別に映画は昨日今日観はじめたわけじゃない。


もちろん観ている数はたかが知れてる。


観てない人よりは観てるといった程度。


たしかに何か足しになってはいるが、それもたかが知れている。


けどこれが時間を酒でうめてたら健康、ヘタしたら命はなかったかもしれない。


だからたかがではない。


けどこんなもんか…とも思う。


しかし評論家になりたいわけじゃないし、もちろん映画監督でもない。


それもこれも自分の表現への足しのつもりで、おかげで本が書けたのは映画を観てきたからだと思ってる。


どうして映画が書くことにと問われたら、それぞれの特性はあれどやはり基本的な部分で色々つながってるからでしょう。


ロックのCDもそうで、曲から構成や作りというのも自然に感じていた気がして、当たり前だが音楽はなんか音を出してればいいわけじゃない。


師匠は落語、そして書くことを大事にしていて、そんで果実が本を出せた時、ようやく何か自分との共通点らしきものとして昇進の言い訳にできたんだと思う。


それが新潮社という老舗のブランドだったというのも大きい。


これが自分にしてやれる最後のことと思ったんだと思ってる。


なので落語の実力や人気という面から、それでずいぶんと言われて叩かれもしたが、結局は師匠と果実の師弟関係のことで、それは周りが何か言う自由はあったとしても筋合いが違う。


「馬に蹴られて死んじまえ」だよね。


恋路ではないけど。(笑)


少し話がズレました。


果実も56。


もうかなりイイ年です。


今さらどうにもならない。


落語家いがいの道も知らない。


それでも食ってくために何かバイトなりしなきゃならないかもしれないし、もしかしたらこれから天職に出会うかもしれない。(笑)


なんにせよ時間はまだ少しある。


70を1つの区切りに見てる。


引退ってわけじゃないですよ。(笑)


20代30代、それこそ40代だってそうは思えなかったし、そんなことを思う方が妙だけど、60代に何か設定して動くのもいいかなと。


四家さんという方から果実の60代に期待されたことがある。


そこまで生きていられるかわかんないし、そこまで待てないのが正直な気持ちだけど、56になった今、手が届かないはなしでもない。


それこそたかが知れてるとしても、少々の時間と気力があるなら、それでやってみて生きていくのも悪くない。


要は楽しく生きていきたいしね。


売れる売れないは重要な問題。


でもどう今まで続けてこれたか、そしてそのもう1つ先の「終わりよければすべてよし」の問題も重要。


むしろそっちの方が大切かもしれない。


それに向けて映画を観られるうちは、色々と観ておくのもお金と体力があればこそなので、酒で気持ちを誤魔化してた若い頃の反省も含め、今日も足を運ぶつもりです。


いや、これは本当に思ってるけど、馬鹿は馬鹿よ、マジに。


どうにもならない馬鹿の1人が果実。


ですがまだ自己責任の範疇ですんでる。


家族をはじめ皆んなに迷惑をかけてはいるけどね。


潔さと覚悟も身につけていきたい。


そんなわけで今日も呑気に生きていきます。(笑)


落ちぶれても噺家、出世しても噺家。