大阪から江戸へ逃げてきた、お百と徳兵衛。

金も気力も尽き失意の底にいた2人の前に現れた、美濃屋の「重兵衛」という旅商人。歳の頃は50前後、しかし色が白く背の高い中々の良い男。芝汐留に立派な家を構え、婆やさんと2人暮らしをしているという。

「失礼かと存じますが、察するに何かお困りなようで。よろしければ私の家で、ゆっくり話でも聞きましょう。」

家に上がるなり、お百は同情を誘うような嘘を並べ立てる。

「それは大変だったようで…どうですか、江戸で頼りに出来る人はいませんか。誰かに貸しがあるだとか。」

言われて徳兵衛がハッとした。大阪にいて順調だった頃、江戸の侍に10両という金を貸した事がある。さらに都合の良い事に、財布の端にその証文が折りたたんで入っていた。

重兵衛から羽織袴を借りて身を整え、徳兵衛はそのお侍の屋敷へ向かう。が、すぐに肩を落とし戻ってくる。間の悪いことに、そのお侍は甲府での勤番になり昨日江戸を発ったと。

すると重兵衛。

「まずは私が幾らか貸しますから、すぐに追いかけなさい。その10両があるのと無いのでは全く違う。それで戻ってきたら、あなたは私の手伝いをして商いを覚え、お百さんは婆やの手伝いでもして貰えれば、ひとまずウチに居てくれて良い。それで落ち着いたら2人でどこか小間物屋でもやりなさい。」

親切にあやかり、お百を重兵衛の家に置き、徳兵衛はすぐに支度をしてお侍を追い甲州街道を旅立っていく。

だがこれからさらに間の悪い事に、このお侍が中々捕まらない。甲府に着いた頃には急用で別の場所に。そちらにいくと御用があってまた別の場所。まるでイタチの追いかけっこ。

ようやくお侍に会い、幾らか都合して貰い、再び江戸に帰ってきた頃には1ヶ月が経っていた。

いくら命の恩人といえ、それだけ長い間、女房を男に預けているのは落ち着かないもので。足早に重兵衛の家へと戻ってくる。

すると、なんと家はもぬけの殻。

近隣の人に聞くと「手伝いの婆やさんを追い出し、それからはずるずるべったり。昼間から酒を飲み唄を歌って、しまいには女と出て行った」と。

徳兵衛の中に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

それから徳兵衛は紙屑屋となった。そして江戸中、屑を貰い回り細々と商いをやりながら2人を探した。しかし足取りは中々掴めなかった。

あっという間に、2年が経ち。

いまだこれと言った手掛かりも無く。深川八幡前のとある床屋に入り、順番待ちをしながら身体を休めていた。すると同じく順番待ちをしていた男たちが、外を見て話をしている。

「お、ありゃ近頃評判の美人芸者だ」
「ああ、美濃屋の小さんだよ」

“美濃屋”と聞いて立ち上がった。

外を見ると、男だてらに羽織を羽織った粋な芸者。随分となりは変わっているが間違いない。お百だった。

紙屑を入れるザルの中には小刀がしまってある。それを懐に忍ばせ、徳兵衛は悠々と歩いていくお百をつけた。

ついていくと深川櫓下。お百は、ある芸者小屋に入っていき畳の上に寝そべった。するとその途端に障子がガラッと開き、小刀を片手に徳兵衛が飛び込んでくる。

しかし。

徳兵衛、元々が大店の坊ちゃん。

さして力も無く、良い様に小刀すら扱えず、しまいには反対に組み伏せられ、お百に蹴られ尻餅をついてしまう始末。睨む徳兵衛に、お百が口を開く。

「勘違いしてるんじゃないのかい」

お百が言うには、何も重兵衛と出来て逃げた訳ではない。長らく待っても帰ってこない徳兵衛の事を相談すると、ひょっとして甲府で金が出来て1人で大阪に帰ったのではないか。旅費を貸すから旦那を追いかけなさい。しかしそれだけでは女1人で心許ない。唄が上手いのだから芸者家業でも初め、腕を磨き、それから旅に出たらどうだと。それに必要な物を全て用意してくれたのだと。

徳兵衛は嫉妬に燃えていた事が恥ずかしくなった。

それを見て、さらにたたみかけるお百。

「ようやく会えて嬉しいよ。こうなったらいつまでも長居する事はない、重兵衛さんは旅商人、中々帰って来ないだろうから置き手紙をして、今晩大阪に発とうじゃないか」

すっかり心が晴れた徳兵衛。

2人は大阪への船が出るまで、久しぶりに夫婦水入らず。酒を飲み交わす。

……

……


しばらくして。


すっかり酔っ払った徳兵衛。


お百は、徳兵衛を外へ連れ出した。

……

深川は木場。

「ほらこっち、ちゃんと荷を持ってくれたかい?」

ただでさえ酔っ払ってる上にやたら重い荷を背負わされ、ふらふらと千鳥足の徳兵衛。そこにそろりとお百が背中から近寄り、ドンッと一突き。

徳兵衛は川の中へ。

もがいても、もがいても、重い荷があり浮かび上がって来れない。ガボン、ガボン、ガボン…徳兵衛は川の底へ沈んでいった。


すると。


徳兵衛が沈んだあたり川に浮かんだ材木の隙間から、ぽうっと人魂が上がり、お百のもとに飛んできた。

「あら、ありがとう…帰り道を照らしてくれるなんて、死んでもマメな人」

夫の人魂を提灯代わりに、お百は小屋へと帰っていった。


▷最終『峯吉殺し』へと続く

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