遠い昔‥練馬の果てで‥エピソード20 | 立川雲水のブログ

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寄席の世界では噺家以外の藝人、漫才・手品・紙切り・曲芸等々を生業とする先生や師匠方は全て「色物」と称される。色物の先生方は我々噺家以上に噺家同士の友好・敵対関係の有無や噺家個々人の力量や人間性に関して鋭い観察眼を持っていたりする。

ある日ある時、年こそ若いが藝歴は相当古い曲芸師の先生と仕事先で御一緒させて頂く機会に恵まれた。親子程も年の離れた新米前座ボーイにも気さく話かけて下さるのでこちらも色々と古い楽屋話や裏話に触れることが出来た。数々の話を聞く内にかねて訊ねてみたい質問があったので思い切って訊いてみた。

「あのぉ~、先生はうちの師匠(談志)が若い頃のこともご存知なんですよね?」

「あぁ知ってるよ。さすがに小よし(前座名)の頃は知らないけど小ゑん(二つ目名)の頃から知ってるよ」

「お聞きしたいんですが、うちの師匠って今でもあぁなんですから若い頃は強烈に自己主張や他者への攻撃が激しかったんでしょう?」

「あぁそりゃ凄かったよ」

「当時の先輩方や師匠連からは鼻つまみ扱いだったんですか?」

「まぁそうだね」

「お聞きしたいのはそこなんですが、先輩や師匠連から疎まれるのは分かるんですがその当時同期ぐらいの友達仲間や先生方あたりの後輩さんとかはどう思ってらしたんですか?自分では言えないことを代わりに上にぶつけてくれて多少なりとも有り難いとか、師匠や兄弟子の手前堂々と味方になって応援することは出来ないまでも心の奥底では『小ゑん良いぞぉ~!頑張れ~!』みたいな感じで隠れシンパみたいな感じとか、そんなことってなかったんですか?」

曲芸師の先生は間髪を入れずにはっきりと答えてくれた。

「ないね。全くない。皆んな嫌ってたよ」

舞台ではナイフでもボールでもシガーボックスでも一切落とさない名人曲芸師の先生をして持ち上げきれなかった我が師匠‥‥あんまり昔のことは訊くもんじゃねぇなと反省した前座ボーイであった。