできませんが、そんな真に人を思いやる故の厳しさや温かな心に、不思議とつらなるものがあるような気がしています。

 僕には物語の意味は全ては分かりませんが・・、でも、とても美しい、どこか限りなく身近にあるような寂しく切ない世界だったように想います。 

 玲さん、お誘いいただき、・・うれしかったです。”


 悠は、玲との間に、細くても切れない小さな命の絆が築かれたような気がしていた。
いまでは玲の黒く透き通った瞳を、臆することなくじっと見つめることができた。
 
玲は悠の眼差しをそっとはにかむように逸らすと、悠の内心の想いを察したように微笑んで頷いた。
でも、若い悠には、娘の前ではそれ以上は大したことは言葉にして何もいえなかった。
席から覗き見る照明に照らし出された庭の新緑の草花は、
慎ましく優しい娘の面影にそっと静かな命ある彩を添えていた。
悠は自分の話に耳を傾けてくれる和服姿の娘の慈しみに満ちた微笑に、
何かほろずっぱい微かな胸の痛みのようなものを覚えていた・・。


 



  夜遅く、悠は娘を屋敷まで送った。
“悠さん、今日はふたりで、何かとても大切なお話ができたようで嬉しかった。・・楽しかったわ。
ありがとう。  いつまでも、・・いいえ、ご縁のある限り父を、どうかよろしくね。”
娘は悠の掌を、しっとりと軽く湿った小さな掌で包んだ。悠に身を寄せると、そっと暫く目を伏せていた。長いまつげの下の頬がほんのりと染まり、温かな女の生きた感触がそのまま若者のなかに残った。
 悠は、娘の身体の優しいぬくもりと、柔らかな唇から微かな吐息が自分の身体を包むのを感じた。それが怜という娘が今の若者にしてやれる精一杯の慈愛の表現だったのかもしれない。悠には、そのまま何故か体が凍てついて、それ以上何もできなかった。


 娘は目を開いて悠を少しの間じっと見つめると、悠の手をそっと離して、庭に続く枝折戸(しおりど)をくぐっていった。細い女の体を包む和服姿のその黒髪から、微かないつもの甘い香りが漂った。うららかに花冷えのする月夜の晩だった。
 悠はそこに取り残されたまま、軽い眩暈とともに、どこか白い花に覆われた北方の草原の幻が心に浮かんていた。 一人、何故か甘く悲痛で狂おしいその物語の中の小さな言葉の懐かしい響きに浸るかのように、しばらくそのままその場に立ち尽くしていた。

早春の夜の三日月が、薄い雲の間から薄明を灯すように遠慮がちに覗いていた。

 

 

 

   

                                               

   

  

     旅立ち
  

 

 娘の玲はそんな若者の淡い恋心を知ってか知らずか、悠が老人の家に通い始めていばらくすると、この父親の慣れ親しんだ家から、遠方の定められた許嫁のもとへと一人嫁いでいった。 高柳 亮という若者だった。
 老人の満州での旧制学校時代の旧友である実業家の子息であった。
 やはり一時期、老人山崎 竜之介がその若者 亮を屋敷に預り、親の意向で、ある有名私学の一貫校に通わせながら家で武術と処世の学問の手ほどきを任されたことがあった。まだ思春期の娘 玲は自分の兄のようにこの優しい若者を慕っていた。その若者は優秀な成績で米国東部の大学に留学し、その後確かイギリスの大学院のカレッジに通っていたとのことであった。

 悠は以前一度この男に会っていた。精悍で、若い悠から見ても、魅力的で、目に曇りの無い親譲りの熱き理想に燃える青年のようだった。 やはり老人宅の居間で、囲炉裏をかこみその日は深夜まで語りあった。

 やがて名門のMBAを取得すると、あるシンクタンクに主席研究員として所属していた。アメリカやイギリスでの大学院時代の交友と人脈は世界中にわたっていた。そして選ばれた一族達のネットワークの裏の連携の環の中に世界の表の国際政治と経済がロンドンを中心に廻っていることを彼は述べていた。
 彼は、決してそうした少数の恵まれた冨者たちの子弟に構造的に約束された既得権益でなく、むしろ、それ故に負の連鎖を背負い込まざるを得ない大半の歴史から排除された人々への共感を語っていた。

