よく「ちゃんと勉強してたらいい大学行けたのに」という人がいる。

 

僕は内心「いやいややり直してももう一回繰り返すよ」と思ってる。


喧嘩、僕は売らない、売られればほぼ全て買う(反社除く)。

 

このスタンスは高校時代に確率された。

 

よく〇〇高校vs△△高校などを聞いたが高校が二校しかない離島では成り立たず自ずと中学校単位になってしまう。

 

僕が生まれ育った勝本町勝本浦は漁師町で若い奴は中学校を卒業して船に乗るやつも多く、下手すれば中学校から乗ってる奴もいる。

 

彼らは極端な話、犯罪を犯しても船には乗れてしまう。

 

僕の同級生に高校に行ってない奴はいない。

 

これは稀。

 

僕自身は小学校時代のガキ大将から頭になっていた模様。

 

高校に入るとまかり間違ってか特進クラス(入試上位90名)に。

 

半年くらい経つと3年生7人に屋上に行く踊り場に連れて行かれ「お前、勝本やろうが」とボコボコにされ最後は踊り場から蹴り落された。

 

正直、怖かったがチキンハートの僕はやられたら開き直る。

 

これは今でも変わらない。

 

この七人はどこの中学出身で名前も頭に刻み込まれている。

 

一人は壱岐にいる。

 

この中のトップは自分の中で許せていない。

 

怒りは和らいだものの今でもフェリー乗り場で「会わないかな」と思ってる。

 

この「勝本」から来るやられ方は若い漁師に起因することも多かった。

 

僕が高2の時、従兄弟の家に車3台10人がやって来てボコボコに。

 

珍しく厳しいおふくろが「拓也、行きなさい!」と言った。

 

行くともう失神していた。

 

その10人は八幡地区、芦辺地区、瀬戸地区。

 

また、僕が30くらいの時、二つ下の奴が巻き込まれ死んだ。

 

一緒にバスケをやってただけに怒りと悲しみと。

 

こういった形で勝本vs各地域が昔からあったみたいで大好きなおじさん(おふくろの兄)は「若い時、郷ノ浦で48発しばかれた。」と言ったが「殴られた数を数えてどうする」と思ってた。

 

僕は3年生からやられたのを機に的にされる機会が増えた。

 

だが、複数vs複数ではほぼ負ける。

 

そして、呼び出されて当日まで怒りが続かない。

 

当日、殴られたら火がつく。

 

ただ、ほぼ複数だとやられて来た感が強かった。

 

中学の親友が特待生で長崎日大に行った。

 

そいつが夏休みなどで帰って来て悪さして諫早に戻って行く。

 

後始末は僕。

 

最後の呼び出し。

 

向こうはどうしても僕をボコボコにしたいのはわかっていた。

 

2vs2で長崎日大(冬休み)の奴と二人。

 

現地に行くと確かに2vs2だった。

 

でも、その周りには10ある中学校の8人の頭がいた。

 

初めて詫びて心が折れた。

 

親友も同様だったみたい。

 

勝本浦の同級生の集まりに行き、その中、隅で初めて泣いた。

 

悔しかった。

 

それ以来、あまり喋らないようになった気がする。

 

言った憶えもないことを知らない奴からストーリーが作られていく。

 

火のない所に煙は立つ。

 

大学に入った時は解放感しかなかった。

 

今の仕事を始めて水産関係で2vs2の一人を訪れたが、相互抱き合うだけだった。

 

彼らがその後の諍いを知ってたから。

 

大変だったと思う。

 

友達ってなんだろうね。

 

実社会に出てなにもしていないか?

 

どうだろう。

 

福岡県警に僕の10本の指紋があるのは事実である。