貴方は もう忘れたかしら/


で始まる南こうせつさんの「神田川」が好き。 

 

小さな石鹸 カタカタ鳴った/



今や銭湯も減って、あったとしても健康風呂的で家まで歩いて帰るというより、マイカーで湯冷めしないで帰れる時代だ。

赤い 手拭いマフラーにして/


と首に巻く必要もなくなった。この雰囲気は今の若い人には到底解るまい。この歌が誕生した時代背景は理解されなくなって自然消滅してしまうのだろうかと寂しく思っていた。

昭和は遠く・・・・・・・・。

どっこい、今時の若者にこの曲が受けているのだそうだ。

嬉しいことだがその理由はどこにあるのだろう。先日テレビの街頭インタビューに茶髪の娘達が答えていた。あの哀愁を帯びた旋律と歌詞は人の心をつかんで放さない。良い歌は世代を問わず心に訴える響きがあるのだろう。「何処が」という問いには答えがなかったようだ。「いいからいい」と明快な返事だった。若い世代のボキャブラリィの不足が言われてから久しい。

二、三年前、市民会館で南こうせつさんのコンサートがあった時の事が思い出される。

チケットを求めて一つ若い世代の友人と出かけた。彼の「夢一夜」も好き。会場で私たちは前の方の良い席だった。プログラムが進むうちに最前列の父と子の姿が目に止まった。小学四,五年生くらいに見える男の子と並んだ父親がのりのりで拍子をとったりしている。ステージのこうせつさんの目も時々その親子に注がれている。父は自分が若かりし頃一世を風靡した「かぐや姫」のサウンドを息子に伝えたい、解ってもらいたいという様子が感じられてほほえましかった。

舞台の上のこうせつさんも嬉しそうに見えるのは私だけだったろうか。ご自身のヒット曲がこうして若い世代に受け継がれるのを目の当たりにするのは歌手冥利に尽きるというものだろう。

窓の下には 神田川/

 

神田川は以前は汚れた、小さな川だったという。東京にいた頃一度だけ通ったような気がする。「ああ、これが神田川か」と思ったのは夢だったのか現だったのかも定かではない遠い昔になってしまった。

三畳一間の 小さな下宿/

当時下宿といえば三畳か、良くて四畳半一間と押入と半間の玄関、炊事場はガス台が置けるスペースが辛うじて付いているか、共同というのが多かった。だからさして貧しいとも思わなかった。現代のワンルームマンションや2LDKのハイツとは大分違う。

OLだった頃、同僚と一緒に呼ばれたSさんのアパートが丁度そうだった。ハンバーグと餃子はここで教わった。みんなでわいわい言いながら作って食べたご飯の美味しかったこと。餃子の具をすり鉢であたる時、すり鉢の下に素早く布巾を敷いたのを誉めてもらったのがとても嬉しかった。

「そう、そうするとかたかた音がしないし、安定するよね」外資系の会社だったから英語に強い彼女は存在感があった。私は同い年なのに何かにつけて大人びていた彼女の妹のような気持ちでいた。いつしか連絡が途絶えて、「どうしてる?」って何処かで私の事を気に懸けてくれていそうな気がする。

そう、私達の結婚生活も四畳半から始まった。


二人で通った 横丁の風呂屋/ 一緒に出よう といったのに/

いつも 私が待たされた/ 洗い髪が 芯まで冷えて/

 切なさに胸が詰まる。彼を待たせてはいけないと、どうしても私の方が時間が掛かるのを、急ぐから髪も拭い切れず、どうかすると滴が襟足を伝った、その冷たさが忘れられない。


こうせつさんは「私の今日があるのはこの歌のおかげです」と言っていた。

先日テレビで放映されていたのだが、彼は作詞を喜多条忠氏に依頼し、氏は以前神田川沿いのアパートで、悶々と暮らしていた時の体験を詞にした。

学生運動の激しかった頃、大学はあっても講義は開かれず、未来は暗く、ずるずると引きずってしまいそうな同棲生活だった。

それをこうせつさんに電話で読み聞かせると、詞を聞きながらもう聞き終わる頃には曲がほぼ完成していたという。音符の読めない私には驚きというより他ないが、才能のある二人の出会いも不思議な巡り合わせだと思う。

若かったあの頃 何も怖くなかった/ただ貴方のやさしさが 怖かった/


 

不安で、ひたむきで、今思うと危なっかしい暮らしだった。それらの情景の一齣一齣がセピア色の写真を捲るように浮かんでくる。



フィナーレでステージからこうせつさんは手を延ばしてその親子と握手を交わしていた。

コンサートの最後のいつもの情景だが、何か特別のように見えてしまうのは、この歌が唄い継がれて欲しいと願う私と、そのお父さんの息子さんに託す思いのせいかも知れなかった。