一人娘は私の家に近い川の対岸に住んでいる。遠く自由に羽ばたきたかったのだろうが結果そうなってしまった。私は彼女が望みさえすれば遠くへ送り出す事も否みはしなかった、といっても信じてもらえるだろうか。娘も疑わしい目を向けることだろう。親子でさえというべきか、解り合えない部分がある。前述の…彼女が望みさえすれば…も、そして私もそれが彼女にとって、ベストだと信じられればと付箋が付いてしまう。
ママは私を支配する
真っ白な私の未来に
綿密なプランを描く
時々は 激しく
逆らってもみるけれど
結局 ママの手の内から
逃げられない
それがママの愛?
……………
ママの愛は重い
これは数年前、娘が感じているであろう私という存在を想像して書いた詩で、何が原因だったかは忘れてしまったが、さんざん彼女とやり合った後に彼女の気持ちを代弁した詩だ。
私の娘への思い入れの深さは否定しない。彼女は十歳の時父を失った。親たちが別れることになり、父と母とどちらに付くかという残酷な選択を迫られたが、彼女は私を選んだ当然とは思ったけれど暫くしてその理由を尋ねると
「だってお母さんはご飯を作ってくれる人だから」という答えには涙が出る程笑ってしまった。私は全く別の答えを期待していたからだ。
離婚の原因はよくある性格の不一致だった。価値観の相違とも言える。夫は浪費家でそれさえなかったら取り立てて言うことはなかったのだが経済生活の破綻で信頼関係も失われてしまった、というのが私の言い分である。あちらにも言い分はあったと思う…
彼女は私達の争う声に悩んでいたと後から聞いた。だから私には得られなかった幸せな家庭を持って欲しいと思い、そのためには出来るだけのことはしなければと考えたがそれ以上に何の気負いも無かった。
中学二年の時、娘は国語の先生に恋に近い憧憬をした。
その先生がご自身の実家のある地元の中学校に転任されることになった最後の授業では、彼女は鞄にテープレコーダーを忍ばせて授業を録音した。私もせがんで聞かせてもらったが彼女は部屋で何度も聞いていたのだろうか。そしてある時K先生みたいな先生になりたいと言いだした。
日曜日にはよく転任された中学校まで往復で三時間程ドライブをした。先生がクラブ活動でソフトボール部のコーチをしていたので校庭にいる姿をただ垣間見るためだったが、今は懐かしい思い出だ。
高校進学の三者面談で担任の先生は私が思っていた高校ではなくいわゆる進学校と言われる高校を勧めてくれた。私はあれっ!と思い、先生も志しの低い親を珍しく思ったようだ。
もしも娘が大学進学を望み、先生になりたいと希望しているのならば手に職を付ける意味で良いかもしれない。高校にパスしてからそのことを告げた。彼女は大学に行けるとは思っていなかったから「本当にいいの?」と半信半疑だった。
そしてそれが辛い日々のスタートになった。
娘は精一杯努力をしていた。しかし結果は彼女が希望する大学は通らず、私が滑り止めに勧めた学校だけに受かった。なぜならそこが彼女の偏差値に無理なく適合していたからだ。
「もしも受かったって行かないから」としぶしぶ受験したので、行きたくないと言い「浪人させて」と懇願された。仲良し三人組の他の二人も志望校が通らなかったので浪人すると言う。私は先ず経済的に難しいと答えたが、彼女が実力以上にランクの高い大学を目指していることも胸に引っかかっていた。その気持ちは痛い程よく解る。認められたい。自信を持ちたい。どこかで両親が離婚したという負い目を払拭したかったのではないかと感じた。受験勉強の途中からは教師になりたいという当初の目的も曖昧になっていたが、進学クラスに入って受験体制の中にいると途中で進路を変える勇気もなく、ここで進学を諦めたからといって職を探すのにも時期的に遅かった。再度挑戦するにしても志望校に絶対にパスするとは限らないし、その時の彼女の更に追いつめられた精神状態を想うと怖かった。
『誰しも希望が叶うものではない。意に反した方向に進んだことが幸いすることもある。志望校に入学が叶っても必ずしも将来が保証されるというわけではない』と諭した。ただ彼女を説得する為だけではなく日頃から私はそう感じていたことだった。「それでも、自分が納得出来たらいいじゃない」と彼女は反発したが最後には折れてくれた。浪人した友二人はその一年後志望の大学に入ったが再び仲良し三人組になることはなかった。
