その昔「桑名徳蔵」という男がいた。

これは出羽の国を治める佐竹様のお抱えの船頭。御用達の船に米を積み、大阪は中之島の佐竹様の蔵屋敷へ運ぶよう仰つかる。

ある年の10月10日、預かった米を御用船に乗せて出発。その時、個人的にも米を買い、一緒に船に乗せていた。私的な米も一緒に運び、着いた先でそれを売り一稼ぎしようと考えていた。

しかし途中で大シケにあう。幸い大事には至らないが、船は大幅に遅れ、備後国の児島に着いたのが大晦日。

船頭達の間では、元日、盆の13日、そして大晦日は船を出してはいけないと言われている。その日に船を出せば必ず難破するという。

しかし徳蔵は一刻も早く船を出したかった。と言うのも、私的な米も積んでいるからだった。お殿様のお預かりした米はただ運べば良いが、私的なものは運んだうえ相場の良い頃に売りさばかなくてはいけない。ぐずぐずしていると大損になってしまう。

徳蔵はしぶる船乗り達を説得し、船を出した。

そしてどうにか船は兵庫の鯖江の湊へ。

徳蔵は、自分が無理を言った責任から、船乗り達は休ませ、1人起き船番をしている。そこに大晦日の除夜の鐘がゴーン……ゴーン……するとそれを合図にしていたように、生臭い空気が漂ってくる。

何かと思い振り返ると、そこには目も鼻も口もない黒い気の塊が。波の上から、船に乗る徳蔵めがけ迫ってくる。

徳蔵には、お守りのように常日頃から持ち歩いているものがあった。佐竹様より預かった国俊の名刀。徳蔵はこの一振りを引っこ抜く。

「板子一枚下は地獄という稼業、化物が怖くて船乗りが務まるか」

袈裟がけにこの黒い海坊主をズバッと切りつける。するとその黒いものは氷が溶けるように海の水にドサドサッと崩れていった。

そしてそれから兵庫・鯖江の岸に船をつけ、米を問屋に持ち込み、徳蔵は500両という大金を手に入れる。

……一方。

徳蔵には「おみき」という妻と「徳之助」という13歳になる息子がいた。おみきには持病があり、2人は父の帰りを今か今かと待っていた。

しかしある日、おみきの具合が悪くなる。徳之助1人ではどうにもならず慌てる中、家の前をある按摩が通りかかる。薄汚れ、色が黒く、生臭い空気が漂ってくる。

しかし、藁にもすがる気持ちで治療をお願いすると、苦しかったものがあっという間に嘘のように治ってしまう。何だか怪しいとは思いつつ、おみきはこの按摩の事を信用してしまう。

「まだこれで安心しちゃいけません。放っておけばまたすぐに悪くなる。しかし丹田というツボにこの鍼を打ち込むとこの病はすっかりよくなりますよ。」

言われるがままにこの鍼を打ち込んでもらい、すると按摩はそそくさと帰り支度を始める。

「時に、おかみさん」
「何です?」
「こちら桑名徳蔵さん宅で間違いないですな」
「そうですが、何か?」
「いえ…ええ、ええ…」

そうして按摩は帰った。

……その夜。

母の叫び声を聞き、徳之助は部屋へ入った。

布団をめくってみると、一目見て生き絶えたと分かる母の姿。昼間、鍼を打った辺りから腹が裂け、勢いよく血が吹き出している。

「鍼は、効いたか…鍼は、効いたか…」

生臭い空気が漂ってくる。振り返ると天井には大きな黒いのっぺらぼうがぶら下がっている。

恐怖から口も聞けず、のけぞる徳之助。そこにちょうど徳蔵が帰ってくる。再び刀を抜き、斬りつけると傷を負わせるも、化け物は戸の隙間からぬるりと外に出ると塀の向こうへと逃げてしまった。

……それから。

息子の徳之助は元服し、名前を「徳兵衛」と変えた。

そして父、徳蔵は己の欲から妻を死なせた事を悔やんだ。儲けた金で廻船問屋を開き、その後佐竹様に許しを得、この家、そして国俊の名刀を息子・徳兵衛へ譲り、自らは出家して諸国行脚の旅に出た。

「よいか徳兵衛、この刀には母を殺した化け物の念が染み付いている。何があっても、この刀は鞘から抜いてはならぬ。」

……さらに月日は流れ。

廻船問屋「桑名屋」は大変に繁盛している。

母の十三回忌。徳兵衛が家の物を整理していると、あの日譲り受けた国俊の名刀が出てくる。

譲り受けた際には子供ゆえ言われた禁忌の意味もよく分かっておらず、徳兵衛はただ父の残したものが懐かしく、何の気もなしに刀を抜いてしまう。

すると刀の切先から、線香の様に細い、黒い煙がすっと一筋立ち上がり。


封じられていた邪気が放たれ。


これがある町娘に取り憑き。


その娘を「妲己のお百」と呼ばれる、稀代の悪女に仕立て上げてしまう。


その始まり。


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