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前にぶちまけたこと
私は自治体の障害福祉課や保育園・幼稚園から「幼い発達障害の子を抱えていて、受容できない保護者のために講師として来てほしい」と言われ、月2~3回のペースで講演している。
リタリコの“発達ナビ”にライターとしてコラムも書いている
灯台という雑誌に依頼され、連載も書いている。
講演では自分が苦しかった時の気持ちを話している。
講演で誤ったことを伝えないため、正しい情報(福祉制度など)を得るため、自閉症スペクトラム支援士の資格を取るなど研鑽を積んでいるつもりだ。
そんな中、「これは私のフェイスブックだけでなく、他の障害者グループのフェイスブックにもお知らせしたい」と思った内容は私の記事をリンクを貼ってお知らせしていた。
もちろん、そのグループのルールにのっとり、いきなりリンクを貼ったり、勧誘や宣伝などしたりはしていない。
(私はいわゆる発達障害ビジネスと言われるカウンセリングによる高額な費用をふんだくったりしていない。
講演主催者からは交通費+講演料は頂いているが、参加者は無料である。
そもそも宣伝する商品など私はもっていない。“発達障害に生まれて”の書籍も私の著書ではないので印税など入ってくる訳ではない。)
でも、グループに#を付けただけで「宣伝だ!」と言われた。
「先輩づらするな!上から目線だ!」と言われた。
灯台の記事を載せただけで、「創価学会の雑誌で宗教に勧誘しようとしている!」と批判された。(ちなみに私はカトリック信者です)
グループには二次障害で苦しんでいる子どもを持つ親、子育てで苦労に苦労を重ねて、私の文章の言葉尻をとらえてエキサイトたり、被害妄想が膨らんでいる親もいるから、こういう書き込みになるのだとは思うが‥‥
自ら壁を作ってしまう人達だと思う。
私は少しでも苦しんでいる保護者のために、自分の歩んできたことを書いたり話したりしているが、あまりにもひどい批判を受けると、凹んでしまう。
そして、今、以下のように感じるようになった。
息子は今年23歳になるので、若い母親達に話をすること、記事を書くことは親亡き後の息子のために直結することではない。
健常児向けの子育てサイトにも記事を書いているが、こちらは全く息子の将来に関係しないことなので、あまりやりがいを感じない。
「だから、もう今やっていること止めようかな…」と思い始めた。
かといって、親亡き後の息子につながるやるべきことなど、見当たらない。
SNSではなくリアルに顔を突き合わす「親の会の役員など引き受けます」と申し出ても、もうそこではグループが出来ていてスルーされてしまい、疎外感を感じる。
息子は昨日も外出先でパニックを起こし、自傷し、携帯を噛んで壊し、カフェで出されたピザにコップの水を全部かけてテーブルをビショビショにした。
周囲の人からジロジロ見られ冷たい視線が突き刺さった。
こんな様子を見ていると、「息子の未来のため、私がこの世にいなくなった後、私が今出来ることは何だろう‥‥」と改めて考えてしまう。
模索している。
読んで下さり有難うございました
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