 彼の父親譲りであろう、明治大正の時代に生きた志士たちのような自由かつ純粋な、まるで旧制高校で培ったかのような、ある者たちから言わせると、教養主義的でナイーブな旧時代風の男の気概とロマンを、亮は若い悠に覚えさせた。 明晰な頭脳で言葉を選んで若者が話す、その複雑極まりない国際情勢の舞台裏の驚くべき筋書きを、少しずつは悠も把握して聞いていた。

 ただ、今の悠にとっての感心は、この場で遠慮がちに美しく微笑む気品ある娘の玲とは、この亮という若者は残念ながら申し分なく似合いであることだった。 
 薄紅のもの言う花・・、と悠は玲のことを想った。


どこか’岡恋慕’のようで心苦しかったが、二人が、若い悠にはうらやましかった。
そんな中、老人山崎と先方の旧友高栁との間で二人の縁談が持ち上がっていたのも当然のように思えた。大好きな姉を見送る複雑な弟の心境はこんなものかとも思った。
山崎は仄かな悠の恋心に気づいていたようだった。


 



 
 ”この家も少し寂しくなるな。 玲はお前のことをいつも気にかけておった・・。

しかしな悠、愛の幻影に留まることもこれまた一つの執着になる。
天の準備した一期の縁の糸で、人は永遠に繋がり続けていくものじゃ。 この世での出会いと別れは、定められた永劫の世界に人を導く為の、生みの苦しみなのかもしれんな・・。”

 悠は何も言わずうつむいていた。そういう老人もやはり少し寂しそうだった。

 そんなひと時の喪失感の中、慌ただしい労働と幾らばかりの大学での勉学、そして旅先で出会った人々との手紙のやり取りで、半年があっという間に過ぎた。大学での春の学期末試験にも何とか無事通り、いつか行った新宿の格安旅行代理店でアルバイトで稼いで貯めたお金を銀行の口座から出してチケットに換え、旅の手続きを整えた。

 武術の師の山崎は、悠のこの旅行には反対しなかった。むしろ若者には、自分もかつてそうであったように、旅という’遊学’が欠かせないと思っているようだった。

 悠は、手紙のやり取りで少し気がかりなことがあって一刻も早い出発を願っていた。気が焦っていた。今度の旅は、半年ばかりの路上でのアルバイトで、旅費のみの捻出が精一杯で、あまり旅先での贅沢の余裕は無かった。

 ほこりのかぶった緑色の例のバックパックを引きずり出して、最低限必要なもの、そして幾品かの日本の手土産を一緒に詰め込んだ。南アジアの旅先で子供にあげる小さなおもちゃも幾つか入れた。前回の旅の航空会社のリボンが、過酷な旅の勲章のようにバックのショルダーにぶら下がっていた。 早朝のまだ薄暗い中、机の上の母親の写真にそっと微笑むと、ひとり下宿を後にした。そして新宿からリムジンで成田に向かった。バスは、昇る朝日に向かって走った。

 前回と同じく、旅へ向けての興奮と緊張感に、アドレナリンが身体をめぐった。別世界に向け、ちょっとした日常からの解放感もあった。

久しぶりの成田で、いつもの無表情な係官の出国審査を終えると、出発30分前には、アジア系の航空会社の南回り便の機内に入り、エコノミーの窓側の座席に座った。

 隣はインド系の浅黒い肌の背広の紳士だった。悠ににこっと会釈した。悠も微笑み返した。去年、一緒に座ったあの日本人のビジネスマンの紳士の姿が見えないのが少し寂しかった。 

 この半年、少し思うところがあって開発経済学を大学の経済学部の講義に潜りこんで受けてみた。 できるだけ、この世の人々の貧富の差を生み出す世の仕組みを理解しておきたかった。予習を欠かさず、眠い授業を瞼をこすって充血した目で取り敢えず聴いてみた。
 国家機能を廃絶し、自由な市場での企業のオープンな競争こそが人を富せ幸福にする・・。

