上記のリブログの続きになりますが、なぜそういう話になるのかなという投稿を有田芳生さんがされてました。(^◇^;)
ともかく下関の聖地の件から今度は急に拉致被害のことに話がとび、7年前に有田芳生さんが週刊文春に公開した横田さんご夫婦とそのひ孫さんの写真についてです。
経緯を説明すると16年5月頃、有田芳生さんが横田さんご夫婦に話があると言って会いました。
それは横田さんご夫婦がめぐみさんの娘さんの子供(ひ孫)と秘密裏に面会された時の写真を世に公開してもいいかという話でした。
横田さんご夫婦はお孫さん(めぐみさんの娘)から写真の公開は止められていた為、いったんはお断りしたのですが、有田芳生さんからあちらさんは了解していますとのことだったので、ならばとOK。
少しでも拉致問題が進展してくれたらというのと、私たち夫婦はひ孫に会うことが叶いましたという報告の気持ちからだったそうです。
しかし救う会の方から、それは北朝鮮がどういう思惑でどんなつもりか解らないと言われて、後から軽率だったと横田さんご夫婦は反省したそうです。
またそれとは別に当時、有田芳生さんは横田さんご夫婦から写真を預かったという風にふれまわっていたらしく、横田さんご夫婦にすれば話そのものは有田芳生さんからで自分達は何も動いていないし、写真も横田さんご夫婦が持っているのは1枚も渡していないそうなんです。
だから有田芳生さんはどういう意図で動いたのか判らないし、それによる影響も大きいので、それから横田さんご夫婦は有田芳生さんとは連絡をとらないことにしたそうです。
週刊文春の記事の内容も横田さんご夫婦は一切タッチしてないし、その写真も出どころがどこからなのか知らないみたいです。
またその写真は横田さんご夫婦の持っている写真とは別のものだそうです。
これらは救う会のホームページで公開されているものを読んで果実は知りました。
なんだか話がわからない方もいると思いましたので、当事者である横田さんご夫婦の方の言い分をまずは書きました。
なんにせよ拉致被害問題の話で、横田さんご夫婦とそのお孫さんにひ孫さん、そこへ有田芳生さんが関わってきたというものです。
それで下記が有田芳生さんのSNS投稿です。
横田さんご夫婦のことを急に持ち出し、それで炎上したから反論のつもりなのでしょう。
それに同調されてる方もいらっしゃるようです。
写真は安倍さんも救う会も家族会も拉致議連も知らないのは当然ですよね。
だって横田さんご夫婦もその写真をどっから持ってきたのか判らないんですから。
知っているのは有田芳生さんだけです。
どこの誰から手にしたのでしょうか。
それはどんな事情と真相と事実によるものなんでしょうか。
さも何かありそうに思わせ、都合が悪いとこは陰謀論で煙にまいてるようにしか果実には思えません。
下関を聖地だと騒いでたときと印象が重なります。
ほんと今回も何の目的でSNS投稿されたのでしょうか。
でもおかげで改めてこの件について、また有田芳生さんについてを知ることができたように思います。
統一教会が「聖地じゃない」と言っても、頑なに認めようとしませんし、それは聖地と同等と言ったから聖地なんだってのも、例えば落語家でいえば弟子と同等は弟子じゃないですからね。
「のようなもの」はそれじゃないです。
本の表紙のカバーにまでしてたんですね。
思うに有田芳生さんはご自身にしか見えない真実を追っていて、しかし一般からは現実と有田芳生さんの物語の区別は付いており、つまりドン・キホーテなんでしょうね。
有田芳生さんの戦いとはご自身の物語を世にどう認めさせるかということなのかもしれません。
下関は聖地ではないし、横田さんご夫婦も有田芳生さんへ依頼も熱く感謝もしていないと思います。
そんな結論。