糸満市の学習塾
『共学院』
代表のたてうちです![]()
私は小学生の頃は勉強がそんなに得意な方ではなかったです。
小学4年生のとき、学校の授業中に教卓の隣に座らされたことを覚えています。
変な質問を繰り替えしていたので監視が必要になったのでしょう。
分数の習い始めは難しくて理解が追い付かなくて、本当に悲しい気持ちになりました。
分からなくて涙目でした。
漢字もそんなに得意ではなかったです。
そんな私が6年生の夏過ぎに塾に行くことになりました。
親の意向で中学受験をすることになったのです。
塾の時間が辛かったという記憶は不思議と無く、
どちからというと教えてもらってて嬉しいみたいなそんなタイプで、
ふわふわとした感覚で時間を過ごしていたと思います。
当時の私は受験の意味をよく分かっていませんでした。(笑)
学校の終わり塾に寄って勉強して、明るい時間には帰宅していました。
2,3か月程度の勉強だったので案の定中学受験は不合格。
面接でも尊敬する人は誰かと面接官に尋ねられ「美空ひばりです」と答えて
笑われました。
受験学校の階段の踊り場を親と一緒に少し恥ずかしい心持で降りていったことを、
妙に鮮明に記憶しています。
小学校を卒業し、入学前の春休みから塾へ通い始めました。
英語と数学を先取りしていました。
そのおかげもあって最初のテストは英語は満点、
数学も割と良かったと思います。
それから中間・期末のテストが近づくと
毎日塾にいって夜遅くまで勉強していました。
夕方5時から11時まで。
最初の席次は370人中45番。
もしかしたらそんなに勉強してその程度と
思われる人もいるかもしれません。
そうなんですよね。最初はそんな感じでした。
2年生に上がった夏期講習後に急にグンっと成績があがりました。
覚えています。何かコツのようなものを掴んだタイミングでした。
英語は覚えている単語量が増えたのが大きいと思います。
数学はパターンに気づき、計算ミスを減らせたこと。
基本的に塾で少し先取りが出来ていて、
学校の授業は復習の時間として使っていました。
国語は指示語というものをきちんと教えて貰って
理解できたことがキッカケで解くコツが分かってきました。
頭が回り始めた感覚があったのが中2の半ば頃。
塾できちんと真面目に勉強し始めて約1年半。
週三回塾に休まず通ってテストが近づくと毎日5,6時間勉強しました。
どうですか?長いでしょうか、短いでしょうか。
結構リアルだと思いますよ。
暗記ができ、小さなミスもしなくなり、
問題量を解きこなせるようになってパターンが分かることで
解けるようになって、授業も集中して聞く余裕が生まれて、
テスト前は更に隅から隅まで取りこぼさない
そんな感覚で臨んでいました。
勉強しましたよ。
学校が終わって5時くらいには塾に行って11時くらいまで。
普通に6時間、テスト前は特に勉強していました。
その量が必要でしたね。小学校はそんなに勉強していなかったから尚更必要でした。
塾では周りも勉強していたのもあって、そいういうもんだと思っており、
テストの点数がとれるようになると自ずと自信もついてきました。
自分はできる。やればできると思ってました。
その感覚は今でもあります。
ある程度まで出来るようになったという感覚を掴めるまではやる。
このやり方が染みついています。
この「できるようになる」までやり続けることができるところは
自分がしたいことがあって、それをするときに活かされているなと思います。
途中経過の上がり下がりも体験的に知っており、
多少スランプになってもその続きがあると思えます。
コツを掴むには自分で感じて考えることが不可欠で、
教えてもらうときは素直に吸収するという在り方が多少なりともできているのは、
色んな習い事を通して学生時代に培ったものだと思います。
自己流に流れず型に一回はまって繰り返して繰り返す中で自分でも考えて、
実践して工夫した先に抜けてレベルが上がる。
きっと似たような経験をしている方はいると思います。
スポーツであれダンスやピアノ、お習字など、
何かを身につけていくことの本質は同じゃないでしょうか。
10代のころまでに身についたものは大きいと思います。
その後の人生に渡って何十年もの間影響を与えているものではないでしょうか。
こうやって書いていくと、色々させてくれた両親に感謝だなと思います。
当時は不満を持ったり文句を言ったりしていましたが40代の今そう感じます。
一人で勝手に身に着けたものではなく、
それらが今の私の支えとなって助けてくれていますし、
豊かさをや楽しさを感じる土台となっています。
。。 。。 。。
一人一人の生徒のために
心ある指導
『共学院』
糸満市兼城369-1
098-995-0603