メディア露出が多いなどの理由から

『あの人』

と具体的に顔が浮かぶ、つまり一個体・単体としてイメージが更新されている人はそうではないかも知れない。

が。

『落語家』

と抽象的に思い浮かべられた時、恐らく多くの人が抱くであろうイメージがとても歯痒い。


「=面白い人」


というイメージを抱く人は、恐らく…

少ない。

多くの人は落語家に対して「面白い人」というより「すごい人」だとか「ちゃんとした人」だとか、とにかく固いイメージを抱くんじゃないでしょうか。

もし落語家に「面白い人」というイメージを持っていたなら、それはきっと落語ファン、つまり“知っている人”がほとんどじゃないでしょうか。

恐らく。

多くの人は落語をちゃんとしっかり観た事もなければ聴いた事もない。

けど。

多くの人がイメージだけは持っている。
そしてそのイメージはきっと大方こう。


「難しそうだし…固そう…」


「正直…」


「面白いとか……」


「では、ないでしょ…?」


「だって多分もう、笑いの型とかも古いでしょ……いやいや、でもそういうのじゃないんですよね?きっと」


「だから“すごい物”なんだ」


「…とは、思うんです」


恐らくこれが多くの「落語家=すごい人」というイメージを解体した際の詳細。


で、さらに。


例えば。

寄席芸人というより、ほぼTV一点突破型を目指すお笑い芸人なんかと絡む場があった時。

そういうお笑い芸人からすると、落語家はおよそ「芸人」ではない。多分「文化人」というか。

何なら、例えその落語家が若手であっても「大御所」みたいな触れ方をする、というかきっとそれ以外に触れ方が分からない。

複数のお笑い芸人がいる場合、暗黙の連携が取れたチームワークによってゴールを目指す事になる。

しかしそのチームに落語家はチームメイトとしては入っていない。

仲間外れという訳ではない。
ポジションの問題。

落語家は「芸人」として回す側ではない。

恐らくその多くの場合「文化人」として。

回して貰う側だ。




『色物』




寄席においては落語家が大多数であり。
そこに少数の漫才師やコント師が入る。

その落語家以外の方達を指し

『色物』

または『色物の先生』なんて呼ぶ。

これは勿論のこと揶揄したりする意味ではなく、落語ばかりが続くなか、楽しんで頂くため少し趣向を変えるのを純粋にただ例えただけ。

いわゆる「差し色」みたいな事だと思う。



ただ、これね。



僕は世間的にはもう、落語家こそ『色物』なんじゃないかと思う。

「落語家=スタンダード」
「その他=色物」

では、絶対的にない訳で。

むしろ漫才師やコント師の方が広く一般的には耳馴染みがあって親しみがある人が多い筈。

ただ、勿論これも揶揄する意味ではなく、それほど落語家というのはもはや“少数派の色の違う人達”なんじゃないの、という。


いや。


勿論のこと、寄席にいる分にはこれまで通りで何の問題もない。だってそういう空間だもの。

けど対外的になったとき、どこにいても「落語家=スタンダード」みたいなのって、自分で違和感を覚えるというか。

自分は色物であり、大御所であるとして、自ら裸の王様になるべきじゃなかろうか、と。

いや、だから。

寄席にいる分には全く違うんだけど。


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