ご報告、と散文とこれから | たてみんオフィシャルブログ 「わぁの嫁さなってけぇ♡」
お知らせ、というかお伝えしておかなきゃな、
と思ったのでブログを書きます。

9月15日の早朝に、祖母が亡くなりました。
21日のライブで既出のタイムテーブルを動かして頂いたのは、葬式にどうしても出たかったからです。主催のDSP様には大変お世話になりました。そして時間調整をご快諾頂いた陽多マリィさん、PIKARINさん、いとうあいかさんには本当に頭が上がりません。この場ではありますがお礼申し上げます。

以下はわたしの気持ちの整理のために書いた散文です。ばあさまも見てくれるかな。まあ長いので読まなくても大丈夫です。支離は滅裂です。




わたしの元に連絡が来たのは15日の昼過ぎでした。滅多に来ない父親からの着信画面に、若干びっくりしながら電話をとりました。
通話先の向こうは騒がしく、話し始めたのは何故か母でした。「ばっちゃんが、亡くなったよ。今日の朝、急に、突然」
言葉が飲み込めなくて形ばかりの相槌を打つわたしに、母は通夜と葬式の日程を告げて、帰ってこれるか、と聞きました。葬式の日は、楽しみにしていた自分のライブが入っていました。身内が亡くなったのは、人生初の経験です。18年間一緒に同じ家で暮らしてきたばっちゃん。なんとかする、と伝えると今度は父親の声がして「無理に帰ってこなくてもいい、先週会ったんだから」と言われました。その言葉で、わたしはやっと事の大きさと、今言われていることの実感が沸いて、ボロボロと涙が出てきて、携帯を持つ手が震えて、絶対になんとかするからと伝えて電話を切りました。泣きながら震える手でスケジュール帳を確認して、できるだけ早く、そしてできるだけ長くの休みを確保するために各方面に連絡をしました。これが社会人か、と思いました。

16日のライブを終えたあと、Ns.aoiちゃんとご飯に行きました。1人ではいたくなかったので。あおいちゃんははじめて身内を亡くしたわたしに色々教えてくれました。葬式のマナーなんて、いざ起こってみないとなにもわからないんだなと思いました。そして2日ぶりにご飯の味がしたので人とご飯を食べることは大事なんだなあと感じました。

東京で片付けられるだけの作業を徹夜で行い、17日の最終の新幹線に飛び乗りました。新幹線の中もずっと落ち着かなくて、ブログを書いたあとは携帯でナンバープレイスしながら泣きました。こんなにも帰省をしたくない日はもう来ないと思います。

帰省した次の日に慌てて喪服を買い、そのあと遺体安置所で見た祖母の姿はとても綺麗でした。いつものように寝ているだけにしか見えなかったけど、中にはドライアイスが詰まってると聞かされ
触れた祖母の頬はぞっとするほど冷たく、固かったです。祖母はもう、この入れ物にはいないんだなと実感して、それ以上わたしは見ることが出来ませんでした。
遺体を焼く前、最後のお別れをしました。お別れという言葉が非現実的すぎて、ひたすら泣きじゃくっていました。母にもう泣くなと言われ続けるくらいにはずっと。何が悲しい、とかそういう感情よりも、ただ無だったとおもいます。 人生ではじめて父と兄が泣く姿を見ました。父にとってのお母さんで、兄とわたしにとっての祖母。18年間同じ家で暮らしてきた家族です。特にわたしは昔から母よりも祖母にそっくりだと言われ続けてきて、笑顔もそうですが中身も似ていて、喋り好きなところも、天真爛漫なところも、ワガママなところも、きっと祖母譲りです。一緒にご飯を食べて、たくさんの思い出を共有して、生きてきた血縁を失うという事実はあまりも衝撃的でした。
二度と会えないモノ、が目の前にあること。最後を目に焼き付けようとしても、浮かぶのは祖母の笑顔でしたし、すぐ目を開けそうなくらい安らかな表情でした。周りは大人ばかりだったからか、わんわんと泣くのは私ぐらいでした。大人になるとこんな別れがいっぱいあるよ、と母は言ってくれましたが、わたしはまだ子供なのであんまり理解したくないなとも思っています。
このブログを書いてある今でも、青森でいつものように元気に過ごしているような、むしろそうであってほしいなあ。と思い続けています。

ばあさまが焼き場に入ったあと、お昼だったのでご飯が出てきたんですが、親戚同士が交流していく中でどうしてもそんな気分になれなくて、人の死を見届けたあとに気持ちを切り替えられることが凄いなって。そんな気持ちだったからご飯食べられなかったんですけど、そんなに泣いてたらばあさまも浮かばれないよと従兄弟に言われたのでやけ食いしました。焼き場から出る煙にばあさまの成分が少しでも入っているなら、空を超えた天国まで届くよね。うちのばあさまは絶対に天国にいきますけど。
焼いたあとの骨はスカスカで、すごく少なくて。人間ってここまで中身がないんだな、そんな感想でした。持ち上げた骨はきっと恥骨でした。カルシウムの塊にしか思えなくて、軽石のようなこの1部分がばあさまをばあさまとしてたらしめていたんだなと思うと、人間ってどうやって今生きてるんだろうなあ。生命の重さってなんなんだろうなあ。わかんないですね。桐箱に入ったばあさまはとても、とても軽かったです。

お墓に骨を入れる時、はじめてじいさまの姿を見ました。形がまだ残っていることにびっくりしたけど、ばあさまを待っていたのかなあ。久しぶりに会えてよかったね、ばあさま。3日経ったし、もう天国でも会えたころかな?


