毎日、7時、12時、20時に更新してますラブラブ

 

前にも書いた記事を転記します

ダウン

子を持つ親は誰しも子どもの幸せを一番に願います。

 

その願いは素晴らしいものですが

 

ときにその方法が子どもにとっては幸せにつながらないこともあると感じています。

 

■幸せとは

 

幸せとは

 

・良い学校に入る

 

・定型発達の子から刺激を受けて伸びる

 

・有名企業に勤めている

 

・優れた才能持って世間から評価される

 

・自分の才能で食べていける

 

そんな風に思い込んでいないでしょうか。

 

確かに一見どれもこれも幸せにつながるような気がします。

 

けれども、世間から見てどうかとか、一般的にはこれが幸せだとか、親がこれが幸せだと思っているとかではなく、

 

本人がそれをどう感じているかが重要なのだと思います。

 

幸せとは全体からみてどうかという相対評価ではなく、

 

自分がどう感じているのかの絶対評価だからです。

 

■羨ましく思うこともあるが

 

才能を持っている発達障害の人が世間から脚光浴びていることがあります。

 

はたから見ればみんなから認められて、称賛され羨ましい限りなのですが、

 

本人はどう思っているかはわかりません。

 

もちろん、「人にはないものを持っていて幸せだ」と感じているかもしれません。

 

反対に「もっとゆったりとのんびりとした人生を歩みたい」と思っているかもしれません。

 

■才能探しに明け暮れた

 

という私自身も息子が幼い頃、カラスの鳴き声を聞いて

 

「耳がいいんだ。ピアノを習わせてピアニストか調律師になれるよう、頑張らせるのが親の務め」と思い込んでいました。

 

そして、才能発掘のため必死で習い事をさせていました。

 

でも、ピアノの練習をひどく嫌がり、

 

私は「これでは辛い毎日で安心安全どころじゃないぞ」と感じるようになりました。

 

そして、一年で辞めることにしました。

 

■人生の岐路

 

小学校入学時は個別にきめの細かい対応をしてくれる特別支援学校に進級しました。

 

中学は特別支援学級に進級しました。

 

中学卒業後は特別支援学校高等部に入学しました。

 

けれども、特別支援学校高等部は高校の位置づけではありません。

 

つまり、卒業しても高卒資格はありません。

 

そのため、これを嫌がり普通高校を目指すママ友もいましたが、学歴は障害がある息子には不必要だと考えました。

 

(特別支援学校高等部を卒業しても大学受験の資格は得ることは出来ます)

 

特別支援学校高等部卒業後は一般就労を目指すのではなく、

 

定型発達の人でも高校卒業した後すぐに社会に出ないで専門学校や短大や大学に行く人もいるのですから、

 

いきなり社会に出さず、就労移行支援事業所で3年間しっかりと勉強してほしいと思って通わせました。

 

■何が幸せか

 

私の望みは息子が最後の人生の最後の日を迎える時、

 

「僕の人生は幸せだった」と呟いてあの世の私の元にやってくること。

 

そのためには

 

療育の鬼と化して、苦手なことを克服させようと必死になることではなく、安心安全を確保してやること、療育はほどほどにすること

 

勉強ができなくてもいいから、いじめられたり、自信を失くしたりすることは出来るだけ避け、

学校へ行くことが楽しいと思えること。通常級のこだわらないこと

 

私がこの世にいなくなっても頼れる大人が周りにたくさんいること

 

だと思っています。

 

子どもが幸せな人生を歩むことが全ての親の思いです。

 

けれども、その方法論や選択する道が親によって違ってきます。

 

それが、子どもにとって不幸にならないように

 

本人の目線に立って立ち返ってみることも必要なのではないでしょうか。