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【抜粋】

 

これまでの学級運営では、学級における「単一規範」を教員は大切にしてきました。

 

例えば、「鉛筆はB以上の濃さのものを5本」

 

「消しゴムは1個」

 

「授業中のノートの取り方は、決まりどおりに」

 

「授業中はきちんと座って、先生の話を目を見て聞く」というような規範があり、

 

それらには基本的に例外が認められませんでした。

 

教室において「特例」はなかったのです。

 

ところが、「多様化した子どもたち」のあり方を認めることは、「特例」を認めるということにほかならないわけです。

 

「Aさんは、立ち歩いて学習してもいい」

 

「Bさんは、ノートの取り方が多少違っても、いい」(もちろん、そうできるような支援を教員はする)というようなことが起こるわけです。

 

「多様化した子どもたち」に、単に個別に支援をしたり、配慮をしたりするだけなら、何の問題もありません。

 

しかし、そこにはさらに「多様なほかの子どもたち」もいるのです。

 

ある子は、「先生、Aさんだけ立つのはおかしくないですか? 私たちは、立ったら叱られるのに」、またある子は「そうそう、不公平だよね?」と声を上げます。

 

そして、Aさんの行動がどうしても許せず、パニックする原因になるような強い注意をする子も出てきます。

 

こうした多様な子どもたちの教師への「二重規範」批判が、学級を機能させないようにしていきます。

 

やがて、教員の権威は失われて、教員の説明や指示が通らなくなる。

 

そして、教室は騒然としていくのです。

 

特別な個別対応して、「先生はエコひいきしている」と言われたこと、私もあるよラブラブ