D大学法学部に通い始め学科に何とか興味を見いだして欲しいとの私の願いも空しく彼はアルバイトに生き甲斐を見つけた。真面目に働いて評価されることで達成感が得られたからだと思う。バイト先で親しくなった大人達につまらない学生生活の愚痴をこぼしていたのだろう。そして彼らには私が虚栄心の塊のような母親に見えたのだろう。娘からは「お母さんの見栄の為に大学へ行っている」と思いがけない言葉が帰って来る。その言葉を通して世間の人には母親が一人娘に過大な期待を懸けて虚勢を張っているように映って いるらしいと感じた。会うこともない人たちに言い訳や説明をすることは出来ないから、せめて私の周りの人達には受験のことが話題なると冗談話に
「高校受験の時、娘が二階の部屋で遅くまで勉強しているのね。椅子を引く音とか、物を落とす音が下にいる私に良く聞こえるの。眠れないのよね、気になって。早く寝なさいって下から怒鳴るのよ。返事はするけど起きているのね。その内、とうとう言われたわ。…お母さん私、受験生なのよ。どこの親が11時なんかに寝なさいなんて言うと思う…って、それからはあまり言えなくなったけど。
「へぇ、そう」と心なしか以外そうな反応をする。やはりそうなんだ。「教育ママだと思っていた。そう見える」とその人は答える。「そうかなぁ、だって大学の時だってランクを下げたほうが良いってばかり云っていたくらいなのに」そうは云われたくないが仕方ないのかなぁ。
娘は二年の夏休みに学校に払う後期の授業料の納付書を私の目の前で破いた。
「もう、行かない時間の無駄だから。」と。
目の前にいる娘が見失う程遠い存在になった。二人の間の越えられない深い溝に背筋が強ばる思いだった。「そう、それで何をするの」「……・」「そう、あなたの方が正しいのよ。好きでもない学科を専攻して無駄な授業料を払うなんてもったいないわ。いやなら止めたらいいのは解っている。それを繋ぎ止めようとするのはずるい大人の思惑でしかない。ここまで来たらとにかく学校を卒業して、就職してという当たり前のルートをたどるのよ。それがあなたには無駄と思うのでしょうけど、大事な事なのよ。これがしたいというものがあるなら別だけど、何も無いのに中退してアルバイトみたいなことで毎日送るのだったら反対。何をするにも中途半端になるでしょ。 時間の無駄だと云うけれど、長い人生で学生生活の残りの二年間位は後から思えばほんの一瞬よ。
娘の気持ちは解っているつもりだった。自分の意志に反して過ごす二十歳から二十一歳の貴重な時間が指の間から砂が洩れるように空しく過ぎてゆく焦り、それなのに自分でもどうすべきかが解らないあせりもある。私達はもう駄目かも知れないと思った。
神様じゃないから私が娘に強いていることだって正しいのかどうか解らない。学校を止て、別の道に進むことで想像もつかない運命の新たな展開が絶対無いとはいえない。私はその可能性を阻んでいるのかも知れないのだ。
でも冒険は出来ない。どうしても安全策を取ってしまう。この辺が私の限界だった。娘
の意志を尊重して自由でおおらかに解き放つ余裕が経済的にも、気持ちの上でも持ち合
わせわせが私にないのだった。
床に散らばった納付書の破片からしばらくは目が反らせなかった。
娘はその気ならばどこまでも自分を貫くだろう。例えそれが単に私への反発でしかな
いにしてもそれも一つの選択だ。それは一つの賭けだった。
私は学校から納付書を取り寄せて授業料は納めておくことにした。後は見守るしかなかった。
十年前のことだった。
結局大学に残ることになったのは何がきっかけだったのかはっきり分からない。落としていた単位を何とか取りかえして、卒業をし、就職にまで至った。
その二年後職場結婚をして子供が出来て退職し、家も川向こうに買って住んでいる。9月に四歳になる子と二歳の男の子、そして六月の末頃にはもう一人誕生の予定だ。いまだに彼女は「浪人したかった」と未練がましく云う。どうしても私の掌から飛び出せなかった思いが残るのだろうが、それが今や子育てにてんやわんやの日常とは違う自分を放つキーになっているようだ。
家族で買い物やレジャーをしている姿を見ると幸せそうだが、本人はさほどとも思っていない。子供が病気になったり、自分が息抜きしたい時は私の手をフルに利用している。
せめてもの罪滅ぼしに私は彼女のお助けマンとして利用されている。
良くも悪くも娘から私の期待するような答えはきっと返ってこない。
かつて十歳の時に聞いた答えのように…。