ばあさまが逝く3日前まで、わたしは青森にいました。その時にばあさまのいた施設に行って、髪の毛を切ってあげました。ばあさまは痴呆があるのでいつもわたしの名前を思い出せないのですが、その日は珍しく、わたしのことをわたしだと認識してくれて、わたしが東京で生きていることも思い出して、東京はどうだとしきりに聞いてくれてました。いつもはしないのですが、この日ばあさまの首にカミソリを当てて産毛を剃りました。いつもよりもこざっぱりした髪の毛になったばあさまからありがとう、と声を聞いた気がします。
また来るね、来年ね!と声をかけて施設を出ました。ばあさまは今までにないくらい元気でした。びっくりするくらいわたしのことも思い出していたので、施設で頭を使っているからだね、良かったね、と親と話していたのに。あれが最後の会話だったなんてね。通夜や葬式でいろんな人に髪の毛切ってあげたんだって?呼ばれたんだね〜と言われました。だとしたら呼んでくれてありがとうね。でも突然すぎだよ。1週間も経たずに青森と東京往復しちゃったよ。昔からばあさまには振り回されてきたけれど、最後にこんなにドタバタさせるとはさすがばあさまだね。92歳って長寿だと思うけれど、家族みんなばあさまは100まで生きると思ってたよ。びっくりしたよ。ばあさまの布団で眠れなくなっちゃうね。ばあさまからじいさまの話聞くの好きだったし、わたしの着ている服の丈をあーだこーだ言ってくれることも、リンゴの食べ比べすることも、もうできないんだね。全然納得できないけど、そういうことなんだね。大人になんてなりたくなかったけど、これからこういうことが何度も起きるんでしょ。本当に嫌になっちゃうや、純粋すぎるって昔から言われ続けてきたけど、今でも受け止めきれないし、これからもずーっと思い続けるよ。でもそうしたらばあさまはわたしの中で生き続けるって、ね。
次会うときには、すぐにわたしの名前を呼んでほしいなあ。髪の毛もいつだって切ってあげるから、どうかそれまで元気でいてね。ばあさま。ありがとうね。






自分はすごく狭い世界で生きていると思っています。でもその狭い世界の中で出会えた方々ぐらいは、幸せであってほしいと思っています。自分の人生に関わってくれた方々が、できるだけ楽しい感情で日々を生きていけるように。人との縁を何よりも大事にしろと教わり、自分の過ごしてきた毎日にもそれが反映されているかのように、色々な方々に支えられて今を生きています。そんなかけがえのない1人を亡くして、改めて、生命あるうちに出来ることやれることは全部やりたい、と強く思いました。たてみんには夢があります。青森で主催ライブを打つこと、親に活動していることを打ち明けてライブを見せること、憧れの会場でのワンマンライブ。そして今よりもっと多くの方に出会い続けていくこと。なるべく長く、全力で今を過ごすこと。音楽と一緒に末永く楽しく生きること。
叶えます。なるべくはやく。そしてもっとその先の目標も夢も追いかけ続けていきたい。
人よりも周りに支えられて生きてる自覚は充分にあるので、ひとりひとりに出会えた縁への感謝を忘れず、人を愛して、愛される自分でいれるようにこれからも精進します。

お悔やみ申し上げます〜、みたいな言葉はいりません。不躾ではありますが正直申し上げられたくないです。私自身が未だ飲み込めていないですし、どんなときでもステージに立つたてみんはキラキラしていたいので、この場でのご報告とさせて頂きました。どうか、そっと見守ってくださると嬉しいです。

そして。
出会いは一期一会だと思っています。365人握手企画もそうですが、ひとりひとりとの縁を大事にして生きているつもりです。たてみんはホーム現場みたいなものを決めずに様々な現場に出演できていますが、それはその場その場で会える方々との縁を作ろうと思っているからです。
最近、たてみんはどっかで会えるから〜みたいな言葉を言われることがとても多くて、すごく悩んでいます。どっかで会えるという言葉はポジティブに捉えたら「辞めない」ってことだと解釈しますが、逆をいえば「どこでも会えるだろ」ってことなんだと思います。それは違うんじゃないかなと。わたしは明日死んでも後悔しないように生きたい。その日その瞬間にあるモノは、ひとつとして同じものはないです。明日があることは当たり前じゃないし、これはわたしに限ったことではなくて、楽しむことに義務感はいらないし、何よりもあなたが後悔しないように過ごしてほしいと願っています。日本語が下手なので上から目線のような物言いで失礼します。要は「自分が心ときめくモノへ真っ直ぐに楽しんでほしい」ってことです。
たてみんはたてみんとして生き終えるまでずっとここにいることを目指しているし、そのつもりでなるべく長く生きようとしていますが、それを確約できるものは何一つないので。今回の経験でより思いました。
長くなりましたが、ざっくりいうと「会いたいと思った時が会い時だよ」ってこと。いつまでもあると思うな推しと金。ってわたしの推しが言ってました。



ばあさまが飛んでいった次の日に夢を見ました。ツインテールをした若いばあさまが、山道を駆け上がっていく夢。あれはばあさまの昔を見せてくれたのかなあ。
この空にばあさまが溶けていると思うと、少しだけ晴れやかになれますね。秋空の陽気の中、浮かんでいったばあさま。元気でね。
わたしはまだまだ頑張ります。