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この原稿は以前、学校の先生用の冊子、実践障害児教育に書いたものです。

 

 

長いですので、2回に分けて載せますね飛び出すハート

 

息子は知的障害を伴う自閉症です。

 

小学校1年生 2年生の期間は特別支援学校

 

小学校3年生から 中学3年までは特別支援学級

 

中学卒業後は特別支援学校高等部に在籍、今は21歳になり企業で働いています

 

学校生活というのは 子供にとって 一日のうち長時間過ごす

 

また 社会に出る前に 接する大人の中で担任の先生は子供の人生に大きな影響を与えます。

 

親も先生も目指しているところは 子どもの幸せな人生です 。

 

目指すところは同じでも その方法が違うと 願っていたのと違う方向に行ってしまうんではないでしょうか

 

子どものためを思って教育熱心な親になるのはよいことなのですが

 

それが時に、大人の強い思い込みで過度になっていると子どもを苦しめることがあります。

 

特に、発達障害の子どもを育てる際、子どもの気持ちに寄り添えない熱心な先生や支援者、親がいます。

 

無理解なのに熱心に介入して子どもを苦しめる人を「熱心な無理解者」と呼ぶそうです。

 

「熱心な無理解者」とは、児童精神科医の佐々木正美さんが提唱した言葉です。

 

「障害というハンディがあるのだから、今、つらくても頑張らせることが本人の将来のためであり、それが愛情だ」

 

と思い込んでいる。

 

「こだわりはわがままの一種なのだから、応じてはならない」と考えている。

 

努力すれば必ずできるようになると信じて疑わず、「やればできる」と子どもを追い詰める。

 

苦手を克服させようと必死で、「どうやったら、この子は○○ができるようになるのだろうか」と

 

できないことばかりにスポットを当てている。

 

「みんなと同じことができるように」「普通に近づけるように」と躍起になる。

 

子どもの才能を開花させようと“才能の温泉掘り”に必死になっている。

 

「障害に伴う困難の改善」ではなく、「障害そのものの克服」を目的にしている。

 

こうした「熱心な無理解者」である大人に囲まれている子どもがいます。

 

ただでさえ生きづらい世界の中で、さらに、親や先生、支援者が恐怖を与える存在となり、本人にとっては苦行です。

 

苦手なことにスポットを当てずに、できることを伸ばそうとする人。

 

わがままとこだわりの違いを見抜き、こだわりには本人が納得するまでとことん付き合い

 

まず信頼関係を構築した上で「こだわりの緩め方」を一緒に考えてくれる人。

 

大人本位の「こうあるべきだ」にとらわれ過ぎない人。

 

そして、「才能を開花させよう」と過度に必死にならず、子どもの今の状態を受け入れる人

 

「子どもに寄り添うことのできる大人」とは、このような人のことをいうのではないでしょうか。

 

■「言うことが違う」のも問題

 

一方で、例えば、母親だけ、もしくは父親だけが熱心なケースや

 

「A先生は熱心な指導者、B先生は寄り添ってくれる指導者」のような状態になってしまうと

 

子どもは無理強いされたり、許容されたりして、「何が正しいのか」が分からず混乱します。

 

こうした状況を「二重拘束(ダブルバインド)」といいます。

 

障害がある子どもにとって、この世界は怖いものや苦手なことだらけです。

 

そんなとき、唯一信頼できる立場の大人から無理強いされてばかりだったり

 

混乱させられたりすると、自ら一歩を踏み出すことすら怖くなってしまいます。

 

「この世界は怖くない。安心、安全なんだ」

 

「先生や親は自分を脅かす存在ではない」

 

「大人は自分を守ってくれる」。

 

そうしたことを幼いうちに十分に経験させましょう。

 

障害があっても経験を積んでいけば、子どもはやがて、「人生には思い通りにならないこともある」ことを理解していきます。

 

大海原に出ても戻ることができる、心地よい“港”のような存在がいれば、航海に出る勇気も出ます。

 

安心・安全な居場所

 

すなわち、“安全基地”の確保がまだ人生が始まったばかりの子どもには必要なことだと思います。

 

皆さんは「熱心な無理解者」についてどう思いますか?

 

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