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「お子さんは自閉症ではないですよ」と言ってほしかった

 

“療育の鬼”と化した母が現実を受け入れるまでの「過程」

 

 

自閉症の息子は現在22歳です。

 

診断を受けたときは 2歳3ヶ月のときでした。

 

それまで「なんだか怪しいな」と感じつつも、その言葉を打ち消し、

 

「個性的なのかな?

 

「性格なのかな?

 

「きっと発達がゆっくりさんで、大器晩成タイプななのかな?

 

と思っていました。

 

「長い目でみようよラブラブ

 

「子どもなんか みんなそんなもんよラブラブ

 

と励ましてくれる友人もいました。

 

■診断を受ける

 

けれども、2歳過ぎても言葉が一切なく、人と関わることができず

 

保育園で保育士の指示を無視して勝手な行動をとる息子を見て「いよいよ怪しい」と感じ始めました。

 

そして、2歳3か月の時、専門の医師から「息子さんは自閉症ですよ」と言われました。

 

大変な衝撃を受け、診断した医師を「やぶ医者だ」と恨み、

 

それからセカンドオピニオン、サードオピニオンを捜し歩くドクターショッピングを一年間しました。

 

■人が受け入れられない現実を受け入れる過程

 

次はキューブラー=ロスの“死ぬ瞬間”という書籍で書かれていることです。

 

「あなたは末期がんです。余命一ヶ月です」

 

「あなたの子どもは病気があり、長くは生きられません」

 

など人は受け入れがたい現実を前に次の過程を通るそうです。

 

「あなたのお子さんは発達障害です」も同様です。

 

【否認】

自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

 

【怒り】

なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。

 

【取引】

なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。

 

【抑鬱】

なにもできなくなる段階である。

 

【受容】

最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

 

■私の場合

 

【否認】

 

私も誤診と思い、診断した医師も診断結果も否認し(否認の過程)

 

【怒り】

 

「どうしてうちの子が」と怒りを感じ、定型発達の子を育てているママ友に対して怒りを感じ(怒りの過程)

 

【取引】

 

「自閉症ではないですよ」と言ってくれる医師を探しドクターショッピングをしました。

 

複数の医師から異口同音に「お子さんは定型発達の子ではない」と言われて、

 

「療育すれば定型発達児に少しでも近づくことが出来るのではないか」

 

とすがるような気持ちで療育に期待しました。

 

療育の鬼と化した私は複数の療育を受けさせ、家でも息子に訓練しました。

 

熱心な無理解者という言葉がありますが、私がまさにそうでした。

 

・「障害というハンディがあるのだから、今、辛くても頑張らせることが本人の将来のため、それが愛情だ」と思っている。

 

・こだわりはわがままの一種なのだから、応じてはならないと思っているところがある。

 

・努力すれば必ずできるようになると信じて疑わないところがある。

 

・苦手を克服させようと必死に努力させ、何でも一人でやらせようと試みる。

 

・「どうやったらこの子は○○ができるようになるのだろうか」とできないことばかりにスポットを当てがち。

 

・偏食を徹底して直そうとする。

 

・本人にとって難しいことであったとしても、みんなと同じことができるようにさせようとする。

 

・本人の意図を考えずに才能を開花させようと躍起になりがち。

 

・「やればできる」と過度な期待を抱きがち。

 

・「障害にともなう困難の改善」ではなく、「障害そのものの克服」を目的にしているところがある。

 

【抑鬱】

 

自閉症が治るわけではなく定型発達の子どもとの差はますます開くばかりで、抑鬱状態に陥りました。

 

【受容】

 

息子は病院内で行われていた療育に通っていました。

 

入院病床が260床以上ある、精神科に特化した18歳までの子ども専門の精神科の病院でした。(現在は廃院)

 

ある日、療育開始時刻よりも早く到着し、敷地内を散歩していました。すると鉄格子が目に入りました。

 

 

近づいてみると、鉄格子越しに、小学校くらいのまだ幼い子が一人でいる姿が見えました。

 

部屋にはベットと椅子、そして自傷を防ぐために身体拘束をするためのベルトもありました。

 

私は診察時に医師に「まだ小さな子がなぜ、入院しているんですか?」と尋ねました。

 

医師は

 

「この病院には家族が障害を受容していないために適切な育成環境を与えられないなどが原因で、

 

二次障害を起こし入院している子が多くいます。

 

ベットはほぼ満床です。お母さまも気を付けて育ててください」

 

と言われました。

 

この言葉でハッとしました。

 

目の前にいるまだ幼い息子の将来を思い浮かべ「私が受容しないとダメなんだ」と目が覚めました。

 

■まとめ

 

受容のきっかけや受容するまで何年かかるかは人それぞれです。

 

真の受容とは、今まで持っていた親の古い価値観を捨てること。

 

我が子に対して「あなたは、あなたのままでいい」と承認すること。

 

この作業は、「普通」であることの呪縛を断ち切り、

 

 「世間体」とか「世間並み」といった横並びの生き方と決別し

 

我が子にとって最も幸せな生き方を理解し寄り添うことなのではないでしょうか。

 

私の最大の願いは(私はもう、この世にはいませんが)

 

息子が人生を最後の日を迎える時

 

「僕の人生は幸せだった」と呟いて天国に行けることです。

 

 

皆さんの願いはなんですか。

 

障害を受け入れられない保護者の皆さん、自分自身に問いかけてみてください。

 

「子どもが普通であること」が願いですか?「子どもが幸せに生きていくこと」が願いですか?そのためにはどうすればよいですか?

 

きっと答えを出してくれると思います。

 

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