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コラム書いてます
自閉症の息子を22年間育ててみての気づきです。あくまでも、息子の場合ですが、
もしかして似たような特性のあるお子さんにも当てはまる箇所があるかもしれません。
親や支援者がトコトンこだわりに付き合うと、こだわりは緩和される
頑固なほどのこだわりが自閉症の息子にはあります。
そんなとき、「なんとかこだわりを止めさせたい」と周りの大人は思うものです。
でも、それは逆効果のように感じています。反対にこだわりに応じてやるとこだわらなくなるように思います。
どうしてかと言うと、「親は自分の安全地帯を知ってくれている」と心が安定するからです。
小学校低学年まで特定の会社のタクシーにしか乗れませんでした。
井の頭線3000系にしか乗れませんでした。
夕食の一口目が夜のNHKニュースのアナウンサーの台詞、
「こんばんは!NHK……」と同時にならないとパニックを起こしました。
そんなとき、希望のタクシーや電車に乗せてやり、時間厳守で夕食を出すことを続けていると「安心安全」が確保されたことで、わからないパターンにも挑戦できるようになりました。
イソップ寓話の「北風と太陽」です。北風のようにこだわりに挑むと、ますますこだわりました。
成人した息子は楽をしたくて「タクシーに乗りたい」と言います。
どんな会社のタクシーでももちろんOKです。
発達障害児も発達はするが
発達障害児であっても発達、成長はしますが、定型発達児にはなりません。
胎児のときから自閉症で、お爺さんになっても自閉症のお爺さん。
その現実をまず親が受け入れることが大切だと思います。
定型発達の子の成長は目覚ましいもので、比べてしまうと落ち込んでしまいます。
けれども、他の子の物差しをあてがわないで、我が子の今と以前を比べることが大切だと思います。
偏食を無理に直そうとしないで!
食べ物の好き嫌いをなくすように強制すること自体が好き嫌いを作るように思います。
強制が過ぎると、「食事をすること=恐怖」とインプットされ、食に対して不快な感情をもったまま生涯過ごすことになるかもしれません。
「世の中には美味しいものがたくさんあるのだから、好き嫌いしないで食事の幅を広げてほしい」と親は願います。
でも、当人にとっては「少しだけ切ってあげる。一口だけ食べたら許してあげるから……」は
「この芋虫、少しだけ切ってあげるから食べなさい」と言われているのと同じことなのだと思います。
不登校を認めよう
不登校になれる子は、親に「自分は学校に行きたくない!」のSOSを出せる子。
親にも担任にも辛さを発信できない子は、最悪の結果を招いてしまうかもしれません。
学校は死ぬ思いをしてまで行く場所ではないと思います。
才能は掘り起こさなくていい
才能を生かして食べていける人なんて定型発達の人でも一部。まるで温泉を掘るかのように、
掘って掘ってほじくり返される当人はもしかしたら辛いのかもしれません。
運よく才能開花し、幸せな人生につながることもあるかもしれませんが、二次障害につながってしまったら幸せどころか不幸です。
療育でも「少しでも普通の子に近づけよう」とする療育があったとしたら、それはよい療育ではないと思います。
「人と比べてはいけない」そんなことはわかっている!
比べてしまうのが人間なので、比べてしまう自分を否定してはなりません。
どうしてかというと自分を否定することは、自分と他人を比較していることに他ならないからです。
枠組みを変える「リフレーミング」という言葉があります。
例えば「授業中立ち歩く、教室から脱走する=好奇心旺盛、将来ベンチャー企業の社長になるかも」のようにとらえる方法ですが、渦中にいるとそんな風に楽観視はできません。
楽観視できなくてあたりまえなので、くれぐれも自身を否定することのないようにしたいものです。
最後に
私も昔は療育の鬼と化して、「少しでも普通の子に追いつくように」と必死でした。
でも、事件に巻き込まれない、大病をしない、天災に合わないなど幸せは日常に転がっています。
(何も起こらないことが幸せ!)。そんなことに今更、気づきました。