当時少しずつ大学内でも教授のポストを得始めたリカードやフリードマンといった新自由主義経済学を専門にする経済学者の考え方には、悠はなじめなかった。 

その一見合理的な自由競争の理念を追求る学派は、グローバル企業に有利な世界統一体制を固めていくなかで、国を超えたところで必ず多くの非道な代償と禍根を貧しい国に生きる多くの人々に残していくに違いないと悠は感じていた。 

 ふと、悠はあの高柳 亮という秀才の若者がいつか言っていた世の仕組みというか、独自の世界観が、少しずつ勉強を通じて理解できて来るような気がしていた。

師の山崎が、いつかそんな悠に、宇沢弘文という日本の経済学者の本を一冊与えてくれた。

悠は、道路工事のアルバイトのあと、寝床のスタンドの明りの下でそれを読んだ。

万民の為の経済というものがあることも知った。悠はそんな柔軟な思考のできる日本人のいることを誇りに思った。
 
 あの時飛行機で同席した日本人の紳士は世界を見て、どう感じ今どんな生き方をしているのだろう。生き馬の目を射抜くような国際金融や商取引で経済を揺り動かす側にいるのか、または、揺れ動く国際経済の中に翻弄され、或いはその荒馬を上手く乗りこなして、巨大なビリオン単位の資金をすでに日々当たり前のようにして得ているのだろうか。
 彼らにしてみればそれは、生涯をかけるに足るスリルに富みダイナミックな数学であり脈動する生きたゲームに違いなかった。濡れ手の泡のようにして瞬時に莫大な資産を彼らにもたらすのは、目の前のコンピュータ上に描かれたグラフが時々刻々と描く数字の動きであった。 

 

 片や、その数字の何万分の一、いや何億分の一の価値すら持たない金銭を重労働の末に手にして、自分たちの貴重な食べ物を差し出してまで旅人の悠を親切に気遣ってくれる家族がいた。 あのアジアの貧しい国の家の主人の男たちは、大切な家族を養うために自分の命をすり減らしていた。 そして子供たちは、親の健康を気遣い、将来のための貴重な教育の機会を放棄してまで、親の稼ぐ何十分の一の日銭を求めて街をさまよい歩いていた。
 
  世界の何処かで、巨大な富への欲求に基づいてなされた自由な金融取引や商取引の流れが、めぐり巡って、別の弱小国に生きる人々の身の上に不平等と貧困、そして政治的独裁の温床を生んでいると、あの若き’恋敵’の秀才 高栁 亮は語っていた。
 政治や経済の世界のことは、まだよく分からなかった悠には、彼の話は、どの大学の教授の話よりも、新鮮な感動を持って悠の心の奥に浸み込んできた。

 現実世界で、途上国の人々の苦しい生きざまを垣間見ることのできた悠の乾いた心に、あの日、老人の部屋の囲炉裏の火の傍らで、亮が静かに語っていた話は、まるでボデイブローのように悠の心に重く今になって響いてきていた。

 彼の言うグローバリストの学者たちが、机上で描いた世界支配の経済支配原理によって、現実の貧しい国の多くの人々が、しわ寄せを受けて貧窮しているさまが、悠には旅を通じてよく見えていた。
 
 そんな思いを抱いての今回の春の旅行は、かえって旅慣れた若者の無理もたたって、昨年よりさらに過酷だった。 悠のような若い多感な貧乏旅行者ほど、世界のひずみを、ゆく先々で身につまされ感じることができた。旅先で幾度か心身の疲れから病に倒れ、貴重な時間を旅先の貧しいベッドの上で孤独に一人すごしたものだった。でも人々は優しく見知らぬ若者を温かく介抱してくれた。

 

 日本でも忘れ去られつつあるこんな素朴なひとの優しさが、何故か悠の痛み疲れた心の琴線に響いた。そのつど、不思議な縁を感じ、時間は決して無駄には流れていないと感じた。

そして今のこの時期に、旅に出ておいてよかったと、悠はそう思った。